第31話 イヤ!

 狭い事務室に集められた俺と徳梅さん。角場店長のただならぬ様子を察知して、互いに顔を見合わせる。



「グローリー食品の梅ラーメンが、割り当て制になってしまいました」



 角場店長は苦しい表情でそう伝えた。

 徳梅さんは瞬時に反応し、険しい顔で眉間に皺を寄せる。

「どういうことですか?」

「えっと」店長は、ばつが悪そうに下を向き、「つまり、モノがそんなに入ってこないってことですね」



「はあ?」徳梅さんが怒気を含ませたように口を開ける。



「欠品するかもしれません」

「バザールに入るのに、欠品ですって? そんなのありえないわ!」

 彼女は声音を強めて店長に詰め寄り、経理の事務員さんの肩までびくっと震わす。背丈で言えば角場店長の方が徳梅さんより大分高いのだが、その気迫に押されて小さく見える。こんなに感情を前面に表した姿をみるのは初めてだった。クレームがあろうが、ウリちゃんがお酢を割ろうが、焦ることなく平気な顔で切り抜ける。彼女が常に冷静でいるから皆も安心して仕事に集中出来るのだ。そんな彼女が感情を剥き出しにして店長に詰め寄るなんて。

 思わず、乗り出すように俺も問い詰めてしまった。


「店長、どうしてそんなことになってしまったんですか?」


「いやあ、なんでか分からないんだよ。今日、出勤して本部からの通達を見ていたら、急にこんなメールが入ってさ」

 店長はプリントアウトした資料を見せる。徳梅さんは、それをつかみ取るようにして手元に引き寄せた。真剣な面持ちで内容を確認すると、はあぁと大きなため息を吐いて、「そうゆうことね」と頭を押さえた。

「そうなんですよ。メーカーがちょんぼしたのか、うちがデリシャスに負けたのか。真相は謎です。まさか、デリシャスも梅ラーメンをリコメンドにするとは」

 資料を覗き見てもよくわからないので、こちらも訊いてみた。

「どういう意味なんですか?」



「ようは、グローリー食品にデリシャスから後出しで大量の発注依頼がきちゃったから、一気にモノが不足したわけよ」



「ええっ! そんなのずるいじゃないですか」

「まあ、一概にはそう言えないかもしれないけどね……」

 彼女は腕を組んで、ため息まじりにこう続ける。

「グローリー食品って小さな会社でしょ。だから、もともと企業としての体力が弱いのよ。最初から商品の供給もぎりぎりだったのかもね。なまじ、バザールみたいな大きな企画にエントリー出来たから、ただでさえ生産量も少なかったのにアップアップになった。尚且つ、うちだけじゃなくて大手のデリシャスもリコメンドに入れたから、お手上げ状態になったんでしょ」


「そんな……」


「でも、本部バイヤーとしてはメインの西洋食品のモノは確保してるから、まあいいかって感じですよね」徳梅さんは自分の推測を確かめるように店長に詰め寄る。


「ご名答です」店長は両手を挙げて、目を閉じた。諦めにも似た表情。


「その連絡を受けたあと、MD長からはもう一つリコメンドに『海苔わかめラーメン』を入れろって指示書も飛んできました。むしろ、こっちをリコメンドで押せと。グローリー食品の対応に激怒しているみたいで、梅ラーメンは事実上のリコメンドから特注品扱いまで格下げに……」



「はあ?! 特注品って、なにそれ!」再び彼女は声を荒げた。



「ちらりと訊いたんですが、どうやら、デリシャスの城山手店が梅ラーメンを大量に押さえたみたいです。バザール開始とともに、一気に大量陳列されるみたいで……」


 山積みさんの店か! まさかあの時、徳梅さんの梅ラーメンが売れる発言を逆手にとって――。もしかして、今まで彼女に付きまとっていた理由って……情報収集が目的か。これじゃ、徳梅さんの思い描いたエンドとは全く別のエンドになってしまう。


「ちょっと、何であっちが先にモノを押さえてるのよ! 何にも訊いてないわ!」

「こればっかりはどうしようもないですね……。もう、当初のMD長の指示通りに西洋食品のカップラーメンをメインにエンドを組むしか……」

「私がMD長に電話を入れます。冗談じゃないわ」



「えええっ!」角場店長は今日いち驚いた声を発して、両手を合わせて拝んだ。



「いやいや、頼むよ、それだけは。MD長にだけは、何卒お願いします!」

 よっぽど怖いんだろうな、MD長ってのは。元暴走族の特攻隊長だったし。

「イヤです。うちは梅ラーメンをメインに考えてます。よりにもよって、デリシャス城山手店にモノを確保されて、競り負けるなんてありえないわ」

「徳梅さ~ん、お願いしますよ。特注品がメインなんて無理ですよ~」



「いやです。ここは譲れません」



 徳梅さんは頑として聞き入れない。

 すっかり困り顔の店長。おろおろして、なんとか徳梅さんをなだめようと必死だ。

 店長、俺もいやだ。俺だって妥協したくない。徳梅さんの目指すエンドは、俺も実現したい。でも、どうすればいい。何の力もないバイト風情の俺が出来ることはなんだ。そうだ、とりあえず今出来ることはこれしかない。



「店長! お願いです! モリモリフーズ全店から商品を搔き集めて、少しでもうちに多めの割り当てをしてもらえるように、MD長にお願いしてもらえないでしょうか!」



 俺は声を大にして頭を九十度に下げた。

 その声に驚いたのは、角場店長より徳梅さんだった。

 もう、感情を込めて思いのたけを伝えるしかない。


「会社や仕事のこともよく分からない自分ですが、梅ラーメンを全面的に展開したい気持ちは徳梅さんと同じです。自分たちにしか出来ないエンドでバザールに挑みたいんです。色々難しいということは何となく分かっているんですが、お願いします!」

 今度は、角場店長が慌てふためいた。

「いやいや、棚森くん。そんな大声だされるなんて、こっちがびっくりしちゃったよ」

「す、すみません」

「いやいや、謝るのは俺の方だよ。そうだよね、棚森くんの言う通りだよ。俺も徳梅さんのエンド好きだからさ。本当は陰ながら応援してるのよ」

「ほんとですか。じゃあ……」

「OKOK。まずは本部バイヤーにかけあってみるよ。それがだめなら超怖いけどMD長にも……」

「そんなにMD長って、怖いんですか?」

「めちゃ怖いよ。だって元SKU(死すら恐れぬ、狂い咲き、うるせえ上等!)だよ。でも、意外とアニメ好きって可愛い噂もあるんだよね、あの人」店長は渋い顔で笑ったあと、すぐに発言を取り消す。「今のは内緒だからね」



「私は別に怖くないわ」



「徳梅さんだけですよ、そんなこと言えるの」苦笑する店長。そして、事務机に戻り受話器を指差す。今から電話するよとジェスチャーをした。

「徳梅さん、出来ることはやるけど、あんまり期待しないでね」

 最悪の状況は回避できたわけじゃない。商品が確保出来なければ、その時点でジ・エンド。仮に幾分か確保出来ても、ボリュームの段階でデリシャス城山手店に負ける。しかも、販促や集客も大手のあちらが格上であるのは動かしようのない事実。この後、俺が出来ることを考えよう。絶対に彼女のエンドを成功させてやる。


 徳梅さんは一連のやりとりのあと、「失礼します」と礼儀正しく頭を下げると、くるりと背を向けて事務室をあとにした。

 俺も店長にお礼を言って、彼女の後を追った。

 先に退出していた徳梅さんは、カゴ車の列のなかで静かに佇んでいた。見るからに声をかけづらい雰囲気が伝わり、あの日の光景がフラッシュバックする。



――もしかして、あの梅ラーメンに何か思い入れがあるんですか?



――別にないわよ。



 あの時、彼女の声は僅かに震えていた。それは俺の思い込みなんかじゃない。今だってそうだ。あんなに声を荒げた姿を人に見せるなんて。それに、彼女は人に嘘をつくような性格でもない。きっと彼女にしか分からない、何か特別な理由があるんだ。


 俺はそこに、彼女の秘めた想いに、エンドを通じて触れてみたい。無力で非力な自分だが、なんとかして彼女の想いをエンドに込めてあげたい。

 徳梅さんは、俺の気配に気付いて振り返る。


「どうしたのよ、そんなところにいて」

「いや、なんか……」

「なんか?」猫のような黒目が俺を捉える。

「いやいや、この際ですから言っちゃいますが、いつもそんな感じでオウム返しされちゃうと話しづらいですから」


「ん? どういうこと?」なにそれと云わんばかりに小首を傾げる。


 そういう仕草もいちいち可愛いんですよね。悲しいかな全然気付いてないんだよな。


「しかも、そんな目で見つめられちゃうと何も話せなくなりますから」

「そんな目?」

「そんな目ですよ」


「よくわからないけど、顔なんて変わらないんだから仕方ないじゃない」


 いや、まあそうなんですけど、全然こちらの真意が伝わってない。

 彼女は頬に流れる黒髪を耳にかけて、くすりと笑った。

「そういえば、回答まだだったね」

「回答?」

「なに? 忘れちゃったの? 一緒に行きませんかって誘ってたじゃない」

「あ、はい、そうですよ、回答まだですよ」



「いいよ」



「えっ、いいんですか?」

「また行こうよ」

「まじですか!」

「ほんとよ。また、一緒にお勉強行こうよ」

「はい!」

 彼女は呆れたような笑顔でこう言った。



「棚森くんって大げさだね」





 物語は核心の第五章へ――

 棚森を縛り付ける過去の後悔が明らかになる。

 徳梅への想いが、過去と向き合い、深い喪失を乗り超える勇気へと変わる。

 一方で、徳梅のこころは未だ固く閉ざされたまま。徳梅の背中を追っていただけの棚森は自らのエンドを目指して、彼女の感情をも揺さぶり、物語は一つのピークを迎える。


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