第29話 汚れたノート
息を呑み画面を注視して待つなか、その時はやってきた。
『もう寝なさい 笑』
綺麗なお姉さんからのお叱りって……こんなに揺さぶられちゃうんだ。そして、またもやカッコ笑。俺と一緒に行くのがOKなのか、NOなのか、よくわからない。だが、とりあえず仲悪いって感じでもないから一歩前進ってやつか。にやけながら布団に仰向けになる。
『大学生って、いつも夜更かししてるの?』
『他の人はどうなんですかね? 俺はいつもこんな感じです』
『ふーん』
この返信。彼女の顔が見えなくても、文字だけで脳内変換が余裕。文字まで言動と一致させないで下さいよ。
『徳梅さんは、いつも夜更かし派ですか?』
『別に。今日はたまたまかな』
もしかして、俺のラインで起こしちゃったかな。仕事で疲れてるだろうし、明日も早いから悪いことしたかも。少し反省しながら、彼女の私生活に思いを馳せると、
『何でそんなこと訊くの?』
でた。得意の意図を探るような質問返し。またしても瞬時にシチュエーションが浮かぶ。どうせ、あんな目とこんな口して俺をじっと見つめるんですよね。
『俺は徳梅さんに興味があるんですよ』
そんな風にラインでも心を覗き込まれると、これしか返しようがない。思わず発した我ながら恥ずかしい台詞も、一度口に出せばハードルはぐっと下がるものだ。今の俺なら何回でも躊躇わずに言える気がする。上手くいくかどうかは横に置いて……だが。
暫しの沈黙のあと、案の定『笑』と返信がきた。『そればっかりじゃない』
確かに。もう飽きられたかな。『い、いや、でも本当なんです』
『はいはい 笑』続けて返信がくる。『棚森くんって、女の子と話すの苦手でしょ』
き、強烈……っ。彼女は無意識のうちに蚤の心臓をずぶずぶ刺してくる。間接的に、君って童貞でしょって断言されているようなもんだ。
『はい……』と点々に意味を込めて返すしかない。
『素直でよろしい 笑』
じゃあ、商品補充よろしくね。きっと売り場だったら、こう言われてるんだろうな。
『すみません』
『あやまることないよ。別にいいじゃない』
『徳梅さんがいいならよかったです 汗』
『笑 でも、もう少し女子に慣れないとね。いろいろ損しちゃうよ』
『もう、損以外していないから大丈夫です』
『笑 棚森くんって面白いね。そんなことも堂々と言っちゃうし』
『もしかして、揶揄ってますか?』
『別に揶揄ってないよ』
『ほんとですか?』
『面白いから、面白いって言ったのよ。自分で言うのもなんだけど、あんまり裏表ない方よ』
もしかしないまでも、彼女は思っていることを素直に言っちゃうタイプ。ご自分でも裏表無い性格を自覚してるんですね。
『棚森くんは、どこの売り場が楽しかった?』
『全部、勉強になりました。それに、徳梅さんと一緒だったので、より』
『そういうのはなし。おだてても何にもでないよ』
再びスパッと切り捨てられる。いっけね、彼女はこういうノリは嫌いなんだよな。調子にのらずに答えよう。となると、やっぱりあそこかな。
『サンサン薬局ですかね』
『やっぱりPOP? かなり派手だったね』
『そうですね。でも、徳梅さんのエンドの方が凄いですけど』
『当り前じゃない』と秒で返信くる。エンドに関して、彼女に謙遜はない。実際に凄いっていうのは事実だ。陳列コンクールで毎年表彰されているし、俺もその迫力に圧倒されたし、ファンサイトまで立ち上がってるぐらいだし。
『徳梅さんは、今日のセイルさんですからね』
『何それ?』そして、俺の軽口はすぐ見破られる。『私、揶揄われるの好きじゃないの』
『そんなつもりじゃありません 汗。改めて凄いなと思ってます。普通、スーパーのエンドにファンサイトなんて出来ませんから』
『ああ、あれね。私も棚森くんから教えてもらって、初めて知っただけだし。SNSってあんまり興味ないな』
『ちなみに、山積みさんのファンサイト(山積みさんの大量陳列)も覗いたんですが、クソつまんなかったです。今日のセイルさんの圧勝ですよ』
『笑』と返信があり、『見なくていいよ、それ』とにべもない一言で、彼に流れ弾が命中する。
『今日は本当に勉強になりました。小売りを深く考える切っ掛けになりました。今までは値段とか、用途とか、商品を単なるモノっていう定義でしか見てませんでした。エンドもそうですが、モノを売るって、色んな人の想いが込められてるんだなって改めて気付かされました。俺もそんな気持ちになって、今回のバザールを精一杯頑張ります』
『頑張ろうね。あっ、こんな時間だ。もう寝るよ』
時計を見ると二時を回っていた。明日は一限から流通論の講義もある。徳梅さんと仕事以外のやりとりをするのが楽し過ぎて、時間が経つのを忘れてしまった。
『遅くまでありがとうございました』
『どういたしまして? 笑。そうそう言い忘れた。POPが好きっていいセンスしてるよ。じゃあ、明日も商品補充よろしくね』
最後はお決まりの定型文で幕を閉じた。
――POPが好きって、いいセンスしてるよ。
彼女の一言が妙に胸に残った。俺は布団から這い上がり、再び机に向かう。袖机の引き出しから、一冊のシミがついたキャンパスノートを取り出した。
表紙には『①』と書かれている。ぱらぱらとページをめくるたびに、懐かしい気持ちが呼び起こされた。このノートを見たのは久しぶりだ。正直、あまり見たくはなかった。なぜなら懐かしさと同時に、胸も締め付けられるからだ。俺は思い出に蓋をするようにそっとページを閉じた。
もう寝よう。
再び引き出しを開けてノートを元に戻そうとすると、今までノート『①』が置かれた場所に、似たようなキャンパスノートが見えた。表紙には『②』と書かれている。
なぜだろう。体の内から込み上げてくる何かで胸の鼓動が早くなる。もう忘れてしまった、心の奥に閉まったあの気持ち。そっとノートに手を伸ばす。そのキャンパスノートは先ほどの『①』の表紙より、若干汚れている。ページをめくろうと思ったが、瞬間的に躊躇いが生じて、伸ばした手を虚しく宙に投げた。
もういいや。明日も早いし。
それに……。
あの人は、もういない。もう、終わったことだ。そんな動かない事実は幾度となく胸に刻んできた。本当はこんなノートなんか見ちゃいけないんだ。もう、どうにもならないんだし、見たところで何になるってんだ。損するだけで、プラスになんかなりはしない。
兄貴はもう死んだ。今更、もう取り返しはつかない。
あの日から、そう誓ったはずだ。
でも――なんだこれ。なんで、胸が熱くなってくるんだ。なんで……。
意図せず芽生えた疑問を薙ぎ払うように、強く頭を振った。
もう寝るぞ。そうやって今までやってきたはずだ。
そう、自分に言い聞かせた。
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