第27話 二つの心

 コーヒーで英気を養った俺たちはその後も色々なテナントを見て回り、最後にドラッグストア、サンサン薬局に入店することになった。


 毎度のことながら入店するとすぐ目の前にエンドが現れる。存在感を示すように売り出し品が並べられるのは何処も同じなのだが、俺の目には何かが違って見えた。なんというか……一言でいえば派手。この二文字が当てはまる。


「なんか、派手だね」


 徳梅さんも同じことを思っていたみたいだ。

 派手なエンドは、徳梅さんの超ド派手なエンドで見慣れていたのだが、ここの店は少し毛並みが違う。装飾されたイラストが一際目を引くのだ。


「POPが得意な人がいるんだろうね」


 POPとはPoint Of Purchase advertisingの頭文字をとった略語だ。商品の魅力を伝えるため、絵文字やCMのキャラクター等で構成された店頭プロモーション広告を指す。大体のPOPはメーカーが制作した販促物が多い。

 しかし、ここは違っていた。手書きなのだ。マジックやクラフトワークを駆使して絵文字やキャラクターを模り、それをラミネート加工して光沢をだしている。

 どこか不思議な温かみがあり、自分の深いところをくすぐるような印象を受けた。

 徳梅さんはそんな俺の様子に気付いたのか、見上げるように顔を覗き込む。


「棚森くんは、POPが好きなの?」


「そう、なんですかね。見ていて飽きないというか。面白いですよね」

 徳梅さんは、異彩を放つ手書きPOPで演出されたエンドを見上げる。

「メーカーはメーカーで綺麗なんだけど、これはこれでアリかもね」

「うちはPOP作ってる人いないんですか?」

 徳梅さんは首を振る。どうやらモリモリフーズの本部方針でメーカーの販促物以外は禁止されているらしい。手書きのイラストは上手い下手が如実に表れて、チェーンの統一感も損なわれるからだ。俺はそれを訊いて少し残念な気がした。



「ねえ、もしかして棚森くんは絵が好きなの? お店でエンドをぐるぐる見て回ってお勉強してた時も、メモ帳にエンド構成図をスケッチしてたでしょ?」



 意識外の角度に、僅かに言葉に詰まる。俺を捉える長い睫毛の潤んだ三白眼。彼女が近くに感じられてどきどきする。そして、それ以上に彼女からの問い掛けに自分自身が戸惑い、同時に胸が苦しくなった。



「好き……ですね」



 好きなことってあるよな。好きだったことあったよな。今は智良志に求められるがままに、ラメンちゃんばかり描いてるけど。別に隠していたわけじゃない。いや、違うな。あえて触れないようにしていたってやつか。



 ふーんと徳梅さんは、じっと見つめてくる。そんなに俺の心を覗き込んでも何もありはしませんよ。きっと、どこまでも空虚で実態のないものが広がってますから。



 だが――。この場の沈黙とは相反して、胸の鼓動だけが激しくなっていく。



 矛盾する二つの心が同化しまいとざわつきだす。周囲の雑音が遠くに聞こえる二人だけの時間。しかし、この静寂を引き裂くように、どこかで聞いたことがある声が背後からしてくる。



「私も好きですよ」



「あっ」俺と徳梅さんは、ほぼ同時に言った。


 そこには眉を顰めて強引に二重にしてカッコつけた山積みさんがいた。


「えっと……。田中……さんかしら?」彼女は未だに名前を覚えられない。


山田積夫やまだ つみおです。佐藤、鈴木ぐらい簡単な名字なので、もう覚えてください」俺を無視して徳梅さんに自分の名前をアピールした。


「あら、久しぶりね」



「やっぱり、美しい……」



「は?」今度も俺と彼女は同時に口を開けた。


「いやいや、すいません。モリモリフーズの制服以外のセイルさんも素敵だと思いまして。つい心の声が漏れてしまいました。作業着は味気ないですからね」

 いやいや、もちろん彼女は美しいのだが、面と向かってそれ言うか?

「……」徳梅さんは一歩引いて怪訝な顔をする。「で、何の用かしら」

「いえいえ、何の用と言われても、偶然セイルさんに会っただけですから。まさか、こんな場所に一人で佇んでいるなんて。不思議な縁を感じてしまいますよ」


 僅か2メートルぐらいの範囲に俺もいるのだが、完全に蚊帳の外に置かれている。


「それもそうね。なら、これも覚えておいてよ。私を呼ぶときはセイルさんじゃなくて、徳梅さんね。名前もよく知らない人に下の名前で呼ばれたくないし」

 はいと力無く項垂れる山積みさんから、シュバっと血飛沫が上がる。

「ところで徳梅さんは、こんなところで何してるんですか?」

「別にいいじゃない。何でそんなこと訊くの?」


「私は徳梅さんに興味があるんですよ」



「興味?」



 こ、こいつ、俺の決め台詞(勝手に決めた)を奪いやがって。

 言われた当の本人は顔をにやけさせて笑いを堪えている。が、すぐに堪え切れなくなり、「あはは」と口元を抑えて噴き出した。


「そのセリフ、この前も同じことを言われたよ」

「ええっ! 誰にですか」

「さあ、誰だろうね」


 いじりがいのある玩具を発見したような悪魔の視線を感じる。そうですよ、俺ですよ。


「身の程知らずな奴もいるんですね。決め台詞を奪われて可哀そうな私に、ここで何しているのか教えてくださいよ」

「何って、売り場を見にきただけよ。大した用じゃないし」

「売り場ですか? ドラックストアを?」

「別にいいじゃない」

「なんで私の売り場には来てくれないんですか? 一応ライバルじゃないですか。色々案内しますよ」

「別にいいわよ」

「へっ?」



「興味ないわね。あなたにも、あなたのエンドにも」



 破壊力抜群の決め台詞に、山積みさんは立ち眩みを起こす。「ま、まあ、いいですよ。それよりも、私も徳梅さんに訊きたいことがあったんですよ」

「訊きたいこと? 何かしら」

「バザールの売り出しですよ。正直、梅ラーメンって初めて知りました。何であんなマイナーな商品が御社のリコメンドなんですか。徳梅さんは経緯を知ってますか?」


「別に。知らないわ」


 いつも以上に冷えた口調であったのは気のせいだろうか。

「……そうですか。実は私、来期から本社の商品部に抜擢されて、念願の商品バイヤーを務めることになるんです。そのため、各社の状況を調査してました。御社以外のリコメンドは妥当と判断したんですが、梅ラーメンだけはよく分からなかったんです。正直、ニッチだし売価も高いし、売れそうにない。あんなのより海苔わかめラーメンの方が売れると思うんですよね」


「……あなたは、食べたことあるの?」


「ないです。どこにも売ってないですし」

「そうね……。確かに、どこにも売ってないわね」小さくため息を吐く。「でも、食べたことない商品を売れないって、決めつけるのはダメじゃない?」

「まあ、そうなんですが、あれでは売上が取れないと思ったんですよ。仮にも商品バイヤーに抜擢されるほどの私から見ても、どうなんだろうなと」

 ちょいちょい鼻につく自慢を覗かせる。


「だから、食べたことないのに決めつけるのはよくないでしょ」

 少しムキになった徳梅さん。その口調の変化を山積みさんは敏感に察知した。


「そんなに売れそうですか?」


「当たり前じゃない。だって、美味しいからね」



「ほう……」どこか不気味に目を光らせる山積みさん。



「梅ラーメンは、売れますよ」


 ついでに今まで空気だった俺も、徳梅さんに加勢をすべく一言浴びせてやった。


「えっと………………………………」至近距離に俺がいるのに、失礼なぐらいにたっぷり間を置かれた。「あなたは誰ですか?」

「てゆうか、この前、会ったでしょ」

「は、はあ、すいません。今いいところなんで……」部外者はお引き取り下さいと言わんばかりに、離れた場所へエスコートされる。

「ちょっと、あんたこそ、俺と徳梅さんのデートを邪魔するなよ」



「デートぉ?」



 今度は徳梅さんと山積みさんが同時に言った。

「デートなんかしてたっけ?」

 徳梅さんから詰問されて、今度はこちらが形勢不利になる。

「二人は付き合ってるんですか?」

「ま、まだ、付き合ってないけど、仲良しだよ」劣勢を挽回しようとムキになる。


「えええっ! セイルさんと仲良しなんですか? あなたみたいな冴えない人と? てっきり私はセイルさんの手下かと思ってました」


「手下じゃなくて仲良しだよ。さっきも言ったけど、セイルさんって下の名前で呼ぶなよ。彼氏でもないだろ。俺だって徳梅さんって言ってるんだぞ」


「ほら、あなたも同じですよね。下の名前で呼ばせてもらってないし。なんで、ちゃっかり仲良しポジションにいるんですか」


「うっ」なかなか痛いところを突く。「な、仲良くなりかけてるってことだよ。あんまり徳梅さんに付きまとうなよ」


「仲良くなりかけって……。セイルさんはこの冴えない彼に興味あるんですか?」


 山積みさんは苦笑しつつ、ぐるんと首を彼女に向けた。彼女は彼女で、彼氏候補でもない二人が勝手に盛り上がってるだけのシチュエーションに呆れたような、あー可笑しいと笑っているような。

 徳梅さんは目に浮かべた涙を人差し指でこすると、にっこり笑って俺を見た。



「どうだろうね」


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