第5話 裏エンド

「じゃあ、そろそろ裏エンドでもやってみる?」


 商品補充にも慣れた頃、徳梅さんからこう言われた。


 裏エンド――。


 なんとなく響き的に怪しげだ。従業員しか知らない秘密の場所ってことか?

 だが、そんな俺の無意味な勘繰りを停止させるように、彼女は無言で、とある場所に手招きする。


「ここよ」


 案内されたのは、店の中通路にあるエンド。

「裏エンドって、ここのことですか?」

「そうよ。まあ通称だけどね。客導線上にあるエンドが表エンド。棚森くんが見たティラノちゃんが陳列された場所がメインエンドね。サイジって呼ぶとこもあるけど、うちは棚の延長にあるからエンドで呼び名は統一してるよ」


 なるほど――てゆうか、客導線ってなんのこと?


「まあ、表やメインはまだね。そこは私がやるし」

 徳梅さんはパンと両手を叩くと、それを合図にてきぱきと俺に指示をだす。あそこのエンドの売れ残りと、そこのエンドの売れ残りを、まずは撤去して台車に乗せて、バックヤードから本部投入された余剰品のカレーを持ってきて、ついでに定番に入りきらないパスタも……。などなど。


 俺の処理能力を無視して、流れるような速さで指示が飛んでくる。


 それにしても――この通称裏エンドは表エンドに比べてスペースが狭い。こんなの適当に並べれば簡単じゃないの? 俺もだいぶ商品補充とか覚えてきたし。なんとかなるのでは。

 それに……。

 表に出せない黒い期待が喉を突き動かす。


「とりあえず、在庫の多い商品のスペースを広くとって、見栄えよく並べればいいんですよね? 任せてください」


 この一言に、彼女は俺に指示する手をぴたりと止めた。

「ふーん」と一瞥して、わずかにあごを上げる。「まあ、最初は色々考えながらやったほうが楽しいかもね」

 そう言って徳梅さんは俺の肩をぽんと叩く。彼女から柑橘系のリンスと甘い汗が混じった心地よい香りがふわりと漂ってきた。普段嗅ぎなれない女子特有の甘い香りにドキっとする。

「じゃあ、よろしくね」とにっこり笑い、お客さんで賑わう総菜売り場へ、軽やかに去っていった。

 彼女が去った後の通路は、ほのかな残り香と呆けた俺だけが取り残された。

 やるしかない。

 でも、どうやる。

 とりあえず、今訊いた指示を忠実に実行するしかない。善は急げと、まずは裏エンドを構成するための商品をかき集めた。

 俺の手元にあるのは以下の通りだ。


①揚げせんべい 在庫が一番多い

②五目飯のもと 在庫が二番目に多い

③チュニジア産パスタ 在庫が三番目に多い

④カレールー 在庫が一番少ない


 やってやる。そして徳梅さんに――。


「えー、凄いじゃん。思ったよりやるね。初めからこんなに出来る人みたことないよ。棚森くんって仕事が出来るタイプなのかな。じゃあ、今度は一緒に表エンドでもやる? 一緒って意味わかる? 私と棚森くんって意味よ。わかった? よろしい。じゃあ、とりあえず商品補充よろしくね。その後は……私と一緒に、ね?」


 なーんてこと言われるように。本当は彼女にデキルところを見せたいのだ。

 古今東西、仕事が出来る男は、いつだって女子から熱い羨望の眼差しを向けられる。これは神が定めた不変の心理。だてにPOS大(Fラン大)で心理学を学んでいない。

 好きなだけ妄想を膨らませて、無駄に素早い手さばきで裏エンドに取り掛かる。


 しかし――すぐに行き詰まった。


 思った以上に難しい。見ると、実際やるのとでは大違いだ。

 どうやんだこれ? テトリスとか、ぷよぷよと同じイメージじゃないの?


 まず、商品の形状からして違う。袋タイプの『揚げせんべい』と箱タイプの『五目飯のもと』では、そもそも同一に並べづらい。『揚げせんべい』の在庫が多いからといって、こればっかり並べると無駄にかさが張り、見た目が不細工になる。しかも、場所だけ取られて他の商品が陳列できない。だいたい、『チュニジア産パスタ』なんて、イタリア産パスタに押されて売れ残った商品だし、在庫も多くおまけに形状からして立たせづらい。


 しかも、慣れないエンド作成にてこずり、誤って段ボールで指を切ってしまう始末。さっきまでの威勢のよさはすっかり鳴りをひそめて、完全に動きが止まってしまった。


「あら、まだできてないの? こんなの簡単じゃんって、思ったでしょ」


 図星だった。

 しかも、もう一つの不埒な思惑も見破られていた。


「遠くから見てたら、なんかニヤニヤしながらやってたけど、あれなんで?」


 ……こればかりは言えない。

 そして、下を向く俺に、とどめを刺すこの一言。



「エンドのひとつも満足に作れない男なんて、文字通り終わってるわよ」



 ぐぬぬ。慣れてない俺にそこまで言わなくていいのに。内心ムカッとはきたのだが、言われても仕方ない。彼女は俺の心――そう、慢心を見抜いていたからだ。


「だから、人の話は最後まで聞くこと。わかった?」

 はい、と項垂れるしかない。

「よろしい。じゃあ、指を貸して。あーあ、怪我までしちゃって」

「すいません……」

「段ボールで指切ると痛いよね」


 そう言ったあと、彼女はなんのためらいもなく俺の指に触れた。


 どこまでも柔らかく、心を癒すような温かみを感じた。徳梅さんは腰ベルトに下げられた小物入れから絆創膏を取り出すと、怪我した指に丁寧に貼ってくれた。心臓が恐ろしいほどの速さで動くのがわかった。手当をされている時に、緊張のあまり顔を背けてしまう。恋人同士かと思えるほどの距離の近さに、まともに目を合わせられない。

 手当が終わると徳梅さんは「これでよし」とつぶやき、両手を腰にあてた。


「じゃあ、見ててね」


 徳梅さんは額からながれる美しい黒髪を右手でかきあげる。



「これがクロスってやつよ」



 クロス?

 よく分からないけど……。なんか、カッコいい。



 徳梅さんは裏エンドを見据えて、目を妖しく光らせた。

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