真のプロローグ

悪役令嬢レイラの妹ソフィーナ はじまりの物語(1)

 姉が嫌いだった。


 何でもできて、

 誰からも愛されて、

 輝かしい将来も約束された姉が。


 自分が嫌いだった。


 何をさせてもダメで、

 誰からも必要とされなくて、

 将来すらも「好きにすればいい」と突き放されたが。



 ▼


「またできなかったのか」

「……ごめんなさい」

「気にしないで。どうでもいいことだもの」


 それは私――ソフィーナが、もうすぐ十五になろうかという時のことだ。

 父と母は私の成績表――自分でも嫌になるほど酷い数字が並んでいる――を一瞥だけして、それぞれ元の書類に視線を戻す。


「……また営繕えいぜん部からの嘆願書か。これで何度目だ」

「馬車保管庫の老朽化の話ね。補修費にこれだけ掛けるなんてお金が勿体ないわ」


 二人の視界には、もう私のことなど入っていない。

 嘆願書に「否」の判子を押すように、できない娘の存在は二人にとって「否」なのだ。


「あら、まだそんなところにいたの。仕事の邪魔になるから下がりなさい」


 母は父以上に私を嫌っている。

 お腹を痛めて産んだ子がこんな出来損ないなら、それも当然か。


 私は物覚えも要領も悪い。

 座学、礼儀、音楽、ダンス――公爵令嬢が最低限必要とされる全てにおいて下の下。


 昔はまだ二人とも優しかった。

 小さな頃は多少できなくても、許されていた。

 しかし十になっても、十二になってもその傾向は改善されず――結果、私は冷遇されるようになった。

 今となっては使用人達にも影で笑われる存在だ。

 公爵家始まって以来の落ちこぼれ。

 それが私、ソフィーナなのだ。


「ソフィーナ。以前も言った通り、お前には何も期待していない。身の丈に合ったことをすればいい」

「そうよ。レイラさえいれば我が家は安泰ですからね」

「……ッ」


 レイラ、という単語が出た瞬間、口の中に鉄の味が広がる。

 過剰反応をしてしまい、唇を噛みすぎてしまったようだ。


 レイラは二つ上の姉だ。

 私とは似ても似つかぬほど美麗な容姿と頭脳、そして身体能力に魔力まで付いている。

 もはや『完璧』以外に姉を形容する言葉がないほどだ。

 幼少の頃から既に婚約者も決まっており――その相手は、この国の第二王子だ。

 神は残酷なほど私たち姉妹に格差を設けていた。


 外見だけではない。中身もだ。

 私はできる姉に嫉妬し、嫌っている。

 しかし、姉は――


「失礼します」

「レイラ」


 来た。

 扉を開き、姉が入室してくる。

 凛とした雰囲気を纏ったその表情は自信に満ち溢れており、私と似ても似つかない。


「お父様、お母様。少し言い過ぎではありませんか」

「しかしレイラ。ソフィーナの不出来はお前もよく知るところだろう」

「そんなことはありません。この子にはこの子なりの良いところがたくさんあります」

「例えば?」

「魔法に対する適性は私より高いです」


 姉の言葉に、お母様は扇で顔を隠しながら鼻で笑った。


「たかだか熱の魔法じゃないの。そんなもの何の自慢にもならないわ」

「しかし、熱魔法は人々の生活を支える礎になっています。一笑に付すには――」


「……ッ」


 事あるごとに私を庇い立てする。

 ……私が姉を大嫌いな理由がこれだ。


 内面の良さをひけらかすため妹を利用している。

 不出来な妹を見下すことで悦に浸る。


 そんな風に姉の性格が悪ければどれだけ良かったか。

 完璧な姉は、中身まで完璧だった。

 姉の言葉は全て本心だ。

 私を蔑ろにする両親に、本気で怒っている。


「とにかく。以前にも申し上げた通り、ソフィーナを必要以上に追い詰めるのはおやめ下さい」

「私たちは別に追い詰めてなどいない」

「そうよ」


 姉に対してはさすがの両親も強くは出ないが、かといって素直に認めはしない。

 要するに、間に入っても無駄なのだ。


「……ソフィーナ。行こ?」


 姉もそれをよく分かっている。

 両親をひと睨みしてから、私の手を引いて部屋を後にする。


 落ちこぼれで味方のいない私にとって、姉は……今となっては唯一の味方になっていた。

 それが逆に己のみすぼらしさを浮き彫りにさせていることに、姉はきっと気付いていない。


「……」

「二人の言ったことなんて気にしちゃ駄目よ」


 私は手を繋ぎながら少し前を歩く姉の後頭部を睨んだ。

 ……同じ親から生まれたのに。

 頭の出来も、美しい曲線を描く長い髪も、優れた身体能力も、秘められた魔力も、何もかもが違いすぎる。

 たった一つくらい姉に勝てる物があるはずだと、カリキュラム以外のことも貪欲に学んだ。

 そして分かったのは、姉にはどうやっても勝てないということだけだ。


 どれだけ恵まれれば気が済むのだろうか。

 嫌い。

 嫌い。

 お姉様なんて、大嫌い。


「人にはそれぞれ得意分野があるわ。既存のカリキュラムであなたの資質を図るのは難しい。それだけのことよ」

「じゃあ……私の得意なことって、何ですか」


 単なる慰めの言葉。

 私が得意なことなんて何もない。

 それを分かった上での、意地悪な質問だった。

 姉はきっと答えに困窮する。そうなれば気まずい雰囲気が流れるだろう。


 しかし、予想に反して姉は得意げに指を立てた。


「諦めないこと」

「諦めない……こと?」

「覚えてる? 昔、お父様の書斎にあった詰めチェスの問題集」

「……ええ」


 お父様は趣味が高じてチェスの関連書を大量に持っている。

 そのうちの一つに、詰めチェスの問題集があった。

 ある程度ゲームが進んだ状態で、あと何手あればチェックメイトを掛けられるかを問いかける――というものだ。


 まだ私が十になる前のこと。

 当時はまだ好きだった姉と遊ぶ一環で、その問題集に挑戦したことがあった。

 姉はすぐにほとんどの問題を解いてしまったが、最後の一問だけは解けなかった。


 ――その問題を、私は解いてみせたのだ。


「……もかければ、誰だって解けますよ。お姉様なら一ヶ月もかかってなかったと思います」


 私が行った方法は『配置された駒を動かせるパターンを総当たりして試した』というだけ。

 華やかなチェスに相応しくない地味な作業だ。

 お父様からも「美しい解き方ではない」と叱られた。


「いいえ。やり抜いたことがすごいのよ」


 姉は足を止め、私の両手を掴んだ。


「少し時間はかかるかもしれない。けれどあなたには普通の人なら諦めてしまうような困難を打ち破る力がある。私はそう信じているわ」

「……」


 姉の純粋な瞳を直視できず、私は視線を逸らした。


 やめて。

 私はお姉様が気に掛けるような人間じゃない。

 だって……こんなにも心配してくれるお姉様を、今もこうして憎んでいるのだから。

 嫉妬に駆られた醜い魔物。

 それが私――ソフィーナだ。

 姉が思うような妹では、決してない。


「そうだ。今度一緒に下町に行かない? もうすぐあなたの誕生日だし、何かプレゼントを――」

「いりません」


 姉の言葉をぴしゃりと遮り、繋いでいた手を振りほどく。


「では、私はこれで」

「あ――ソフィーナ」


 自室の扉を閉めると、姉の姿も声も聞こえなくなった。


「うぅ……」


 私は枕に顔を押し付け、うめく。

 姉に悪意はない。

 善意でこちらを心配してくれている。

 なのに自分は何なんだ。


 くだらない嫉妬で姉に悪意をぶつけている。

 何もできないくせに。


 私は声を押し殺しながら泣いた。



 ▼


 翌日の昼。

 姉は再び私の部屋に訪ねてきた。


「ソフィーナ、本当に行かないの?」

「行きません」


 街に出かけようと再び誘ってきた姉。


「プレゼントなんていりませんよ。お姉様もお忙しいでしょうし」


 姉は本当に多忙な毎日を送っている。

 花嫁修業に加え、最近では両親の領地経営も手伝っているとか。

 私に構う時間なんて一分たりともないはずだ。


 かれこれ数年前から、私の誕生日パーティは開かれていない。

 なのに姉だけは律儀に覚えていて、毎年ささやかな会を開いてくれる。

 はじめは嬉しかったが、今となってはそれも憎む理由のひとつとなっていた。


「何言ってるの。年に一度しかない誕生日なのよ」

「……お姉様は本当に私が好きなんですね」

「そうよ。悪い?」

「……ッ」


 あっけらかんと言う姉に、私は歯を食い縛った。


「それが迷惑なんです」

「え?」

「私とお姉様は住む世界が違います。もう私に構わないで下さい!」

「ちょっと、ソフィーナ!」


 扉に鍵をかけるが、姉は何度も何度もノックを繰り返した。

 私は枕と布団に頭を押し込み、聞こえなくなるまで耳を塞ぎ続けた。




「……ん」


 次に気が付いたとき、周辺は薄暗くなっていた。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。


 今度こそ、完璧に嫌われた。

 あんな風に突き放してまで妹を好きでいる理由なんてない。


「……けど、これでいいのよね」


 姉には、もっともっと輝かしい未来が待っている。

 出来損ないに構う時間なんて、一秒たりともあってはならない。


「少しだけ……外の空気を吸って来よう」


 部屋に閉じこもっていては気持ちが塞がるばかりだ。

 もう手遅れとは思いつつ、私は軽い気持ちで外へ出た。

 裏庭なら、使用人たちもあまり近付かない。


 屋敷本館の影に隠れて少しだけどんよりとした雰囲気のこの場所を、私は気に入っていた。


 目的もなくふらふらと歩いているうち、馬車小屋がふと目に入った。


 ――そういえば、老朽化しているんだっけ。


 何度も嘆願書が出ていたらしいが、外から見ても特に変わった様子はない。

 どこが老朽化しているのだろうと、私はほんの興味本位で中に入った。


 そのときだ。

 ずん、と大地が啼いた。


「じ、地震……!?」


 大地の精霊による波動。

 詳しくは知らないが、我が国は大地の精霊の怒りを買いやすい場所にあるらしい。

 数年に一度はこういう現象が起こる。


 大抵は小さな揺れが起きるだけで支障は無い。

 せいぜい、テーブルの端に置いた陶器が落ちて割れる程度のものだ。


 しかし今は違う。

 老朽化が進んだ建物の中にいる私にとって、その揺れは――


「あ」


 ごり、と、何かが致命的に壊れる音が鳴り。

 上を向くと、屋根が眼前に降りてきていた。


圧倒的な死を、私は初めて体験した。

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