Track 03. 熱戦

『続きまして、準々決勝、第一試合を開始します――』


 眼前にポップアップする文字列アナウンスの向こう、強者達の自信満々の笑顔が結依ゆいを見下ろしている。結依は仲間と共にステージに並び、武者震いに戦慄わななく拳を握っていた。

 まっすぐな視線で見上げる先には、都内最強の呼び声高い「Marbleマーブル」の面々。

 スクールアイドルで天下を取ると心に決めた時から、この対決を思い描かない日などなかった。彼女らを倒さずしてその先はない。彼女らに勝たずして夢を叶えることはできない。


『先攻、春暁しゅんぎょう学園高校東京分校スクールアイドル研究部、「Marbleマーブル」!』


 上級生を差し置いて中心に立つのは、「七光ななひかり」、春日かすが瑠璃るり。名古屋エイトミリオンの伝説のセンターの血を引き、天上から下界を睥睨する太陽の化身。部活動アマチュアの枠を遥かに超えた実力を有する絶対強者。

 一人だけでは敵わないかもしれない。だが――。


『後攻、双柱ふたばしら学園高校アイドル部、「ELEMENTSエレメンツ」!』


 今の自分には頼もしい四人の仲間がいる。誰よりアイドルを愛する華子はなこが。学園のトップで輝き続けてきたマリナが。強靭無敵の歌劇スターの怜音レオンが。臆せず憧れに挑む強さを持ったあいりが。

 彼女達との出会いが、こんなにも早く、自分を春日瑠璃の前に立たせてくれたのだ。


「ユイちゃん。全力で向かってきてね」


 満員の観客の視線がステージに注がれる中、瑠璃はマイクを通して堂々と言ってきた。

 ステージの中心で向き合っただけで、びりびりと鋭い空気が結依の肌を刺す。劇場でプロのアイドルを見ている時にすら感じない空気。「お客さん」に対しては決してぶつけることのない種類の戦意オーラ

 すぐにでもプロで通用するに違いない瑠璃が、どうしてスクールアイドルに寄り道をしているのか最初は不思議だったが――

 二度もの宣戦布告を経た今ならわかる。彼女は求めているのだ。仕事プロとは違う世界で、本気の青春を懸けてぶつかり合える好敵手ライバルとの戦いを。


「……もちろん。ルリちゃんも」


 瑠璃色ラピスラズリの瞳を見上げて言い返し、互いに微笑を交わし合ってから、結依は華子達と共にステージの下手しもてに下がった。


「青春……か」


 他人を羨んでも仕方がないと何万回も自分を戒めてきたが、それでも結依は少し羨ましかった。青春とか、ライバルとか、そんなに興じる余裕を与えられた瑠璃のことが。

 戦いを楽しむ余裕なんて、自分には微塵もありはしない。

 結依が掴もうとしているものは、あまりにもか細い蜘蛛の糸。ここで「Marble」に勝ったとしても、続く準決勝と決勝も勝てるかどうかはわからない。優勝して春の全国大会に進んだとしても、どこまで結果を残せるかはわからない。

 部活の大会アイドライズの優秀者枠でエイトミリオングループのドラフト会議に呼んでもらえるのは、春、夏、冬の大会でそれぞれ最優秀の一人だけという狭き門。そのドラフトだって、指名を担当する現役メンバー達から「あなたが欲しい」と言ってもらえるかどうかなんてわからない。晴れてどこかの地方支部から声を掛けてもらえたとしても、入った先で正規メンバーに昇格できるかどうかもわからない。

 それでもわたしは、賭けるしかないんだ。暗闇の中、手探りで針に糸を通すような狭き道に。そんな道を選ぶ必要もない強者達を、今この場で退けて――。


「ユイちゃん」


 華子の手が横からそっと自分の手に添えられたとき、結依は初めて、己の全身が未だかつてないほどの緊張に強張っていたことに気付いた。

 結依の身体は武者震い以外の何かに震えていた。子役時代のどんな本番の前よりも。この学校に入ってからのどの戦いの前よりも。

 まさか、自分は恐れているのか。瑠璃と戦うことを。彼女に負けることを。


「わたし達が付いてるからね」


 スミレ色の文字列がそう続いた。結依がハッと彼女の顔を見ると、華子は温かく笑って、「ホラ」とステージを目で示してくれた。

 強張っていた心をじわりと融かすような微笑み。結依はこくりと頷いて、彼女の温かな手を握り返す。

 結依は華子の声を知らない。声色も口調も想像でしかない。だけど、きっと、彼女の声は、今この世にいる誰よりも、自分を優しく包み込んでくれていて――。


「華子さん……ありがとう」


 時は満ちた。照明ライトが落ち、ステージが束の間の闇に包まれる。早鐘を打つ胸をもう片方の手で押さえ、結依がステージをじっと見据えたとき、オレンジ色の光源がステージに幾重もの影を並び立たせた。

 客席に背を向けて立つのは、「Marble」の五人全員フルメンバー。心臓を揺らす音響の衝撃とともに、くるりと彼女達が振り返り――いよいよ戦いの火蓋が切って落とされる。

 この曲は――!

 見慣れた音符の並び。よく知った振り付け。BPMテンポ175、ニ長調Dメジャー、4分の4拍子。それだけでわかる。「黄金おうごんハウリング」――名古屋エイトミリオンの春日ジュリナの名を初めて全国に知らしめた、秋葉原エイトミリオン本店の2008年のシングル曲だ。

 センターポジションは春日瑠璃とキャプテンの大宮おおみや冴子さえこの二人。この布陣、この振り付け、間違いない。


「街をつ――最後の電車――追いつくには間に合わない――」


 きらめく笑顔で歌い出す瑠璃達の姿を目にして、結依はたまらず補聴眼鏡グラスのVR機能をオフにしていた。

 歌詞もメロディも全て覚えている。ならば煩雑なVRレイヤーなど取り払って、心の目でしっかりと瑠璃達のパフォーマンスを見たかった。


「どうして――言えなかったんだろう――お別れのその瞬間まで――」


 ダブルセンターの大宮冴子を引き立て役にして、瑠璃は歌う。三十年以上を経ても色褪せないその歌詞を。

 唇の動きなんて見るまでもない。秋葉原エイトミリオンを知る者で、この曲をそらんじられない者などいるものか。

 春日ジュリナにとって。名古屋エイトミリオンにとって。そしてエイトミリオングループの歴史にとって、大きな転機となったこの曲。本店メンバーでも誰もが入れるわけではないシングル選抜に、当時十一歳の春日ジュリナは発足直後の名古屋エイトミリオンから唯一選ばれ、本店の不動のセンター・神田かんだアツコとダブルセンターを張ったのだ。

 いくらでもオリジナル曲を持っているはずの「Marble」が、敢えてここでこの曲を選んできた理由はただ一つしかない。これは彼女達マーブルから結依達エレメンツへの、いや、会場の全員へのメッセージなのだろう。春日ジュリナを全国区のアイドルにしたこの曲になぞらえて。地区予選を制し、全国大会に名乗りを挙げるのは自分達だという、確固たる決意表明――!


「勇気を出せない――ままで終わりなんて――諦めきれずに――駆け上がったホーム――」


 結依は食い入るように彼女達のパフォーマンスを見ていた。真夏の太陽がじりじりと肌を焼くように、スタジアム全域に発せられる焦熱の気が自分の顔を赤熱させているのがわかる。

 結依は思わず一歩後ずさっていた。それは何の意味もない動作だった。下がれば避けられるようなものじゃない。空気が、空間が、世界全体が瑠璃たいようの輝きに熱されている。


「トラブルで――電車は止まり――君の顔が――目の前にあった――」


 Bメロのラスト、奥側から瑠璃と冴子の二人が陽炎かげろうのようにステージ正面へ歩み出てくる。右腕を振り上げる振り付けから、隊列フォーメーションが散開。客席に向かって差し伸べるように伸びる五人の手。捻る身体、上がる膝。瑠璃の瞳がぎらりと輝く。――来る!


「恋してる――君に恋してる――もう躊躇ためらいはしない――」


 サビに入ったその瞬間、結依は思わず目を細めた。そのままでいると、太陽の眩しさに網膜を焼かれそうで。


「恋してる――君に恋してる――神様がくれたチャンス――」


 この曲は結依も何度も歌ったことがある。聴こえていた頃も、聴こえなくなってからも。だけど――

 自分にはとてもこんな風に歌える気がしない。どんなに声を張り上げたって、彼女の足元にも及ぶ気がしない。


「恋してる――君に恋してる――声が嗄れるくらいに――」


 目がくらむような輝き。この胸の闘志までも焼き尽くされそうな熱量。

 百万の言葉を並べても到底足りない。規格外だ。問題外だ。熱さも眩しさも激しさも、何もかもが――。


「誰にも譲れない――黄金ハウリング!」


 気付いた時にはパフォーマンスが終わっていた。いや、終わった気がしなかった。

 瑠璃達は、もうステージからけているのに――

 その残影が。残響が。残光が。対者を寄せ付けぬ炎の砦となって、今もステージにそびえ立っている。


「ユイちゃん、行こう」

「頼んだわよ。センター」


 華子とマリナが自分の正面でそう唇を動かしているのが見えた。結依はハッと我に返り、二人に頷いて、邪魔な眼鏡グラスを取り払った。

 そうだ、負けるわけにはいかない。夢のためにも。ここまで一緒に来てくれた仲間達のためにも。

 炎には炎だ。自分にはそれしかない。敵が天地を照らす太陽ならば、こちらは天をも焦がす灼熱の火柱となろう――!


「ワン、トゥ、スリー!」


 マリナが手首を叩いてカウントアップしてくれるのに合わせ、結依は二人と共に戦場ステージへと躍り出た。後攻こちらの一曲目は華子、マリナとの三人ユニット。音響の振動が、ステージを包む空気の震えが、結依の心を奮い立たせる。


「行きます! 『ミニスカートの叛逆はんぎゃく』!」


 華子とマリナがイントロに合わせて左右に別れ、三人横並びからのターンで曲が始まる。三人ユニットで歌えるよう練習してきた曲目の中で、最も激しい一曲。狭苦しい社会に反旗を翻す少女達の叫びを描いた、秋葉原エイトミリオン・チーム・リーヴスの往年の公演曲。

 歌い出しの間際、二人と目が合った。自分を信頼してセンターを任せてくれた二人の思い。下手しもてから見守ってくれている怜音とあいりの思い。五人全ての思いを乗せて、この一曲を炎で彩る!

 初めて向き合ったあの夜、瑠璃あなたは言った。互いの二つ名に恥じない戦いをしようと。

 望むところだ。あなたの知らない空白の三年間、音の閉ざされた世界で磨き続けてきた「灼熱のユイ」の炎のやいば――その切っ先が、紅蓮の太陽に届くところを見せてやる!


「大人は――しきりに勉強しろとか――」

「学歴で――人生が決まるとか――」

「あれこれ――言うけど――バカらしい――!」


 二人から歌割りを引き継ぎ、結依はサビに向けてマイクを握り直す。

 見るがいい、春日瑠璃。これがわたし達の全力全開。血統も、才能も、環境も――何もかもを持ち合わせた瑠璃あなたに下克上を挑む、意地と根性の叛逆レジスタンス


たたかえ――少女の叛逆はんぎゃくの時――全てを蹴散らし叫ぶんだ――」


 全身全霊を解き放ち、結依は言霊ことだまをメロディに乗せる。それは音無き世界じごくから天空へ突き抜ける灼熱の業火ごうか。ステージに残る太陽の残光を目掛けて、必殺の炎が殺到する!


 ――だが――。


「無力な――少女の」


 何故だろう。息が――


叛逆はんぎゃくの時――」


 息が――苦しい――。


規則きまりも――」


 いつものように歌えない。いつものように踊れない。

 いや、違う。いつもと同じように歌い踊っているはずなのに。

 ステージに敵が残した熱気を――

 太陽の残り火を、破れない――!


指導しつけも――打ち破れ――」


 歌に、ダンスに、勢いを込めれば込めるほど――

 敵の残光が、それを飲み込んで輝きを増す。

 歌えば歌うほど差が引き立つ。藻掻もがけば藻掻もがくほどこの身を焼かれる。太陽に挑み、地に墜ちた翼人イカロスのように――。


「ッ……!」


 構うな。進め。他に選べる策なんてない。自分にできることはただ一つ。ただ熱く、眩しく、激しく、輝くだけ――!


「――権威に――ひれ伏すなんて……」


 だけど――


「できや……しない……」


 歌の最後、本来なら大きく張り上げるべき自分の声が、消え入るような呟きにしかならなかったのが結依にはわかった。

 そんな。もう終わりだなんて。もっと歌いたいのに。もっと歌わないと敵わないのに――。

 荒い息を弾ませ、結依が力なく腕を下げたとき、その右手からずるりとマイクが滑り落ちた。ごん、と、多分そんな音を立ててステージの床に転がるマイクを、結依は呆然とした意識で見下ろしていた。

 無意識に右手の指を折って手のひらを撫ぜると、自分の手がぐっしょりと汗に濡れていることに気付いた。手のひらだけじゃない。額も首筋も胸元も。たった一曲の、それも一番ファースト・バースだけのパフォーマンスで、何時間ものレッスンを終えた後のような滝の汗にまみれていた。


「どうして……」


 思わず言葉が口をついて出てしまっていた。どうして。どうして。

 今の一曲、ギアを上げに上げた自分に、華子とマリナは本当によく付いてきてくれていた。勝てないのは自分のせいだ。だけど、どうして。どうして、この炎で敵わない――!?


「楽しい戦いをありがとう、ユイちゃん」


 いつの間にか一曲目の判定が表示されていた。大差で勝利を収めた春日瑠璃が、いつのまにか上手かみてからステージへ歩み出て、結依の取り落としたマイクを拾い上げてくれていた。

 余裕の表情で結依を見下ろし、マイクを差し出してくる瑠璃。その唇の動きがこう語っている。「でも、ちょっと残念だな」と。「あなたはもっとやってくれると思ってた」と。


「……まだ」


 汗と何かに滑る唇を噛み、結依は言い返す。


「まだ、終わってないでしょ……!」


 それがただの強がりなのは、自分でもわかっていた。

 直接向き合って初めてわかる、春日瑠璃の本当の力。アイドルになるためだけにこの世に生まれてきた神の申し子。こんな相手に、どうやって勝てば――。


「何曲歌ったって無理よ。わたしの後ろには春日ジュリナがいる。あなたの後ろには誰かいるとでもいうの?」


 ぎらり、と、瑠璃色ラピスラズリの瞳が結依をまっすぐ見据えてくる。その心に残った火種の一欠片かけらまでも、容赦なく吹き飛ばすように。

 マイクを受け取り、結依は二人とともに下手しもてに下がる。自分の足だとは思えない何かを引きずって。

 そして、敵の二曲目が始まる――。

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