Track 03. 熱戦
『続きまして、準々決勝、第一試合を開始します――』
眼前にポップアップする
まっすぐな視線で見上げる先には、都内最強の呼び声高い「
スクールアイドルで天下を取ると心に決めた時から、この対決を思い描かない日などなかった。彼女らを倒さずしてその先はない。彼女らに勝たずして夢を叶えることはできない。
『先攻、
上級生を差し置いて中心に立つのは、「
一人だけでは敵わないかもしれない。だが――。
『後攻、
今の自分には頼もしい四人の仲間がいる。誰よりアイドルを愛する
彼女達との出会いが、こんなにも早く、自分を春日瑠璃の前に立たせてくれたのだ。
「ユイちゃん。全力で向かってきてね」
満員の観客の視線がステージに注がれる中、瑠璃はマイクを通して堂々と言ってきた。
ステージの中心で向き合っただけで、びりびりと鋭い空気が結依の肌を刺す。劇場でプロのアイドルを見ている時にすら感じない空気。「お客さん」に対しては決してぶつけることのない種類の
すぐにでもプロで通用するに違いない瑠璃が、どうしてスクールアイドルに寄り道をしているのか最初は不思議だったが――
二度もの宣戦布告を経た今ならわかる。彼女は求めているのだ。
「……もちろん。ルリちゃんも」
「青春……か」
他人を羨んでも仕方がないと何万回も自分を戒めてきたが、それでも結依は少し羨ましかった。青春とか、ライバルとか、そんな遊びに興じる余裕を与えられた瑠璃のことが。
戦いを楽しむ余裕なんて、自分には微塵もありはしない。
結依が掴もうとしているものは、あまりにもか細い蜘蛛の糸。ここで「Marble」に勝ったとしても、続く準決勝と決勝も勝てるかどうかはわからない。優勝して春の全国大会に進んだとしても、どこまで結果を残せるかはわからない。
それでもわたしは、賭けるしかないんだ。暗闇の中、手探りで針に糸を通すような狭き道に。そんな道を選ぶ必要もない強者達を、今この場で退けて――。
「ユイちゃん」
華子の手が横からそっと自分の手に添えられたとき、結依は初めて、己の全身が未だかつてないほどの緊張に強張っていたことに気付いた。
結依の身体は武者震い以外の何かに震えていた。子役時代のどんな本番の前よりも。この学校に入ってからのどの戦いの前よりも。
まさか、自分は恐れているのか。瑠璃と戦うことを。彼女に負けることを。
「わたし達が付いてるからね」
スミレ色の文字列がそう続いた。結依がハッと彼女の顔を見ると、華子は温かく笑って、「ホラ」とステージを目で示してくれた。
強張っていた心をじわりと融かすような微笑み。結依はこくりと頷いて、彼女の温かな手を握り返す。
結依は華子の声を知らない。声色も口調も想像でしかない。だけど、きっと、彼女の声は、今この世にいる誰よりも、自分を優しく包み込んでくれていて――。
「華子さん……ありがとう」
時は満ちた。
客席に背を向けて立つのは、「Marble」の
この曲は――!
見慣れた音符の並び。よく知った振り付け。
センターポジションは春日瑠璃とキャプテンの
「街を
歌詞もメロディも全て覚えている。ならば煩雑なVRレイヤーなど取り払って、心の目でしっかりと瑠璃達のパフォーマンスを見たかった。
「どうして――言えなかったんだろう――お別れのその瞬間まで――」
ダブルセンターの大宮冴子を引き立て役にして、瑠璃は歌う。三十年以上を経ても色褪せないその歌詞を。
唇の動きなんて見るまでもない。秋葉原エイトミリオンを知る者で、この曲を
春日ジュリナにとって。名古屋エイトミリオンにとって。そしてエイトミリオングループの歴史にとって、大きな転機となったこの曲。本店メンバーでも誰もが入れるわけではないシングル選抜に、当時十一歳の春日ジュリナは発足直後の名古屋エイトミリオンから唯一選ばれ、本店の不動のセンター・
いくらでもオリジナル曲を持っているはずの「Marble」が、敢えてここでこの曲を選んできた理由はただ一つしかない。これは
「勇気を出せない――ままで終わりなんて――諦めきれずに――駆け上がったホーム――」
結依は食い入るように彼女達のパフォーマンスを見ていた。真夏の太陽がじりじりと肌を焼くように、スタジアム全域に発せられる焦熱の気が自分の顔を赤熱させているのがわかる。
結依は思わず一歩後ずさっていた。それは何の意味もない動作だった。下がれば避けられるようなものじゃない。空気が、空間が、世界全体が
「トラブルで――電車は止まり――君の顔が――目の前にあった――」
Bメロのラスト、奥側から瑠璃と冴子の二人が
「恋してる――君に恋してる――もう
サビに入ったその瞬間、結依は思わず目を細めた。そのままでいると、太陽の眩しさに網膜を焼かれそうで。
「恋してる――君に恋してる――神様がくれたチャンス――」
この曲は結依も何度も歌ったことがある。聴こえていた頃も、聴こえなくなってからも。だけど――
自分にはとてもこんな風に歌える気がしない。どんなに声を張り上げたって、彼女の足元にも及ぶ気がしない。
「恋してる――君に恋してる――声が嗄れるくらいに――」
目が
百万の言葉を並べても到底足りない。規格外だ。問題外だ。熱さも眩しさも激しさも、何もかもが――。
「誰にも譲れない――黄金ハウリング!」
気付いた時にはパフォーマンスが終わっていた。いや、終わった気がしなかった。
瑠璃達は、もうステージから
その残影が。残響が。残光が。対者を寄せ付けぬ炎の砦となって、今もステージに
「ユイちゃん、行こう」
「頼んだわよ。センター」
華子とマリナが自分の正面でそう唇を動かしているのが見えた。結依はハッと我に返り、二人に頷いて、邪魔な
そうだ、負けるわけにはいかない。夢のためにも。ここまで一緒に来てくれた仲間達のためにも。
炎には炎だ。自分にはそれしかない。敵が天地を照らす太陽ならば、こちらは天をも焦がす灼熱の火柱となろう――!
「ワン、トゥ、スリー!」
マリナが手首を叩いてカウントアップしてくれるのに合わせ、結依は二人と共に
「行きます! 『ミニスカートの
華子とマリナがイントロに合わせて左右に別れ、三人横並びからのターンで曲が始まる。三人ユニットで歌えるよう練習してきた曲目の中で、最も激しい一曲。狭苦しい社会に反旗を翻す少女達の叫びを描いた、秋葉原エイトミリオン・チーム・リーヴスの往年の公演曲。
歌い出しの間際、二人と目が合った。自分を信頼してセンターを任せてくれた二人の思い。
初めて向き合ったあの夜、
望むところだ。あなたの知らない空白の三年間、音の閉ざされた世界で磨き続けてきた「灼熱のユイ」の炎の
「大人は――しきりに勉強しろとか――」
「学歴で――人生が決まるとか――」
「あれこれ――言うけど――バカらしい――!」
二人から歌割りを引き継ぎ、結依はサビに向けてマイクを握り直す。
見るがいい、春日瑠璃。これがわたし達の全力全開。血統も、才能も、環境も――何もかもを持ち合わせた
「
全身全霊を解き放ち、結依は
――だが――。
「無力な――少女の」
何故だろう。息が――
「
息が――苦しい――。
「
いつものように歌えない。いつものように踊れない。
いや、違う。いつもと同じように歌い踊っているはずなのに。
ステージに敵が残した熱気を――
太陽の残り火を、破れない――!
「
歌に、ダンスに、勢いを込めれば込めるほど――
敵の残光が、それを飲み込んで輝きを増す。
歌えば歌うほど差が引き立つ。
「ッ……!」
構うな。進め。他に選べる策なんてない。自分にできることはただ一つ。ただ熱く、眩しく、激しく、輝くだけ――!
「――権威に――ひれ伏すなんて……」
だけど――
「できや……しない……」
歌の最後、本来なら大きく張り上げるべき自分の声が、消え入るような呟きにしかならなかったのが結依にはわかった。
そんな。もう終わりだなんて。もっと歌いたいのに。もっと歌わないと敵わないのに――。
荒い息を弾ませ、結依が力なく腕を下げたとき、その右手からずるりとマイクが滑り落ちた。ごん、と、多分そんな音を立ててステージの床に転がるマイクを、結依は呆然とした意識で見下ろしていた。
無意識に右手の指を折って手のひらを撫ぜると、自分の手がぐっしょりと汗に濡れていることに気付いた。手のひらだけじゃない。額も首筋も胸元も。たった一曲の、それも
「どうして……」
思わず言葉が口をついて出てしまっていた。どうして。どうして。
今の一曲、ギアを上げに上げた自分に、華子とマリナは本当によく付いてきてくれていた。勝てないのは自分のせいだ。だけど、どうして。どうして、この炎で敵わない――!?
「楽しい戦いをありがとう、ユイちゃん」
いつの間にか一曲目の判定が表示されていた。大差で勝利を収めた春日瑠璃が、いつのまにか
余裕の表情で結依を見下ろし、マイクを差し出してくる瑠璃。その唇の動きがこう語っている。「でも、ちょっと残念だな」と。「あなたはもっとやってくれると思ってた」と。
「……まだ」
汗と何かに滑る唇を噛み、結依は言い返す。
「まだ、終わってないでしょ……!」
それがただの強がりなのは、自分でもわかっていた。
直接向き合って初めてわかる、春日瑠璃の本当の力。アイドルになるためだけにこの世に生まれてきた神の申し子。こんな相手に、どうやって勝てば――。
「何曲歌ったって無理よ。わたしの後ろには春日ジュリナがいる。あなたの後ろには誰かいるとでもいうの?」
ぎらり、と、
マイクを受け取り、結依は二人とともに
そして、敵の二曲目が始まる――。
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