駄作バスター ユカリ

板野かも

『駄作バスター ユカリ』本編

第1話 異世界テンプレ小説を斬る

序章 紫式部

 瘴気しょうき満ちる宮中きゅうちゅう魔性ましょうの影一つ。夜闇に紛れて女子おなごを襲い、屈強な衛士えじ達をも血祭りに上げて神聖な殿上でんじょうを荒らし回るは、当節洛中らくちゅうを騒がせる悪しき魔物。

 鋭い爪を血の色に染め、爛々らんらんと目を光らすの姿は、禍々まがまがしき猿の姿を持つ醜悪なる狒々ひひ。古来より女子おなごを襲う魔物として知られ、の怪力たるや万人ばんにんもってもかなわぬと伝わる。


「ええい、晴明はるあきらだか! 斯様かような魔物に宮中を荒らされては、の世は終わりじゃ!」

道長みちなが様。お下がりなさいませ」


 天下人てんかびとと呼ばれた男の取り乱すさまをかすかに笑い、闇を割いて響くは女の声。


陰陽寮おんみょうりょう洛中らくちゅう百鬼夜行ひゃっきやこうへの対処に手一杯の御様子。代わってわたくしの魔物の相手を致しましょう」


 揺れる炎の中に姿をあらわ十二単じゅうにひとえ狒々ひひの巨体の飛びかかるをひらりとかわし、緑の黒髪を振り乱して女が叫ぶは文殊菩薩もんじゅぼさつ真言しんごん


おん阿羅破紗能あらはしゃのう蘇婆訶そわか!」


 女の鋭い眼光に魔物が怯み――刹那、女の手元にたちまずるは、身の丈程もある巨大な筆。

 墨のしたたる筆を手に、女は狒々ひひの巨腕を右へ左へかわし、天下人、道長みちながの引きる顔を見下ろす。


「おいたわしや、道長様。あさましき情欲のあまり、斯様かような駄作を世に生み出して仕舞われるとは」

「駄作? 我が栄華えいがの物語が駄作とな」

「左様に御座います。の魔物は、貴方あなた様のにも付かぬ駄文を無理矢理に読まされ続けた者共の、詰まらぬと思う気持ちが現世うつしよに生み出した悪意の顕現けんげん眉目秀麗びもくしゅうれいなる公達きんだち只管ひたすら女子おなご共をたぶらかし、の世の栄華を極める――斯様かように浮き沈みが無く退屈な物語など、筆者たる貴方様以外の一体誰が楽しめるものでありましょうか」

「おのれ、式部しきぶ! よくも女の分際で我が物語、き下ろしてくれたな、手打ちにしてくれる!」


 道長の震える身体からだしかし、女を手打ちにするどころか、魔物を前に立ち上がることすらも叶わぬ。

 女は不敵に笑って筆を構え、一閃。たま散る墨の一筋ひとすじが、狒々ひひの巨腕より漏れ出る仮名文かなぶみを塗り潰し、の動きを虚空こくうへと封じ込める。


「推敲の時間に御座います」


 そして女の大筆がそらに紡ぐのは――道長の駄文とは似ても似つかぬ、美しくも悲しい物語の筆致。愛憎にまみ懸想けそうに溺れ、因果と応報を繰り返すむらさき所縁ゆかりの物語。


わたくしならば……公達きんだちには悲しき宿業しゅくごうを与えます。幼き日に見た初恋の女性にょしょうの横顔、永久とこしえらまほしき人の面影を求めて永劫えいごう藻掻もがく――満たせども満たされぬ悲しみの物語を」


 魔物を生むのが駄作の力なら、魔物を消し去るのは美しき推敲の力。

 女が筆を振るう度――醜悪なる狒々ひひは徐々に存在の力を失い、やがて夜闇へと還元されてゆく。魔物の消えた殿上でんじょうには、ただ涼しき風が吹き抜けるのみ。


「式部よ。其方そなた魔性ましょうか」

「いいえ。斯様かような駄作を世に出さんとした貴方様こそが、魔性に御座います」


 身の丈程の大筆は何時しか消え失せ、代わりに女の手にはふじの花をあしらいし小振りの扇。


おのが力量を超えた物語に手を出し、つたない筆力で駄作を世に生み出して仕舞う者共が、れよりのちの世にも数多あまた現れましょう。ですが、御安心なさいませ――わたくしの力を受継ぐ者が、何時いつの世も大筆を振るい、魔物から現世うつしよを守り続けるでしょう」


 差し込む月光に照らされ輝くは、凛と鳴る鈴の如き怜悧れいりな女の横顔。後の世にう、女性にょしょう紫式部むらさきしきぶと。

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