3 最悪への前日譚

 あれから数日後、隼人は雄吾の葬儀に出席する事となった。

 殺した本人が白々しく葬儀に出るのは最悪な話だとは思ったが、それでも呼ばれたのだから出ざるを得ない。

 色々な事を悟られないように心掛けて親戚の前に顔を出す事にした。


 この日に至るまでに分かった事なのだが、どうやら雄吾は吸血鬼と戦って死んだ事になっているらしい。

 当然それは真実ではなくて、では何故そんな事になっているのかを調べると、おそらく雄吾が事前に手を講じていたのだと察する事ができた。

 あの日、雄吾は隼人を殺さずに止めるつもりであの場に現れた。

 だが万が一自分が敗北した時の為に、桜野隼人が容疑者として上がってこないように手を講じてくれた。

 あまりにも実際の出来事と剥離したその情報の数々に、直前に言っていた、やらなければならない事というのはつまりそういう事だったのだろうと察する。

 自分はそういう相手を殺してしまったのだと改めて認識して、胸が締め付けられる。


 そして当然の事ではあるが葬儀の場には綾香も出席していた。

 綾香はずっと、酷く重い表情を浮かべていた。

 声を掛けられる気はしなかったし、掛けられる言葉も無かったし、掛ける権利もきっと無かった。

 だけどその日、偶然二人きりになった時に綾香に話しかけられた。


「雄吾から伝言を預かってる」


「……伝言?」


「お前は何も悪くない。気に病むな、だって」


「……ッ」


 どうやら雄吾はそんな事まで根回しをしてくれていたようだった。

 そしてその根回しの中核に綾香がいるという事は、多分綾香は雄吾から聞かされているのだろう。

 聞かされて知っていて、それでも雄吾の意思を尊重して何も言わないでいてくれているのだろう。

 報告すべきところに報告しないでいてくれているのだろう。

 その証拠に綾香から向けられる視線は酷く冷めていて。その日はそれ以外の会話も無く。

 多分これから先も無いのだろうと察した。


 実質的な絶縁だ。


 それだけで。その程度の事で済ませてくれていた。

 そんな風に。

 隼人の周囲が致命的に壊れてしまった中で、唯一壊れなかった物が一つ。


「……おかえり、桜野君」


「ただいま」


 冬野との関係性だ。

 あの一件の後、冬野はボロボロになった自宅で寝泊まりする訳にもいかず、新居が見つかるまでという話で隼人の家に居候していた。

 元より一人で住むには広い部屋だったし、一応辛うじて生活できるレベルだった隼人の自炊スキルを遥かに上回るプロフェッショナルが冬野雪という女の子だった訳で、居候をし始めた日以降、明らかに生活水準が一、二段階程上がったのを実感できた。


 そして……そうでなくても、本当に冬野が居候をしてくれて良かったと隼人は思う。

 自分のしでかした事が重くのし掛かってくる。

 人を殺した認識に苛まれる。

 それが他ならぬ雄吾である事に胸が張り裂けそうになる。

 そんな中でのうのうと生きている事が辛い。

 そんな現状で辛うじて行き永らえているのは、冬野が側にいてくれるからだと思う。

 一緒にいると落ち着く。それだけで心が救われる。


 そしてそんな冬野といると、きっとこれでも自分は悔いの少ない選択ができたのだと。

 本当に一番大切な物だけは守り抜けたのだと。

 きっと間違っていなかったのだと。

 自分自身のやった事と存在そのものを肯定できる。

 だからなんとか立っていられる。


「お兄さんのお葬式に出るって聞いて、ちょっと心配だったんだ……大丈夫だった?」


「親戚一同、皆俺が兄貴を殺したなんて微塵にも考えていなさそうだったよ。綾ねえには知られてたけど……まあ、こうして帰ってこられてるって事は大丈夫って訳だ。もう口聞いてもらえないだろうけど」


「……大丈夫じゃないじゃん」


「大丈夫だよ。この位で済んだなら。冗談抜きで殺されたって文句は言えなかった」


「……ごめん」


「だから謝んな。本当にお前は何も悪くねえんだ。兄貴が兄貴の意思でお前を狙って、俺が俺の意思で兄貴を殺した。ほんと……ただ、それだけなんだからさ」


 そう、ただそれだけの話。

 全ての過失は自分は自分にあるのだ。


(絶対に……冬野にだけは背負わせてたまるか)


 散々意思をへし折られ続け、一人で生きていけるか分からない程に傷ついて。

 それでも最後まで辛うじて守り抜いた自分の意思だ。

 冬野には最後まで普通の女の子でいてほしい。

 人道を外れず、罪を背負わず、どこまでも普通な女の子でい続けてほしい。

 あらゆる敗北を重ねても、せめてそれだけは譲りたくはない。

 ……最後の、その時まで。


「……」


 一つ確信的な事が一つ。

 もしも冬野の父親が死に至った理由が、見鬼に映った事だったと仮定して。

 もしその滅血師が当時から不定期に日本中を飛び回っていた桜野雄吾だったとすれば。

 おそらくその時点で冬野にまで雄吾の手が届いていただろう。

 今の自分達の現状があるのは桜野雄吾が自身の弟と対峙していたからに過ぎないから。


 つまりその場合、自分と雄吾以外に一度も血を吸ったことがない吸血鬼のオーラを見鬼で視認する事ができる滅血師が居たという事になる。

 いるかもしれないとは思っていたが、それが憶測の域を越える事となる。

 だとすれば……本当に、最後の時がいつ来るのか分からない。

 自分や雄吾を上回る見鬼の才を持つ滅血師がいつ現れるか分からない。


 それはもう、現実的に起こりうる事なのだ。


 その時自分がその場所にいて、一体何ができるのか。何ができるつもりでいるのか。

 おそらく最も実行が困難な相手に殺意を向けて殺した今、その他多勢の誰か位は、弱音を言って泣きじゃくりながらも殺していけるんだと思う。

 ここから先、桜野隼人という人間はどうしようもない道程を歩んでいく事になるだろう。

 だけど……そうする事で冬野が隣にいてくれるなら。

 頑張って進んで行こうって思えるのだ。


「そ、そうだ桜野君。そろそろ戻ってくる頃だと思って焼いてみたんだけど食べる?」


「え、マジで? 食べる食べる」


「じゃあとりあえずコーヒー淹れるよ。ブラックで良かったよね?」


「おう、ブラックで」


 こうして彼は束の間の日常へと戻っていく。

 いつまで続くか分からない。彼の守りたい。縋りたい日常に。


 これは長い長い前日譚だ。

 彼と彼女が男女の仲になるまでの。

 歴史に名を刻む程の、最悪な殺人鬼が生まれるまでの。

 長い長い前日譚。

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