11 理想

「……ッ」


 おそらく眷属化したのであろう滅血師の少年に一方的に半殺しにされた男、皆本優斗は、残った力で全力で逃亡した後、人気の無い路地裏で壁を背にその場に座りこむ。

 あれから随分時間が経過した様に思えるが、まだ傷は殆ど治っていない。


 最初に遭遇した時に一瞬で幻術を掛けられた事や、眷属化での身体能力の向上を考慮してでも尚高い身体能力を誇らせるに至った呪術による肉体強化。

 それらからあの少年が滅血師として相当高い実力を持っている事は良く分かって。

 そんな滅血師から放たれた攻撃は、有象無象から攻撃を喰らった時より遥かに治りが遅い。

 それだけ質の高い攻撃だった。


 だが傷が治らないのはどうでも良かった。

 そう思う位には、心に負った傷が深刻だった。


 だってそうだ。

 今の今まで目を背けていた可能性を突きつけられてしまったのだから。

 それを突きつけられるというのは、これまでやってきた事全てを全否定する様な物だから。


 だから結果論にはなるけれど、あの滅血師の少年だけは絶対に襲ってはいけなかった。

 そして……片手で頭を抱える優斗に近寄ってくる匂いがあった。


 滅血師の匂い。

 強い吸血鬼が持つ、滅血師が纏う呪術の残り香を感じ取る嗅覚がそれを感じ取った。

 本来感じ取れるのは数メートルが限度とされているのだが、優斗は半径三十メートルの滅血師を探し出せる。それだけ強い吸血鬼だったから。


「……」


 逃げようにも戦おうにも体力がなく。

 それ以上に気力がなかった。

 正直もう此処で終わってもいいかと。

 寧ろ終わらなければならないと思った。

 だから受け入れる様に。

 招き入れる様に。 

やってきた滅血師に視線を向け……そして目を見開いた。


「久しぶりだな、優斗」


「……ッ」


 現れたのは百年に一人の天才滅血師。そして……優斗のかつての親友。

 優斗が初めて人を殺したその日まで親友だった相手である。


「何年ぶりだ。えーっと、高二の時からだから確か……そうか、もう六年か」


「……なんでお前がこんな所にいる。転勤にでもなったか?」


「俺はまだ地元にいるよ。だけど綾香はこっちに配属されてて……後、俺の弟が今この辺住んでてな。流石にお前がいて、アイツらもいるなら無理矢理にでも来るさ」


「……俺を殺しにか?」


「……まあ、そういう事になるな」


 雄吾は複雑な表情でそう言って、それから優斗に問いかける。


「なあ、優斗……お前、なんで一般人を殺さなかったんだ。昔俺に言ってたよな。お前の吸血能力は人の血を吸えば吸う程強くなる。滅血師も一般人も見境なく殺し続けて血を吸い続けていれば、お前今頃核爆弾でも殺しきれない程の強さになってたんじゃないのか?」


「そうかもしれねえな。少なくとも今こうして死にかけたりしてねえのは間違いねえよ」


 と、そう言って苦笑いを浮かべた後優斗は言う。


「ま、単純な話だ。一緒に肩並べていきたい奴らを殺してどうすんだって。殺すのは見境なく全部殺す滅血師と、何の罪もねえ一般人を貪り食うイカレた吸血鬼だけでいいだろ」


「……そうか」


 雄吾は静かにそう言って頷く。

 かつての親友が取っていた行動が、大体自分の予想通りだったという風に。

 せめて予想通りであってくれたと安堵する様に。


「でも他にやり方は……無かったよな」


「……昔、俺達が抱いていたのは確かに理想の世界だったよ。だけど冷静に考えてそんなのは絶対に無理なんだよ。実現できる訳がねえ」


 言いながら思い返す。高二の夏の日までの桜野雄吾とは親友という間柄だった時の事。


 人間と人間を装う吸血鬼とではない。

 人間と吸血鬼の親友関係だった。


 中学二年のある日、雄吾と綾香が吸血鬼に殺されかけた時に助けに入って三人で吸血鬼を殲滅した。

 その際自身が吸血鬼である事が露見し……それでも二人に受け入れられた。


 そこから社会一般的に考えれば歪で非人道的な、そんなコミュニティーが形成される事になった。

 最も……たったの三年で崩壊した訳なのだが。


 何か複雑な事が起きた訳では無い。そこに誰かの陰謀があったわけでもなく、ただ当たり前の事が起きた。

 ただそれだけの事だった。


 両親が滅血師に殺された。

 多分人前で怪我でもしたのだろう。

 二人共人間の血液など吸った事がないという吸血鬼らしくない吸血鬼で。

 とても立派な大人だったにも関わらずだ。


 分かっていた。

 両親を殺した滅血師が悪かった訳でもない。

 そんな事はすぐ身近に滅血師の親友がいたのだから嫌でも理解できる。

 だけど出来たのは理解までだ。


 自分の両親を殺された事が。

 自身に刃を向けられた事が。

 どうしても納得できなかった。


 いっそのこと大人しく殺されてやろうかと。

 死んでしまおうかと。

 そう思うだけの絶望で。

 このまま自ら命を絶とうかと。

 逃げながら真剣にそう考えたりした事もあった。


 だけどこの世界に希望は辛うじて残っていたから。


『優斗お前今どこにいる! あ、先に言っとくが別にお前殺そうとしてる訳じゃないからな! 正直もうどうすりゃいいのか分からんがお前を助けたい。だから居場所教えろ!』


 そんな電話を掛けてくれる様な親友がいたから。

 自分の存在を見てくれて、肯定してくれる親友がいたから。


 だから、そこに可能性を見出した。


 せめて。ほんの少しだけでいい。

 人間性の様な物を見てもらえさえすれば。

 今の自分の様に心配の一つ位はして貰えるのだと。

 泣きたくなりながらそう思ったから。

 だからこの世界を変えてやりたいと思ったのだ。


『雄吾。俺は世界を変えるよ』


 あの時、雄吾の言葉を半ば無視して、それだけを告げて電話を切った。


 綺麗な理想の世界にはできなくても。

 せめて吸血鬼というだけで殺されない様な世界に。

 ほんの少しだけでも公正な判断をして貰える様に。

 世界のあり方を変えたいと思った。


 例え自分が最終的にそこにいなくても、全体の0.01パーセント程はいてくれる筈の人間らしい倫理観を持っている吸血鬼の為に。

 見知らぬ誰かが当たり前の幸せを享受できる様に。


 その為には滅血師という存在がどうしても障害だった。

 必死になって吸血鬼を探し出し、人的被害を少しでも減らそうと奮闘してくれる正義の味方が障害でしかなかった。


 だから雄吾や綾香の様な、吸血鬼の内面を見てくれる類稀な存在以外の滅血師を一人残らず殺してやろうと思った。

 同時に頭のおかしい吸血鬼も殺して回り、滅血師の代わりにだってなろうとした。


 それがどうしようもないエゴだという事が分かっていても。


 だからこそ……あの滅血師の少年とだけは絶対に戦ってはならなかった。


 匂いを辿って対峙するに至った滅血師の少年を優斗は殺したつもりだった。

 幻術を喰らった為生死の確認はできなかったが、致命傷を与える事は出来た筈だ。


 だが再び匂いを辿って辿り着いた先で少年は生きていた。

 その時は幻術が思った以上に効いていて、与えたと思った致命傷が実は与えていなかったのではないかと思ったが、問題はそこからだった。


 もう一人。

 部屋の中に居た滅血師の匂いがした少女の腕を弾き飛ばした時。

 少女が優斗の攻撃を腕で防ごうとし、腕だけを弾き飛ばす形になった。

 そうした直後その少女から滅血師の匂いは消え、代わりに吸血鬼のオーラを感じ取れるようになった。

 更に徐々に少女の傷が回復していて、滅血師だと思って攻撃した相手が吸血鬼だと確信するに至った。


 何故そんな間違いを犯したのかが分からぬまま、今度こそ致命傷を与えた筈の少年が飛びこんでくる。

 まさに自分の前で激痛に悶えている少女の物と思われる名前を叫びながら。


 初対面の時、精神的な病気を疑う程に酷く怯えていた少年が、怯えの全てを掻き消したようにまっすぐな表情を浮かべて少女を守る為という風に。


 そして殴り飛ばされた先で眷属化という可能性に辿りついた。

 状況的に冬野と呼ばれた少女によりそれが行われたのなら、致命傷を与えても生き残る理由に説明が付いた。

 だが説明が付いたのは。

 理解が及んだのはその一つに限った話だ。


 眷属化された人間にも明確に自我が残る。

 故に多少なりとも主を守ろうとする心理的な後押しはあっても吸血鬼を守ろうとする様な真似はしない。


 当然やろうと思えば人形のように操り、半強制的に動く戦闘人形のようにする事も可能ではあるが……あの少年には明確な自我があった。


 自我が有った上で吸血鬼を守ろうとした。


 それはあの異様な怯えを掻き消すだけの眷属化の後押しがあったとしても、そもそも吸血鬼を守ろうとする明確な意思がなければ成立しないものの筈だ。


 それが理解できなかった。

 意味が分からなかった。

 だけどすぐに分かろうとしていないだけだという事に気付いた。


 だってそうだ。それを理解すれば……自分が目を背けていた可能性に目を向けなければならなくなるから。

 自分が殺そうとした相手が、自分の中で絶対に殺してはならないと思っていた類の人間だという事に。

 そして今日の様な相手を今までも何人か殺してきたかもしれないという可能性に。

 どうしたって目を向けなくてはいけなくなってしまうから。


 だけど分かろうとしていない事に気付いたのなら、どうしてもそれを分かろうとしてしまって。

 してしまうと……徐々に外堀を埋める様に。

 連鎖的に色々な事に理解が及ぶ。


 血液を吸ったばかりで。

 そして今まで殆ど血なんて吸ってこなかったであろうオーラを纏う吸血鬼の少女はあの少年を助ける為に血を吸ったのだろうという事が。

 あの吸血鬼が滅血師の様な反応をしていたのは、おそらくあの少年が何かしらの対策を講じたのであろうという事が。


 あの二人の存在は自分が思い描いた綺麗な理想そのものだったという事が。


 それを自分が壊そうとしていた事が……どうしようもなく理解できてしまう。

 その結果が今の有様。心がへし折れた今の自分だ。


「……なあ、雄吾。お前は頑張れよ」


 力無い声で優斗は言う。


「今すげえ吸血鬼殺しまくってるだろ。それこそテレビで報道されまくるレベルでよ。昔の滅血師なんて止めちまいたいなんて言ってたお前ならもうちょっと躊躇ってただろうに。つまりはお前なりに覚悟決めてやってんだ。やんなきゃいけない事だと、そう思ってんだ」


「まあな。個人に世界は変えられない。だったらせめてさ、今ある物だけでも必死になって守っていかなきゃいけないと思うから。だから俺は吸血鬼を倒すよ。見境なく例外無く」


「手ぇ、震えてんぞ雄吾」


 少し呆れた様に優斗はそう言ってから、一拍空けて雄吾に諭す様に言う。


「折れんなよ。お前がやろうとしている事は……必死になって頑張ってる事はさ、きっと……絶対に間違いなんかじゃねえんだからさ」


 そう言った次の瞬間、優斗は力の全てを使って勢いよく立ち上がり、雄吾に跳びかかる。


「……ッ」


 予想通りの激痛が腹部に走る。腹部を反射的に言わんばかりに放たれた拳が貫いていた。


「……優斗、お前……」


「……なに間抜けな声出してんだよ馬鹿が。これで良いんだよ」


 今度こそ完全に致命傷で、諭す様に言いながら静かに吐血する。

 これでいい。

 こうでなくては駄目だ。

 自分はもう殺されるべき吸血鬼で、そして自惚れかもしれないけれど、雄吾に殺される事で雄吾の背中を押せる様な、そんな気がしたから。

 せめてほんの少し位報われるべき願いの、後押し位はできると思ったから。


「……最後に一つ、いいか」


 だけど最後にどうしても。聞いておきたい事があった。これさえ聞いて、良い答えが返ってくるなら、後悔も悔いもあったとしても、それでもいいと思える気がしたから。


「……なんだ、優斗」


「綾香の奴……元気か?」


「……元気だよ」


「そりゃ……良かった」


 残したのはそんな言葉。優斗は満足した表情を浮かべ、ぐったりと動かなくなった。

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