10 事件現場にて

 道中、全速力で走りながらも吸血鬼には最大限の注意を払っていた。

 隼人は勿論、冬野も。

 今の怪我では遭遇するだけで致命的な状況に陥りかねないから。

 そうした状況の中で、冬野という自分に味方してくれている吸血鬼の存在は非常に大きく作用してくれる。

 同族を視認する力が、致命的な状況に陥る前に止めてくれる可能性を高めてくれる。


 その点は本当に心強かった。

 だけど結論だけを言えば吸血鬼どころか人間ともすれ違う事は無かった。

 人間的には今の状況下で出歩く物好きは少ない。

 そして仮にこちらが気付いていないだけで吸血鬼の視界に入ったのだとしても……件の男がそうしたように、冬野に譲っているのかもしれない。


(だとしたらほんと、今日はずっと冬野に助けられてるな)


 そう考えながらしばらく走り、ようやく先程のコンビニの裏口前へと辿り着いた。


「……着いたね」


「とにかく滅血師がいねえ事を祈るしかねえな……頼むぞマジで」


 そう言いながら中に入ろうとした所で……内側から扉が開けられた。


(誰かいる!?)


 頭が真っ白になりかけた。

 こんな状況で中に誰かいるのだとすれば、それは滅血師である可能性が高い。

 だとすれば。

 今こうして出てきたのだとすれば、確認するようなものは全て確認済みなのではないだろうか?


(だとすりゃどうする。どうすりゃいい!?)


 と、考えが纏まらない内にその先に居た人物が視界に入った。


「……隼人?」


「綾……ねぇ?」


 中にいたのは綾香だった。そして綾香は突然の隼人の登場にキョトンとした表情を浮かべた後、血の気が引いた表情で隼人に言う。


「……ちょ、はや……隼人! 腕! 腕折れてるじゃない! 何があったの!?」


 心配してそう言ってくれるが、まさかここで起きた事をそのまま言う訳にもいかない。


「さっき吸血鬼に襲われかけてた冬野を……コイツを助けに入って。まあその時に。ああ、とりあえずそっちの方は処理できてるよ」


 適当なアリバイをでっち上げた……が。


(……って駄目だ、監視カメラ確認されてたら結局意味ねえ!)


 と、そこまで考えた所でようやく気付いた。


(いや、ちょっと待て……俺の怪我の事を知らねえなら、見ていないんじゃねえか?)


 監視カメラの映像で分かるのは冬野の事だけではない。その場で紛いなりにも件の男と戦った隼人の事も分かる筈なのだ。


「……よかった、無事で」


 それを知らない……という事はだ。


「綾ねえの方は? なんでコンビニの裏口なんかから出てきたんだ?」


「通報があって此処に回されたの。隼人には来なかった?」


「いや、俺こんな状態になる過程でスマホ落としたみたいで……で、中はどうなってんの? 犯人の手懸かりになるような情報は? 監視カメラの映像とかどうだったよ」


「遺体は残ってないし犯人に繋がるような物も落ちてない。監視カメラもレコーダーが破壊されてて確認不可。分かった事って言えば、此処に来る前に聞いてた犯人の容姿位」


「そ、そっか……」


 言葉を返しながら、自分の憶測が確信に変わり胸を撫で下ろすような気分になった。とりあえず確定的に、冬野が吸血鬼であるという事に繋がる情報は無くなったと言っていい。


(……多分あの男だな。冬野に気を使ってくれたんだ)


 あの状況でコンビニの監視カメラに冬野の情報が残るという事は少し考えれば理解できる話で、冬野の事を善意で見逃したのならば、そこまでやっていてもおかしくはない。

 倫理観こそ最悪だったが、最低限その一点位はまともで助かった。不幸中の幸いだ。

 と、そう考えていると綾香は言う。


「でも……まあ結局、そんな情報はいらなくなったんだけどね。あくまで此処で死んだ吸血鬼がどこの誰で、何が起きたのかが分からなくなっただけで」


「此処で……死んだ? その吸血鬼が?」


「私が此処に来た時、聞いていた容姿の吸血鬼は別の吸血鬼と戦っていた。まあ戦いっていっても半ば一方的な感じだったけど」


「……は?」


 意味が分からなかった。

 少なくとも自分が冬野と逃げた時、そこには自分達と件の吸血鬼の三人しかいなかった。

 そこに第三者がやって来てそうなったのだろうと思うが、何故そんな事態に発展したのか。

 吸血鬼は基本同族同士で争わない。

 私怨でもあったのだろうか?

 吸血鬼であるという事はわかっても、姿を変えていてどこの誰かも分からない相手に対して。

 そして一方的。あの桁外れに強い吸血鬼相手にだ。

 本当に意味が分からない。

 そして分からないでいる隼人に綾香は言う。


「多分殺されてた方は例の吸血鬼だと思う。一方的にやられてたけど、あの動きは私が前に見た吸血鬼の動きと同じだったし。後、死んで灰になる前に一瞬、全く違う姿になったの。多分元の姿に戻ったんだと思う。こんな意味の分からない形で事件解決しちゃったわ」


 苦笑いをした綾香だったが、その後すぐ深刻そうな表情で言う。


「まあ雄吾を倒すような奴を圧倒するような強い吸血鬼がこの辺り近辺にいるって考えると、事態は余計に悪化してる気がするけど」


「……だな」


 本当に最悪である。


「で、綾ねえ。その吸血鬼はどんな奴だった?」


 一応今回がイレギュラーだっただけで、基本的に容姿を知っておくというのは大きなアドバンテージになる。勝てなくても、事前に察知して引くことが可能になるかもしれない。


「狐の面を被った男……って感じね」


「……ッ」


 それを聞かされれば嫌でも結び付く情報がある。

 滅血師が集中して狙われるのは稀な事件ではあるが、過去に例が無かった訳ではない。

 現在進行形で起きている事件が一つある。

 今回の事件のように一つの街に留まり続けるのではなく神出鬼没。

 全国各地どこにでも現れて滅血師を何人も殺してまた姿を消す。

 そんな吸血鬼による殺人事件。


 その容疑者というのが狐の面を被った男だ。


 今まで県内に出現した事はなかったがついに現れてしまった。

 これまでぼんやりとしか上がってこなかった、強さの指針を新たに見せつける形で。


(でもなんであの吸血鬼と争ってんだ?)


 やっている事は同じようなもので、それこそ同族という括り以上の繋がり。

 同胞という言葉がしっくり来るような、二人はそんな関係性になり得てもおかしくない筈だ。

 ……本当に一体何が起きたのだろうか。

 そして分からない事がもう一つ。


「ていうか、よく無事だったな綾ねえ。こう言っちゃなんだけど、なんで生き残れたんだ?」


 狐の面の男は滅血師を狙う。

 そんな中で件の吸血鬼の姿が元に戻るような、そんな瞬間を綾香は目撃したのだ。

 つまりそれが可能な立ち位置にいた筈で。

 向こうの視界にも入ってる筈で。

 なのに何故綾香は生き長らえたのだろうか。


「私が一番知りたい。実を言うとね……あまりに次元が違う戦いに腰抜かしてて。逃げようにも逃げられなかった。で、あの面の男が例の吸血鬼を倒した時、次は私が殺されるって思ったの。だけど……一瞬私の前で立ち止まりはしたけど、そのまま素通りしていった」


「……素通り?」


「そ、素通り。意味わかんないでしょ。まあ私的には殺されなかったから良かったけど」


「そ、そうだな……それだけ、ほんと良かった。意味はまるでわかんねえけど」


「とにかく今、そんな状況だから。その怪我もあるし……とりあえず隼人はもう下がりなさい。上からなんか言われたら私が責任取るから」


「……分かった。とりあえずコイツ家送ったらそのまま支部向かうわ」


 端から下がるつもりだったけど、一応ありがたく頷いておいた。

 と、ここでようやく綾香の意識が、これまで全く会話に入ってこなかった冬野へと向く。


「あなたも怪我は無かった? すごい血塗れだけど」


「は、はい。返り血ですし……うん、桜野君が守ってくれたから」


 冬野は口裏を会わせるようにそう答える。本当は全部冬野が守ってくれたのだけれど。


「お互い名前知ってるって事は、同じクラスだったりする?」


「はい、友達です」


「へぇ、友達……ね」


 そう言った綾香は隼人と距離を詰め、隼人にしか聞こえないような小声で言う。


「……その怪我でこんな事言うのもおかしい気がするけど、良かったじゃない良いところ見せられて」


「……そ、そういうのじゃねえから」


「……あ、これ絶対そういう奴だ」


 綾香はどこか新しいおもちゃを見付けたような笑みを……普段通りの笑みを浮かべる。

 事の始まりから色々あって、ようやく普段通りの笑みを一度だけでも見せた訳だ。それは決して悪い事ではなく良い事なのだろうが、隼人からすれば堪ったものではない。


「えーっと、冬野ちゃんだっけ?」


「は、はい」


「隼人の事、よろしく。ほら、隼人もちゃんと責任もって冬野ちゃん送り届けてあげてよ」


「わ、分かってるって」


 今後色々と面倒そうな気がする。

 そんな事を考えていると、綾香は気合いを入れ直すように体を伸ばす。


「……さて。じゃあ私ももう行くわ」


「綾ねえはこれからどうするんだよ」


「私は見回りを続ける。雄吾がいない分、私がしっかりやらないと」


 綾香の顔色は悪い。間違いなく過労や心労が原因なのは明白で、正直まともに動いていい状態ではないのだろうけど……それでもその意思は強い。

 雄吾と同じで本当に立派な滅血師だ。

 自分がそうありたいかは別として素直に尊敬する。

 だけど……そんな綾香でも、もし冬野が吸血鬼だと知れば殺すだろうと思うと、やはり本当に正しいのかどうかが分からなくなってくる。

 だけどそんな話を綾香とする訳にはいかないから。


「その……気を付けてな」


「隼人もね。冬野ちゃんも」


 そう言って綾香はその場から歩いて去っていく。

 そんな綾香を見送った後、冬野が言う。


「桜野君、お姉ちゃんいたんだ」


「いや、兄貴の幼馴染。まあ殆どそんな感じなんだけど」


 そうでなければ目上の相手にあんなため口を利きはしない。


「そんな事より……大丈夫か? 正直怖かったんじゃねえの?」


「……まあね。今まで桜野君相手でもああだった訳だし」


 冬野は苦笑いを浮かべてそう言う。当然と言えば当然の反応。だけどそんな冬野は言う。


「それにしても……大丈夫かな、あの人」


「あの人って……綾ねえの事か?」


「うん。ほら、まあ桜野君も似たようなものだけどさ、顔色悪かったじゃん。いつ倒れてもおかしくなさそうで、心配だなって思ってさ」


 そんな冬野の言葉に少し疑問を感じて、隼人は問いかける。


「いや、さ。俺を助けてくれた理由は分かったよ。だけどさ……冬野的に滅血師っていない方がいいんじゃねえの?」


「ん? つまりどういう事?」


「いや、なんというか……別に知り合いだった訳じゃない滅血師をお前が心配してるのって、なんか違和感あるなーって思って」


「ああ、そういう事か……うん、まあ気持ちは分かるよ。そりゃまあ実際怖い訳だし。でも怖いのと嫌いなのは別だよ。同じだったら私が桜野君助けてるの意味わかんないじゃん」


「ま、まあ確かにそうだけどさ……」


「別にね、私は滅血師の事は嫌いじゃないんだ。寧ろ普通に頑張れって思う」


「頑張れって……自分を殺すかもしれない相手だろ」


「いや、まあそうなんだけどさ……これでも私、一応人間として生きてるわけだし。友達も人間で、たまに話してる本屋のおばちゃんも人間で、好きなお笑い芸人や俳優の人だって多分人間。勿論……桜野君も。それが私の生きたい世界だから。その世界を私利私欲で壊していくような頭のおかしい吸血鬼相手に、怪我なんて負ったらそう治らないのに必死になって戦ってるのが滅血師。そりゃ頑張れって思うよ。尊敬だってしてる。怖いけどね」


「……」


「いや、ちょっとおかしいかな。吸血鬼的には頭がおかしいのは私の方だ」


「おかしくない」


 思わず声が出た。


「おかしくなんてない」


「……ありがと」


 そう言って冬野は小さく笑みを浮かべた後に言う。


「とりあえずそろそろ行こうよ。監視カメラも無かった訳だし……なんか桜野君も私も、どっちに対してもヤバそうなのがこの辺りにいるかもしれない訳だしさ」


「……だな」


 冬野にそう促されて、今度こそ冬野の家を目指す事にする。

 当然警戒しながら。

 件の吸血鬼を倒した事により、どんな行動をしてくるか分からない狐の面の吸血鬼が現れても、ある程度の対処ができるように。

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