俺の猫が2ヵ月帰って来なかった理由(わけ)
小畑 こぱん
俺の猫が2ヵ月帰って来なかった理由(わけ)
ベランダに出て階下を見渡すと街明かりに照らされて、カボチャ色をした夕暮れの中を普段しない格好をして人が歩いて行くのが、目に入って来る。
そういうのを見ると今年もやってきたなと、一年の節目をしみじみと感じ入ってしまう。
今日という日は秋の終わりを象徴する、十月三十一日。
世間、いや世界中でハロウィンと名を冠する、お菓子争奪・コスプレ祭りという弾ける日である。しかも今年は、該当曜日がサラリーマンも学生も大体が休日の日曜日となっている。
若者はコスプレをして意気揚々と街に繰り出すのだろう。あぁ羨ましい。
俺は手にしていた缶コーヒーを一口煽り、緩慢な足取りでベランダから室内へと戻った。
今年で三十八歳。平日は仕事でクタクタになり、休日は部屋で日がなボーッとダラダラ過ごす、独身街道まっしぐらな孤独なおっさんだ。
そんなおっさんの癒しと言えば、一緒に住んでいる飼い猫のクロスミ。身体も目も真っ黒で、まるで墨汁をぶっかけられたかのような見た目の色から、クロスミと名付けた。
しかしそのクロスミ、九月を少し過ぎた辺りから家出をしてしまっていた。
孤独なおっさんとの生活がそんなにも嫌だったのか、今日まで帰って来ていない。
どうしてだ!
ご飯はオーガニックな高級キャットフードで、ふわふわフカフカの猫ちゃんハウスもあるのに!
そんなことを家出された初日、仕事から帰宅して部屋のどこにもいないことで家出されたと発覚した瞬間に叫んだ俺は、ネット掲示版にも探偵事務所にも捜索依頼を出し、自身も仕事の営業にかこつけて捜し回る日々だった。
そのせいか、俺の先月と今月の営業成績は奮わなかった。下降の一途を辿った。
ちゃんと戸締まりもしていた筈なのに。
だってここはマンションで、この部屋は七階にあるのだ。いくら猫の身体能力が優れているとはいえ、七階から落ちたら怪我どころじゃ済まないだろう。
一体どうやって我が家から脱走したのか。
クロスミが帰って来たら小一時間問い質したいところである。
「……今日は人も多いだろうし。人に慣れているから、どこかの子供が見つけてくれているかもしれない」
希望的観測を呟く。
隣に一人で住んで暮らしている高校生は、よくクロスミを可愛がってくれていた。
今日は先程まで街中のありとあらゆる公園を捜索して駆け回っていて、ヘトヘトに疲れて一度戻って来たのだ。
疲労困憊した身体に鞭を打ち、クロスミ捜索のため、脱ぎ捨てていたジャケットを羽織ってまたエレベーターに乗り込みマンションを出る。
「さむっ!」
さすがに夕方になると気温が下がって、風も吹いている。
コスプレなんぞして、よく若者たちはあんな薄着でこんな外を歩けるものだ。
暫く道なりに歩き続けていると、前方に子供が道路にしゃがみ込んでいるのを見つける。
何だろうと思いながら近づくと、それがよくクロスミを可愛がってくれている高校生のお隣さんだと気づいた。
「
呼び掛けるともっさりとした頭を上げて、こちらを振り向く。
「あ、こんにちはぁ~」
「こんにちは。何してるの?」
「ん? いや、スミがゴロゴロしてたから何してんのかと思って」
「え。……クロスミ!?」
驚き慌てて黒都くんの傍まで走り、仰向けになって彼の手に腹を撫でられているその黒猫を見て、目玉が飛び出るくらいに驚いてしまった。
あれだけ毎日毎日必死こいて捜していたのに、何を暢気にお隣さんの手でゴロニャンしているんだお前は!!
力なくしゃがみ込めば、そんな俺の様子に黒都くんが不思議そうな声を上げる。
「どーしたんですか?」
「いや、コイツずっと家出してて。毎日捜してたんだよ。ありがとな、見つけてくれて」
「なにスミ。お前家出してたのぉ?」
うりうり、と指でクロスミの額を撫でる黒都くんのそれに軽く猫パンチしている。
ミャー。
……鳴き声を聞く限りは元気そうだ。見た目体重も落ちてなさそうだし、どこかでエサでも貰っていたんだろうか。
「ふーん。……あぁなるほど、お察し。じゃあおじさんも大変だったし、スミも大変だったんだねぇ」
「そうなんだよ。そう言えば黒都くん、最近見掛けなかったけど部活でも入ったのか?」
彼はクロスミに会いによく顔を出してくれていたが、愛猫が家出したと同時期にぱったりと来なくなっていた。
俺はずっとこの猫を捜すことに掛かりきりだったので、そんなことにも今更気がつく。
黒都くんは重そうな
「うんにゃ。俺も先月はちょっと忙しかったんですよ。そーいえばおじさん、今日って何の日か覚えてます?」
言われ、もちろんと頷く。
「ハロウィンだけど」
「じゃあトリックオアトリート! お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ!」
ニパッと笑って両手を差し出してきた彼の手に、クロスミがていっ、と猫パンチした。
黒都くんは男子高校生だが年齢の割に身体が小柄で、喋り方も相まって実年齢よりも幼い印象を受ける。しかも休日だから制服じゃなくてパーカーとスウェットという出で立ちなので、下手したら小学校の高学年くらいに見えてしまう。
まぁ彼もまだ高校生で子供だ。お菓子くらいあげなくては、孤独身おっさんの肩書にケチという称号までついてしまう。
そう思い、クロスミを見つけてくれたお礼も兼ねてありとあらゆるポケットを
「……ちゅ~る」
「……すまん。俺の手持ちは今これだけしかないんだ」
「まぁ、食べようと思ったら食べれるけど」
「ダメだからね!? これ人間食べちゃダメなやつだからね!?」
しかし彼は俺の手からちゅ~るを取ったかと思うと、ペリリと開け始めた。
まさか本気で食べるのかと慌てて取り戻そうとしたら、黒都くんはクロスミに向けてちゅ~るを食べさせ始める。び、びっくりした。
「スミも家出して頑張ったみたいだから、俺からのお礼~」
ちょっとよく分からないことを言っているが、俺も久しぶりの愛猫の食事姿をじぃっと見つめた。
うん、食欲も家出前と変わっていない。良かった。
と、ちゅ~るを食べさせている黒都くんの顔がこちらを向く。
「お菓子くれなかったから、俺の知っているお話一つ聞いてくれる?」
「え。あ、うん」
イタズラを決行されるよりは全然良いので、お礼も兼ねて聞くことに。
高校生とおっさんなので若者の話についていけるかと、頷いた後で若干心配になったが、そんなものは杞憂に終わった。
「せっかくだからハロウィンに関するお話。あれって元々、とある人種の儀式なんですよねぇ。その人種にとっての一年の終わりって、こっちで言う大晦日と正月みたいなもんで、実りの秋が終わって冬が始まる。そんな時に死んじゃった人達の霊が家族を訪ねてくるって、信じられていたんだって。そりゃ家族の霊が会いに来てくれるんなら嬉しいかもしれないけど、悪い霊まで家に来ちゃったら大変ですよねぇ。だからそんな悪霊から身を守るために、仮面を被って魔除けの焚き火をしていたって宗教的な話なんですよ」
豆知識のようなタメになる話を聞かされて、へぇと頷き感心する。
「黒都くん、物知りだな」
「色々勉強してますからぁ。だから今みたいな、よくコスプレしているのって俺はどうかと思うんですよ。あんなことされたら、あっちとこっちで見分けるの大変になっちゃうのに」
「あっちとこっち?」
「うん。あっちとこっち」
話している間にクロスミもちゅ~るを食べ終わり、ペロペロと毛づくろいをし始めたのを見て、黒都くんが抱き上げて俺に渡してくる。
「スミ見つかって良かったですねぇ」
「本当だよ。おいクロスミ、もう家出するなよ?」
みゃー、と本当に意味が通じて返事をしたのかどうなのか、苦笑してしまう。
立ち上がったところで、黒都くんも立って俺を見上げてくる。……何だ?
「黒都くん?」
「俺がここ通らなきゃ、スミ見つからなかったと思いますよ?」
「……え」
ゆるりと首を傾げ、その口が弧を描く。
「俺がこの道を通り、今日は霊が来るハロウィンの日だった。しかも前までアイツも現れていたから、この道、あっちと繋がりやすくなっちゃってるんですよ。家出してたこの二ヵ月はスミにとっては悪い夢のようなもの。こっちに戻ってこれて良かったねぇ、スミ」
にゃー、とクロスミが鳴く。
まるで彼の言っていることが解っているかのように。
どこか薄ら寒いものを感じて何も言葉を紡げなくなっていると、黒都くんは一度空を見上げて笑い、緩く手を振って歩きだした。
「じゃあ俺、今から勉強しに行かなくちゃならないんで!」
そう言って去っていく小柄な背中を、黙って見送る。
勉強と言いながら、しかしその身一つで一体何の勉強をしに行くのか。それもこんなハロウィンの夕暮れから。
若者の考えることは分からないと腕の中のクロスミを一撫でし、一人と一匹で暮らしているあのマンションの部屋へ帰ろうと、彼が去って行った方向とは逆方向へ足を向ける。
黒都くんが見上げていた空を、ふと何故か俺も見上げたくなってその目に映した。
部屋のベランダから見た夕暮れはカボチャ色をしていたのに。
いま見上げている空の色は、濃い青がまるで焚いた火の灯りを覆い隠すかのように、大きく広がっていた。
俺の猫が2ヵ月帰って来なかった理由(わけ) 小畑 こぱん @kogepan58
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