第27話 放浪②
ハルグラッド・カシクは、ユリアーナ騎士団の正団員。
騎士団結成時、新規団員を公募した際に、唯一採用されたのが彼女だ。
彼女はカシク城伯の1人娘であり、城伯に相続権はないものの、慣習的に相続が繰り返されてきた歴史からカシクの名を名乗っている。
きっかけはカシク城付近に出現したドラゴンだった。
人間はドラゴンに勝てない。
時折人里近くに姿を現すドラゴンは人間を――特に術士の命を求めている。
ドラゴンは知能のある生命体だ。
人里に姿を見せるが直ぐには襲わない。
そのまま里から近い山などに降り立ち、しばらく時を過ごす。
そしてしばらく待った後に人里を襲い、住民を皆殺しにするのだ。
それを防ぐために、竜戦争と呼ばれる、戦争とは名ばかりの生け贄の献上が実施されるのが常だった。
ドラゴンはある程度術士を喰らえば満足して何処かへと帰って行く。
誰かが犠牲になることで、住民の大量虐殺を防げるのだ。
カシク城を任されているハルグラッドの両親も、城伯の務めとして竜戦争に参加した。
生きては帰れぬ、死の決まっていた戦争だ。
奇跡でも起こらなければ両親の帰還はあり得なかった。
だが奇跡は起きた。
カシクでの竜戦争において、人間によってドラゴンが倒されるという、女神ユリア以来の偉業が達成されたのである。
滅竜天使ティアレーゼ・B・イルディリム。
彼女の活躍によって、ハルグラッドの両親だけでなく、カシク城の臣下達も全員無事に帰還した。
ハルグラッドは両親の命を救ったティアレーゼの役に立ちたいと、単身上京し、結成されたばかりのユリアーナ騎士団へお抱え画家として入団した。
騎士団での彼女の役割は、団員の肖像画を残すことと、ユキが記載している騎士団日誌の挿絵を描くこと。そして騎士団の功績を描き、騎士団の必要性を訴えること。
画家としてのハルグラッドの腕前は卓越していて、人物画は素早く忠実に。風景画はじっくりと時間を掛けて遊び心を持たせて描く。
ユキが時折指示する、事実とは異なる要素を持った絵についても、彼女はこれ以上ないほどの完成度で描いてきた。
そんな彼女からの、1ヶ月も前の手紙が発掘された。
カシクの城を発った彼女は、1ヶ月経った今も王都には姿を見せず、何処かを彷徨っている。
「寄り道をしているだけでしょう」
戦慄する面々を尻目に、1人だけユキは平然とそう決めつけた。
ハルグラッドの放浪癖はいつものことだ。
だからわざわざ、王都に向かう際は出発日を明記した手紙をユキ宛てに送るようにと言いつけていたのだ。
多少の寄り道は想定の範囲内。
前回だって、ハルグラッドは出発から2週間ほど経ってから騎士団施設に顔を出したのだ。
生憎ちょうどその時騎士団施設は襲撃を受けていたので、実際に顔を合わせられたのはごく少数だが、それでもきちんと到着したのに違いはない。
だがサリタは反論する。
「そういうレベルの話じゃないわよ!
1ヶ月よ!
旅費だって尽きるし、そもそも生きてるかどうかだって怪しいわよ!」
「一度領地に戻ったのでは?」
スミルが希望的観測を述べる。
流石に1ヶ月放浪するのは無謀すぎる。
何しろカシクの城から王都までは2日あれば到着する。
ハルグラッドは長旅の準備などしていないはずだ。
「もしかしたら国境を越えてるかもね」
ストラは特に意識するわけでもなくそう口にした。
だがその言葉で、楽観していたユキも確かにその可能性もあったと、この問題について真剣に取り組むことにした。
「ハルグラッド様は画家とはいえユリアーナ騎士団の正団員。
シャルロット姫殿下直属の騎士団が隣国で問題を起こせば、国際問題に発展します」
現在の国際情勢では、小さなきっかけでも大問題に発展する可能性がある。
大天使シャミア帝国とは異界戦役をきっかけに終戦しているが、それまでは度々戦争を起こしてきた。
3ヶ月前の運命厄災は王国が仕組んだなどと言う、根も葉もない噂が流布されているという事実もある。
「ですがハルグラッドさんが何処にいるのか、知る術がありませんよね?」
ティアレーゼが確認するように言うと、その場にいた全員の視線が彼女へと集まる。
その視線にティアレーゼは戸惑い、ちょっとしてから意味を理解すると、慌てて首を横に振った。
「ちょっとバツですよ!
ハルグラッドさんを探すためだけに天使の力を使うなんて!」
「国際問題になってからでは遅いので、そこを1つお願いできませんか?」
ジルロッテが頼むと、ティアレーゼは頭を抱えて悩む。
天使の力は世界のために授けられたものだ。
されど目前に迫った問題もある。せっかく戦争が終わったというのに、また王国が戦火に見舞われるのは御免被りたい。
「――ホントはバツなんです。
ですけど、皆さんの安心のために、ちょっとだけハルグラッドさんの場所を確認します。
それで王都の近くにいるのが分かれば後は何もしませんからね」
「はい。それで構いません」
ジルロッテが頷く。
ティアレーゼはブックカバーに触れて、天使の力を引き出した。
軽く目を閉じてハルグラッドの魔力を探す。
空間を司る天使であるティアレーゼにとって、世界は全て目の前にあるのと変わらない。
直ぐにハルグラッドの姿は見つかった。
真っ赤な髪をした女性。
身長は平均よりやや高めで、お洒落好きな彼女は、装飾の多い冬用のコートに身を包んでいる。
荷物の溢れた巨大なカバンを脇に置き、小さな椅子に腰掛け、白く染まった山々の絵を描いている。
のんびり風景画を描く彼女に、焦っている様子は微塵も感じない。
とにかく、天使の力によってハルグラッドの所在は確認出来た。
「地図を――流石先生。準備が良いですね」
ティアレーゼが目を開けると、既に机の上にはユキによって王国と近隣国の地図が広げられていた。
ティアレーゼは王国内北部地域のある点を指さす。
「ここで絵を描いているようです」
「北部国境の近くまで来ていますね」ユキがその直ぐ北側にある国境線を示す。「北海連合王国とリムニ王国の関係は比較的良好ですが、運命厄災において数少ない不凍港が被害を受けたため、一部諸侯がリムニ王国へ恨みを募らせている現状です」
「問題ないとは思いますが、手を打った方がよろしいかも知れませんね」
ジルロッテがユキへと対応案を出せないかと言葉を投げる。
「王都からは距離が遠いです。
今から迎えに向かっても、途中で入れ違いになるでしょう。ハルグラッド様が真っ直ぐに王都を目指すとは考えられませんから」
「じゃあどうすんのよ」
サリタが棘のある言葉を投げつけると、ユキは光沢のない瞳でティアレーゼをじっと見つめた。
視線の意味にティアレーゼは直ぐに気がついたが、しばらく気がつかないふりをして、それも長くは続けられずに口元を引きつらせながら回答する。
「ハルグラッドさんを、こちらに転移させた方がよろしいですかね……?」
「いいえ。
ティアレーゼ様が力を使うべきではないと判断するのであれば、ストラとスミルに迎えに行かせます」
「え!? あたし達!? まあ、良いですけど」
「わー、楽しそう」
ストラとスミルは突然名指しされて驚くが、ユキの頼みとあれば断れない。
何より迷子の迎えという雑務については、正規団員より訓練生の方がふさわしい。
でも入れ違いになる可能性もあるし、既に国境越え目前の位置だ。悠長にしていられない。
ティアレーゼは決断した。
「私が迎えに行きます。
ハルグラッドさんに助けが必要なら、そのまま一緒に帰ってきます」
「分かりました。
しばしお待ちを」
ユキは一時退席し、手のひらに方位磁石を持って戻ってくる。
「イブキ様の作成したコンパスです。
もしハルグラッド様がご自身で王都を目指すと言うのでしたらこちらを渡してください。北の位置が分かりますので、地図と合わせれば迷うことはないでしょう。
それに、持たせておけばこちらから現在位置が分かります」
地名入りの地図を丸め、コンパスと共にティアレーゼは受け取った。
「では行ってきます」
ティアレーゼはブックカバーに触れる。
中に納められた日記帳が金色に輝くと同時、彼女の姿は消失した。
◇ ◇ ◇
ハルグラッドは白く染まる山々の絵を描くのに夢中だった。
すっかり冬がそこまで来ている。
肌を刺す寒さも、季節の移り変わりを感じさせる。
風景と冬の寒さを合わせてキャンバスに写し取ろうと筆を動かしていると、背後に大きな魔力の反応。
ハルグラッドは、筆を置き、キャンバスを片付け、それから法石から魔力を引き出して武器を具現化しようかと、順を追って実行に移しだしたのだが、筆を置いたところで声を掛けられた。
「あの、ハルグラッドさん」
懐かしい声だ。
それがティアレーゼの物だと直ぐに分かった。
「あー、ティアちゃん!
お久しぶり。お久しぶりですよね?
いやあ、すっかり王都の近くも寒くなりましたねぇ」
のんびりと、独特なイントネーションで話すハルグラッド。
彼女は自分が王都の近くにいると思い込んでいるようだった。
ほんわかした、微塵も不安を感じさせない表情をしていた。
「お久しぶりです。
そのですね、実はここは王都の近くではなくて、北側の国境線の近くです」
「あらー?
そうなのですか? 道理で寒いと思いましたよー」
状況を理解できているのか怪しい、どこまでもマイペースを貫くハルグラッド。
「ええと、王都を目指しているのですよね?
出発から1ヶ月経っているのはご存知です?」
「当然ですよ。
時が経つのは早いですよね。
少しばかり寄り道してしまいましたが、これを描き終えたら真っ直ぐに王都を目指しますよ」
「それは良かったです。
ちなみに王都がどちらの方角かは把握されています?」
「もちろんです。
向こうですよね」
ハルグラッドは北の方角を指さした。
王都は王都でも、北海連合王国の王都がある方角だ。
「違います。
そちらですと、国境を越えてしまいますね」
「ええ?
でも一昨日、小さな村できいたときは向こうだって言ってましたよ」
「あ、多分それ、国境越えた側で尋ねましたね。
リムニ王国の王都は向こうです」
ハルグラッドの指さした方角とは正反対を示すティアレーゼ。
天使の力を使ってでも来た価値はあったと少しばかり安堵して、それから提案する。
「よろしければ、王都まで送ります。
歩いたら1週間かかりますし、既に1度転移しているので1度も2度も変わりませんから」
「転移ですか?
大丈夫ですよー。向こうに進めば良いんですよね?
だったら簡単です。問題ないです!」
ぴしっと敬礼のような仕草を決めて断言するハルグラッド。
ここまで問題なしと言うなら、きっと問題は無いだろう。
「分かりました」
ティアレーゼは頷き、手にしていた地図とコンパスを差し出す。
「地名入りの地図と、北の位置が分かる道具です。
使い方は――」
コンパスの使い方を教えて、みんな心配しているので真っ直ぐに王都へと向かうようにと頼み込んだティアレーゼ。
ハルグラッドも頷いて応じた。
「はいー。
王国祭も楽しみですからね。
真っ直ぐ王都へ向かいます」
「お願いします。
ちなみに旅費は大丈夫ですか?」
「全然大丈夫ですよー。
絵を売りながら旅していたら、むしろ出発したときより増えてしまった位ですからー。お気になさらず」
「では、多分1週間後に、王都でお会いしましょう」
「はいー。
たくさんお土産があるので楽しみにしていてくださいねー」
「それは楽しみです。
では失礼しますね」
ティアレーゼは転移してユリアーナ騎士団施設の図書室へと戻る。
身体はすっかり冷えてしまっていたが、暖炉の効いた図書室の空気に触れると直ぐに暖まった。
ティアレーゼはハルグラッドの様子と、会話の内容をその場で報告し、後は気長にやってくるのを待ちましょうと結論づけた。
ハルグラッドの問題についてはそれでひとまず決着した。
それから10日が過ぎた。
ハルグラッドの現在位置は、東部国境線。
大天使シャミア帝国との国境付近を示していた。
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