落下するスフェーン

絵空こそら

落下するスフェーン

 スフェーンの葉の夢を見たのです。

と、彼は言った。

「木の枝から赤、黄、緑、それぞれのあわいの色の葉が、煌めきながら落ちてきます。それらは、地面にぶつかると硬質な音を立て、脆く崩れてしまうのです。枝から離れる一瞬にどうにか捕まえようと思うのですが、触れた瞬間それらは煌めく粒となり、さらさらと溢れていくのです」

 彼はその夢の話を、行きつけの酒場で語った。周りはえらいどんちゃん騒ぎで、仲間達は呆れたように

「彼は酔っ払うとこの手の話ばかりする」

と小突くのみで相手にしなかった。仲間達は最近の政治について熱く議論を交わし出した。彼は、夢の内容を言うだけ言うと、テーブルに突っ伏して寝てしまった。

 私はウヰスキーの入ったグラスを傾けながら、彼の話を反芻していた。


 初めて会った時の彼は探し物をしていた。落ち葉の山から一枚ずつつまみ上げ、些細に観察してはまた戻す、を繰り返していた。

 私は彼のいる場所から数メートル離れたベンチで読書をしていた。いつから彼がそこにいたのかわからないくらいには、熱心に読んでいたのだと思う。やがてカサカサという乾いた葉擦れの音が耳につくようになり、気づくと彼が近くで落ち葉をひっくり返していた。

 彼の存在に気づいてしまうと、何をしているのか気になり、読書に身が入らなくなった。私は本を閉じて鞄にしまい、彼の近くまで歩いて行った。

「何をしているのですか」

 彼は困ったような顔で振り返った。

「葉を探しているのです」

「どんな」

「赤い」

 私は彼の手元を見た。赤い葉が折り重なっている。

「どれも同じに見えますがねえ」

「そうなのです。だから困っているのです」

 彼は苦笑した。

「旅行の思い出なのです。その日は空が高く、陽の光が澄んでいました。なんの名所というわけではありませんが、偶然通りかかった並木道が紅葉の盛りでとても綺麗だったのですよ。ガーネットのように光っていました。僕はその景色に感動して、その光る葉一枚を枝から拝借して、栞代わりにしていたのです。先刻風で飛ばされて、この様です」

 彼は足元に目を落とした。

 探すのを手伝いましょう、と腕まくりをして屈もうとすると、彼は立ち上がってそれを制した。

「いや、いいのです、いいのです。そもそも、葉一枚で記念とするのは、愚かだったかもしれません。だって、紅葉は一枚ではあのように輝かないのですから。何重にと折り重なって、光が屈折して、その模様が美しいのですから」

「はあ、そういうものですか」

「そういうものです」

 彼は頭上の木を仰いだ。私もつられて上を見る。ちょうど陽が暮れようとしていた。赤い葉の群れは薄い色の空に影絵のように揺れていて、私にはガーネットのイメージと結びつけることができなかった。詩的な表現をするものだ。ふと興味が湧いた。

 同じ歳の学生だったこともあり、彼とはすぐに打ち解けた。近くの酒場に行くと言うので、ついでにご一緒させてもらった。

 以上が、この酒場に通うようになったいきさつである。


「いかん、もう4時だぜ」

という仲間の声で目が覚めた。

 どうやら私もうとうとしてしまったらしい。腕時計をみると確かに四時をまわっている。夜通し飲んでいたことになる。

 私は隣の彼を揺すった。

「アレックス、アレックス、起きて。帰ろう」

 彼は一度顔を上げて目を開けたが、ごんっという音とともに再びテーブルに臥した。

「駄目だこれは」

「だから飲むなと言うのに」

 仲間達は口々にため息をついた。

 結局コイントスで私が負けて、彼をアパートまで送り届けることになった。

 自分と同じくらいの体重の彼を背負いながら1kmを歩くのは容易ではない。限界がきたら道にはたき落としてでも降りてもらおうと思いながら、夜が明けかけた道を歩く。

 これまでも何度か通った、小さな木が整然と並ぶ小道だ。いくらか葉が落ちて、隅の方に固まっている。

 またしても私は彼の夢の話を思い出す。スフェーンの葉、か。それはたいそう美しいだろう。彼が見た景色を私も見てみたいと思った。

 その時、夜が明けた。

 陽が差して、あまりの眩しさに思わず目を瞑る。ゆっくりと瞼を開けると、目の前は燦然と輝いていた。

 赤、黄、緑、それぞれのあわいの色の葉が、光を反射させ、煌めきながらその表情を変える。私は呆然としてその景色に魅入った。ずるりと彼が肩から落ち、地面に衝突して小さな声を上げた。

 私は目を瞬かせてやはり呆然としている彼を振り返って笑った。

「なるほど、これはスフェーンだ」

 価値のある宝石は案外近くにあるのかもしれない。それは朝も昼も、夕暮れ時にさえ、見上げればすぐそこに。

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落下するスフェーン 絵空こそら @hiidurutokorono

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