第三話

「それで、こういうことでいいの? 母さん達が不審がって大変だったんだけど」

「ごめんね、大貫くん。ホントお泊まりの間だけ!」

 客間には三人分の布団が並んで敷かれ、早紀と孝志の間に加奈が入る。


 加奈は姉が就寝するタイミングで同じ布団に潜り込む予定だったが、まんまと早紀に窓側を取られてしまい、掛け軸と日本人形のある、とこの間が見える位置となってしまった。

 肝心の早紀は、酒を飲んですっかりと出来あがり、すでに夢の中であった。

 姉に背を向けると視界には日本人形。姉に抱き着いても背中側に日本人形。

 しかも季節は盆。この家にはふみだけでなく、孝志の先祖も帰ってきている。

 まさにいま霊障が起こるかもしれない――。

 涙を浮かべて狼狽した加奈は、孝志にメッセージを送り助けを求めたのだった。

 やむなく、家族の目もあるなか女性部屋に布団を持ち込んだ孝志は、内側の床の間と廊下が一番近い場所を陣取った。

「こんな古くて怖い家でごめんね……」

「違うよ、大貫くんのせいじゃないよ。あっしが悪いんだもん」

 電気が消えてしばらくしても、加奈はもぞもぞと布団の中で寝返りを繰り返しており、相当苦戦しているようであった。

「……加奈ちゃん、お姉さんの布団に入ったら?」

「うん……でも、お姉ちゃん仰向けじゃないんだもん」

 早紀は、加奈には背を向けて窓側に横向きに寝ているため、その姿は遠い。

 その時、わずかにぱきっと家鳴りがする。

「ヒィッ!」

 わかりやすく悲鳴のように息を呑む加奈。

「ごめん、ボロだから……」

「あっ、違うの。そういう意味じゃないの、ごめんねっ」

 加奈は聴覚と視覚を少しでも遮断しようと、薄い夏掛けの布団を頭までかぶる。

「ねえ、加奈ちゃん。こっち見て。手を貸して」

 孝志は彼女に自分のほうを向くようにうながす。

 恐る恐る掛け布団を取った加奈が、暗がりのなか孝志の顔のあるあたりを見る。

 互いに向き合うようになったら、孝志は腕を伸ばして加奈の手を握った。

「どう? これで怖くない?」

 孝志と互いの指が重なった瞬間は驚いたが、少なくともこの場は、誰かと触れて繋がっているという安心感で、加奈の恐怖も徐々に和らいでいく。

「……うん」

 やがて、そのままふたりは眠りに落ちていった。

 窓を向いて寝ていた早紀は、彼らがすっかりと眠った様子を確認すると、瞼だけを開いて笑みを浮かべた。



 翌朝。

 早紀は昨晩の出来事を何も知らないふりをして、孝志に詰め寄る。

「あたしが寝ている間に、女の子の部屋に布団ごと夜這よばい? さすが大貫家の後継ぎ様は自分ちだとやることが違うわね」

「いや、まぁ、その……えぇ、なんというか、あのぉ……」

 しどろもどろになる彼の様子に、早紀も思わず笑う。

 それでも妹の名前をすぐに出さないあたり、彼の優しさを垣間見た気がした。

 一方、孝志のおかげでなんとか安眠できた加奈は、自分の手に残る感触を確かめる。

「ありがとう、大貫くん」

 しおらしい彼女の振る舞いに、孝志もわずかに顔を赤らめて頭を掻いた。


 朝食を終えると、一行は車に乗って軽井沢へと向かう。

 孝志の父が運転をし、助手席には早紀、後部座席に孝志と加奈が座る。

「お父さんもせっかくのお休みなのに、なんか車まで出していただいて、すいません」

「ウチからだと軽井沢にはだいぶアクセスが悪いからね。それに小さな会社だけど、わたしが率先して休まないと社員が休みにくいから」

「すごーい、社長さんなんですか? やっぱり大貫さんちってご立派ですね」

 年配の男性を手玉にとる早紀のスキルは、教職ではなく接客業で発揮できるのでは、と孝志も舌を巻くほどの巧みな会話だった。

 ところが、後部座席のふたりは、昨晩のこともあって互いに無言になっている。

 孝志も、我ながら何故ゆうべはあれほどに自然に手をつなげたのかと驚いていた。

 以前、デスティニーランドに行った時は、ふみの祟りを解くために加奈の気持ちを利用して、敢えて攻めていた部分はあったが、昨日のそれとは全く違う感情であった。

 男として下心で触れたいという欲望も完全にゼロとは言い切れないものの、困っている彼女のために出来ることはないか、と悩んでのことだった。

 孝志は流れる車窓には一瞥もせず、自分の掌をぼんやりと眺める。

『女の子の手って、やっぱあったかくて柔らかいな……』

 遠い昔に握り交わした、淡い記憶の中で横に立つ女の子の、手の感触を思い出す。


 やがて、車は高速道路を下りて、軽井沢の市内へと入る。

 別荘や温泉地としての軽井沢ではなく、早紀が喜んだのはモダンな建物が並ぶ、軽井沢駅の周辺だった。

「やっぱり軽井沢と言ったらここよ。お洒落なパティスリーやカフェがたくさんあるじゃない!」

旧軽ぎゅうかる奥軽おくかるもいいもんずけどね」

「孝志くんは近いから慣れすぎなの。あたし達からしたら、ここがザ・軽井沢なのよ」

 ひとり年代の離れた孝志の父も巻き込んでの散策を始めた。

 カフェを何軒もはしごしては、スイーツを食べるを繰り返していく。

 早紀は観光パンフレットとスマートフォンを交互に見ながら、一軒の店を指差す。

「あっ、ここも『食いログ』で星よっつの話題のお店みたい。入ってみましょうよ」

 甘味が連続していたため、孝志の父は胸元をさすりながら堅い笑顔を浮かべる。

「じゃあ、わたしは車で休んでるから。ここは若いキミたちだけで入りなさい」

 そこでなにかをピンと察した早紀は、父の背中に手を添える。

「いけない。両親と弟にお土産を買わなきゃいけないんですぅ。お父さん、一緒に探していただいてもいいですか? あんたたちはここでイチ押しのスイーツをレビューしてきてよ」

 そう言うと早紀は手を振って、強引に孝志たちを分断した。

 既に何軒も回ったため、特に空腹感もない孝志と加奈は、店前で立ち尽くす。

「どうずる? 加奈ちゃんは食べられそう?」

「あっしも、もうだいじょうぶ。大貫くんは?」

「俺ももう……そんじゃ、お店はやめてちょっとあたりをブラブラしようか」

 広く整備されたショッピングプラザがあったり、拓けたモダンな街並みの中にお洒落な店があったりするが、特に入店するでもなくのんびりと散策を続ける。

「軽井沢に行ぎたいっていったのは、もしかしてお姉さん?」

「そうなの……群馬と長野ってすぐとなりじゃない、って言うんだもん」

「おなじ群馬でも西と東の端っこだからね。遠いよ」

 加えて、今まさに夏休みの盆の時期だ。

 周辺は観光客でごった返しており、家族連れやカップルが多く目立つ。

 駅前は並んで歩くのも困難なくらいに混雑していた。

「加奈ちゃん。はぐれないようにぎをつけて」

 昨晩の出来事もあって、孝志が静かに腕を伸ばしてみると、加奈は受け入れた。

 だが、やはり日中の人前だと照れがあるせいか、加奈は孝志の手首をしっかりと掴む。

 人混みがなくなって静かな街並みに戻っても、ふたりは手首越しに繋がっていた。


 しばらくすると、加奈のスマートフォンがメッセージの受信音を鳴らす。

「あっ、お姉ちゃんが最初の駐車場に戻ってこいって」

「ホント? そんなら、そっちの方に向かおう」

 やがて、到着したふたりを見てにやにやと笑う早紀が、声をかける。

「それで、どうだったの。あのお店は?」

「そんなに腹減ってなかったんで歩いて回ってたら、今めっちゃ腹が減ってまず」

 満足な固形物もなくスイーツばかりだったので敢えて時間を置いたことで、ふたりともすっかり空腹になってしまっていた。

「なにしてんの、あんたたち? このお土産はウチのだから食べちゃダメよ」

 逆に、早紀の同伴ですっかり若さを取り戻した父が、皆を促す。

「さて、みんなそろそろ我が家に帰ろうか。遅くなると道も混むからね」

 しばらくは加奈とふたりきりで軽井沢を散策するという状況に満足していた孝志は、車に乗った途端、にわかに疲労を覚えた。

 それは黙っていたが加奈も同様だった。

 帰りの高速道路での車中。

 後部座席がめっきり静かになったので、早紀が後ろを振り返ると、くすっと笑ってまた正面を向く。

 疲れ果てて居眠りをする孝志の手には、同じく眠る加奈の掌が重ねるように添えられていた。



「それで、やっぱりこういうことになるんだ?」

「今日で最後! ホントにごめんね、大貫くん!」

 客間に並んだ、みっつの布団の間に挟まれた加奈が申し訳なさそうにしている。

 今日はさすがに疲れたのか、父もそこそこ飲んだところで晩酌もお開きとなったので、早紀もまだ酔いが足りずに起きていた。

「あたし、別にお仏壇の部屋でも土蔵でもいいんだけど? 加奈がしっかりしてくれないから、男が一緒の部屋にいるのって、なんかそっちの方がホラーなんですけど」

「お姉さん、カレシいるじゃないっずか。ってことは、もう、ほら……」

「あら。女の子が身体を預けるのと襲われるのとじゃ、おんなじ経験でも意味はぜんぜん違うからね。エロ本ばっか読んでないで、そのへん孝志くんもよく考えといてよね」

 エロ本という単語に反応した孝志は、焦って横目に加奈の顔色を窺いつつも、至極平然を装いながら、早紀との会話を早めに遮るようにやんわり諫める。

「お姉さんももう疲れたんじゃないずか? お酒飲みずぎたら、しめじがいいらしいっずよ。しじみより肝臓に優しいって」

「孝志くん、あたしは酒乱じゃないよ? こんだけまともに喋ってるんだから、まだ酔ってるわけないでしょ?」

 こうなったら酔って寝て貰おうと諦めた孝志は大きく息を吐くと、おもむろに立ち上がる。

「冷蔵庫に親父の缶チューハイならありまずけど?」

「気が利くじゃない。ちょっと足りなかったのよね……ははぁ。さてはこれで酔い潰して襲おうって魂胆でしょ? 男って怖いわぁ」

「もう、お姉ちゃんやめてよ! 大貫くんに悪いでしょ!」

 珍しく、強く腹を立てる妹の様子を見てにやにやと笑う。

「じゃあ、あたしがこの部屋からいなくなろっか? 孝志くんとふたりでここに寝なよ」

「お姉さん……あんまりふざけてるとまた、ふみから『罰ゲーム』っずよ?」

 思い出したように、はっと目を見開くと早紀は急におとなしくなる。

「そだね。もう寝よっか?」

 早紀が布団に入るなり、じりじりと近づいてくる妹に対し、強引に孝志と手を握らせる。

「悪いけど、これだけは孝志くんに頼むわ。あたし寝る前って神経質なの」

 電気を消すとさっさと布団に潜る早紀に、孝志も困惑して加奈の顔を見る。

 まだ慣れない暗闇の視界の中でわずかに見えたのは、彼女も手を離すでも拒否するでもなく、うなずくので孝志もそのまま眠ることにした。


 翌日、朝食を摂ると荷物をまとめた早紀と加奈が、玄関の土間に降りて頭を下げる。

「すいません、すっかりとお邪魔してしまい、本当にありがとうございました」

 ふたりを孝志の両親と祖母が並んで見送る。

「こちらこそ、お構いもできなくてごめんなさいね。また孝志のことをよろしくね」

「とんでもないです。ホントに助かりました。ほら、加奈もお礼言いなよ」

「どうも、ありがとうございます」

「そいじゃ、俺はえぎまで送ってくるから」

 のどかなみどりさわ駅のホームで、加奈たちはのぼり列車を待つ。

「いやぁ、孝志くんちマジですごいわ。毎年お邪魔したいくらいだもん。ありがとうね。あと加奈のことも真剣によろしくね」

 早紀の言い方とは裏腹に、まるで脅迫しているかのように、ぐっと孝志の襟元を掴む。

「はぁ、また良かったらどうぞ……そいじゃあ加奈ちゃん。俺はお盆の送り火までいるつもりだから、こんどの二十日の登校日に」

「うん。大貫くんもお姉ちゃんのこと、ホントにありがとう。また学校でね」

 やがて、のぼり列車が到着して加奈たちが乗り込むと、孝志はドアが閉まりその姿が見えなくなるまで手を振った。

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