貴女が教えた10のこと

和泉 有

貴女が教えた10のこと

 私には母親がいない。私は気がついたら父親と二人で住んでいた。私にとってそれが普通で当たり前。母親がいないっていうことでコンプレックスを感じたことはない。でも、周りからは哀れの目でよく見られる。私のことを可哀想って思うのだろう。彼らはどうして私のことをそんな目で見るのだろう。私たち家族のことなんて何も知らないくせに。

 でも、私は何も悲しくなんてない。ずっとお母さんは私の近くにいるのだから。私の節目の年になったら送られてくる手紙がそう言ってくれている。






 私が初めて手紙をもらったのは小学校の入学式の時だった。初めてのランドセルにまだ興奮していた私に父親からもらったのは一枚の紙だった。それを父親が丁寧に読んでくれた。

『みきへ 

 しょうがっこうにゅうがくおめでとう。おかあさんはみきのちかくでみられないのはとてもかなしいですが、きみがそこにたてたことにおかあさんはとてもうれしいです。

 おねえさんになったみきにおかあさんからやくそくがあります。まず、ひとつめ。いいこでいること。ふたつめはおとうさんのいうことをきくこと。さいごになにかいやなことがあればおとなにいうこと。

 このみっつをまもってたのしい6ねんかんをすごしてください。だいすきだよみき。 おかあさんより』

 全部ひらがなで書いていた。だからか父親はとても読みずらそうだった。読み終わったら、その手紙を私に渡してきた。私は母親からの手紙にとても喜んで大事にしまった。

 私にとって家族っていうのは父親しかいなかった。笑顔の母親の写真はあったが、私がまだ小さい時は家族は1人しかいないと思っていた。ちゃんと説明があったのは幼稚園上がる前だった。

「美希に言わないといけないことがあるんだ。うちにはお母さんがいないじゃん」

「うんー。いなーい」

「お母さんはな、病気で死んじゃったんだ」

「しんじゃう?」

「そう。死んだんだ。もう、ずっと会えない遠い場所に行ってしまったんだよ」

 私はあまりピンとはこなかった。それくらい私にとって『死』っていうものが分からなかったからだ。

 幼稚園に上がった。ずっと父親としか遊んでいなかったため、同級生と遊ぶことがなかった。だから、同い年の人と何かをするっていうことがとても新鮮だったし、それ以上に参観日や送り向かいには女の人が多かったのが、とても不思議な気持ちだった。そこから母親っていうのを意識し始めた。

 でも、父親がいたおかげで母親がいないことをコンプレックスだとは思わなかった。父親の仕事は基本的に家でやることが多いためずっと家にいてくれて、家事や育児は全部父親がやってくれた。だから、母親がいなくても私は大丈夫だった。父親がずっと母親の代わりになってくれたから。






 私の小学校の6年間は気がついたら終わっていた。私は『お母さん』からもらった手紙の約束を守り続けた。それが私が唯一母親と交わした約束だから。でも、その約束はまだ終わっていなかった。

 中学校の入学式の1週間前くらいに父親から一通の手紙をもらった。その宛先は母親からだった。私は6年ぶりの手紙に少し恥ずかしさを覚えた。

『美希へ 

 中学校に入学おめでとう。美希がもうそんなに大きくなったんだなんてお母さんは信じられません。大きくなるということは責任が伴ります。小学校入学と同じように三つの約束を美希に託すね。美希ならきっとできることだから。

 まず一つ目。人様に迷惑をかけないこと。当たり前だけど、それが難しかったりするけど、それができる子になってほしいし、ちゃんとした大人になってほしい。

 二つ目は勉強をちゃんとやること。中学校からびっくりするくらい勉強が難しくなるんだよ。お母さんが行ってる学校だけの話かもしれないけどね。でも、みんなに置いていかれないようにちゃんと勉強してほしい。勉強だけで人生は決まらないのかもしれないけど、結局人って学歴を気にしちゃうし、学歴があった方が選択肢が増える。だから、ちゃんと勉強して選択肢を増やした状態で大人になってください。

 最後に三つ目。ダメなことにはダメって言える子になること。やっぱりダメなことをダメって言えるのってめちゃくちゃ難しいと思う。お母さんもできるかどうか分からないもん。だからこそ、美希にはできてほしい。それができたら、とても強い人になれると思う。きっと、君ならできるよ。

 この三つをちゃんと守ってください。お母さんが美希にできることは願うことしかできません。最後に大好きだよ美希。 お母さんより』

 小学生の時より長く書いていた。私が中学生になったから読めると思って書いてくれたものだと思う。分からない漢字が何個かあったが、それはちゃんと父親に読んでもらった。

 小学生の時も中学生に時も父親はちゃんと私のことを見てくれた。参観日の時も運動会の時も父親はずっと私のことを見てくれていた。そんな父親を私は心の底から好きだった。どんな時でも私の味方になってくれた。それが私のことを救ってくれた。中学生になった時から周りの友達は父親がキモいだの嫌いだの言ってるのがとても謎だった。

 それから、あっという間に2年が過ぎ、今年が受験という大きな壁が現れた。私はその壁にとても圧倒されていた。何をやればいいか分からない。訳のわからない不安が私のことを襲っていた。私は家に帰れば自分の部屋に引きこもるようになった。とりあえず、勉強しないといけない。それが私の頭の中でいっぱいになった。

 そんなある日。いつものように私は部屋に引きこもっていた。ご飯の時間になって私はリビングにいった。キッチンでは父親が慣れた手つきでご飯を作っていた。私はスマホをいじりながら、ご飯を待っていた。

「美希。最近大丈夫か?」

 父親がご飯を作りながら、私に問いかけてきた。

「え?だ、大丈夫だよ。え?何が?」

 私は急なことに驚きながら、返事をした。

「最近さ、あんま元気ないじゃん。ずっと部屋にこもってるし」

 父親はちゃんと見ていた。心配していたのかな?

「悩み事は受験か?」

 図星だ。私は思わず「え?」というと父親は少し笑いながら、料理を持って来た。

「お父さんが思っていることだけど、結局高校なんてどこだって一緒だよ。確かに学べるのは学校それぞれ違うのかもしれないし、進路だって大きく変わるのかもしれないよ。でも、大抵の人は高校で進路はそんなに変わりはしないよ。だからこそ、そんな思い込まなくていいよ。きっとお前のことだから、大きく滑ることはないし。もっと気軽に行こう」

 私はその言葉で私のことを圧倒していた壁はだいぶ小さくなったのがわかった。結局その壁は自分自身が勝手に作った幻なんだ。だから、何に不安がっていたのかわからなかったんんだ。私はそれからはリラックスした状態で勉強に取り組むことができた。






 あっという間に受験勉強の日々が終わり、今日が合格発表の日だ。

 私が行くであろう高校に着き受験番号を確認した。私は小さくその数字を呟いた。間違えがないように何回も。何回も。ついに番号が書かれているボードが私たちの前に来た。私はゆっくりとそのボードを見た。一つずつ確実に。

「あった」

 私は自分でも聞こえないくらい小さな声で言った。

「あった!あるじゃん!!」

 次は自分でもびっくりするくらい大きな声で喜んだ。私は急いで父親に連絡した。

「お父さん。私。合格したよ」

「まじで?そうか。やったんだ。美希。おめでとう」

 父親は最初は驚いて、語彙力を失ってしまったが、途中から冷静になって私のことを祝福してくれた。父親の提案で今日は外食にする事になった。

「改めて、美希。高校合格おめでとう」

「ありがとう」

 二人で行ったのはそこら辺にあるチェーン店の店だったが、久しぶりの外食に私は喜んだ。

「美希に渡さないといけない物があるんだ」

「え?なに?」

 父親はバックから出したのは一通の手紙だった。

「え?お母さんから?」

 父親はこくりと頷いた。

『美希へ

 高校合格おめでとう。受験勉強本当にお疲れ様。大変だったでしょう?お母さんも大変だったことを今でも覚えています。お母さんの個人的意見だけど、高校は目一杯楽しんだ方がいいと思っています。なので、小中学生と同じように三つの約束を美希に託します。

 まず一つ目はおもっきり遊ぶこと。やっぱり、高校生の時に遊ばないといつか、後悔する時が来ると思います。そんなことがないようにいっぱい遊んで下さい。そして、いっぱいの思い出を作ってください。

 二つ目に友達を大切にすることです。友達を大切にしないと楽しいはずの3年間も悲しい3年間になってしまうかもしれません。そんな3年間は送って欲しくない。たった3年しかないんだから、楽しんで下さい。でも、勉強もしないといけないよ。特に受験期は。大学が1番大切なんだから。

 最後に三つ目はお父さんを大事にして下さい。これは、本当にお母さんの個人的なお願いですし、やっぱり、家族が一人しかいないんだからその一人を大切にしてほしい。お母さんが余命宣告されたのは君を産んですぐのことだから、お母さんはお父さんに対してなんもできてない。だから、美希にはお母さんの代わりにお父さんのことを見てほしい。ずっとじゃなくていいから。できる限り長くよろしくね。

 この三つを守ってこの3年間を楽しんで下さい。大好きだよ。美希 お母さんより』

 私は手紙を置いて、父親を見ると静かにコーヒーを啜っていた。私は本当に母親のことを何も知らない。知っているのはこの文字だけだ。父親はどんな思いだったんだろう。自分の大切な人がいなくなるというのは。私には到底わからない感情なだろう。

 私には反抗期のようなものはなかった。男一人で子供育てるっていうのはこんな私でもすごいことっていうのはわかったからだ。だからこそ感謝しているし、大事にしているつもりだ。だって、喧嘩したことないし、怒られたこともあんまりない。唯一の家族だし、1番大切な人だから。

 それから、1年という月日が流れ、2年連続で同じクラスになった男の子と付き合う事になった。彼氏は何人かできたことあったが、結局のところ中学生の恋愛で終わっていた。だからか、初めて彼氏ができたような感じがした。

 付き合って3ヶ月くらいした時に私は自分の家に彼を呼んだ。私は初めて男の子を父親に紹介する。どんな反応するかわからなかったが、とりあえず話す事にした。

「お父さん」

「ん?」

「今度さ、家に彼氏呼ぶんだけどいい?」

 父親は、少しびっくりした顔になったが、すぐいつもの笑顔になり。

「お前、彼氏できたんかよ。全然いいよ。その子のことお父さんにも紹介してな」

 父親は案外とそれを承諾してくれた。私はウキウキした気分で彼にLINEで伝えた。

 それから1週間後。私たちは家へと向かった。家では父親が夜ご飯の準備をしていた。

「お邪魔します」

「君が美希の彼氏さん?」

「はい!」

 父親と彼は軽く自己紹介をしていた。

「じゃあ、私たち部屋で遊んどくから」

「OK。じゃあ、ご飯できたら呼ぶわ」

 私たちは部屋に行き適当に時間を潰した。1時間もかからないくらいで父親から声をかけられた。私たちはリビングへと行った。

「うわー。すげぇ」

 彼は小さく呟いた。確かに今日は少し豪華だった。そのあと、私たち3人は食事を楽しんだ。

 夜の9時を回ろうとした時に彼は帰る準備をしていた。私と父親は玄関で彼のことを見送った。

「今日は本当にありがとうございます。ご飯とても美味しかったです」

「いや、こちらこそありがとうね。またいつでもおいでよ」

「はい!」

 彼はペコリとお辞儀をし、私に「また明日」と言って外に出た。

「いい子じゃん。やっぱり、お母さんに似て男を見る目はあるんだな」

 父親は冗談ぽく言った。私は「何言ってんの」とクスッと笑った。

 私は片付けをしたあとお風呂に入り、自分の部屋に戻ろうとしたら、父親の部屋が少し開いていた。

「美希の彼氏とてもいい子だったよ。あの子自身もとても楽しそうにしてたし。もし、お前と4人で飯食ってたらどんな反応するのかな」

 父親はそう言って泣いていた。まだ、自分の妻を亡くした傷は癒やされてなんかないんだ。それをずっと隠して自分の中で収めて私のことを育ててきた。私は黙って自分の部屋へと戻った。






 私は高校を卒業し、地元の大学に進学した。地元といっても電車で40分くらいかかる場所にあるが。

 そう、母親からの手紙はなかった。来るとしたら、今年のはずだと思っていたがきっと、高校生の時で終わったんだろう。少し寂しい気持ちもある。だからこそ、私は手紙に書いたことを守った。これから先怒られることも褒められることもない人の最後の約束だから。守りながら、キャンパス生活を楽しんだ。大学では色んな人に出会い、別れ、いろんなことを体験した。それは私の人生にとって大切な思い出になった。

 1年なんかあっという間に過ぎ去り、2年生になっていた。大学でたくさん友達もでき、それなりに1年間を楽しんだ。

 私はその日、いつも通り学校に行き、夕方前には帰りの電車に乗っていた。家に着いたのは暗くなり始めた6時くらいだった。

「ただいまー」

 といった瞬間。『パンっ』と何か破裂した音が聞こえた瞬間、火薬の匂いがした。

「誕生日おめでとう!」

「え?まだ誕生日じゃないよ」

「だって、明日は友達と過ごすんでしょう?じゃあ、早めに祝おうと思って」

 そう、私は明日が誕生日だ。それに明日は家にはいないっていうことを父親には言っていた。だからと言ってそこまでしなくてもいいのに。まず、ここまでされたことは今までにない。

 私はリンビングに行ったら、ケンタッキーが置いてあった。私たちは椅子に座り、チキンを頬張った。久しぶりに食べるケンタッキーはやけに美味しかった。

「はい、誕生日プレゼント」

 と、手渡されたのは両手で収まる程度の大きさのプレゼントだった。

「開けていい?」

 父親は首を縦に振った。中身は私がずっと欲しいって言っていた財布だった。

「え!やった!お父さん!ありがとう!」

「あと、もう一つ。渡さないといけない物があるんだ」

「え?なに?」

 父親の手に持っていたのは一通の封筒だった。

「最後の手紙だよ」

『美希へ

 もう二十歳でしょう?もう大人じゃん。本当におめでとう。お母さんが伝えたいことはあの三通に全て書いたから、この手紙に書くことはないな。でも、最後だから。それに大人になった君なら届くと思うからお母さんが思ってること全部書くね。

 本当はね、もっと美希のこと見たかった。もっと美希のそばにいたかった。年々大きくなる姿を見たかった。なんで、なんでもっと隣にいることができなかったの?なんで私。死んじゃうの?本当に悔しい。こんな早くに死ぬなんて。本当は死にたくなんてない。死ぬのが嫌だ。

 あーあ、こんなこと言うの母親失格だよね。でも、大人になった美希ならわかってくれると思う。

 今まで書いた9つの約束守ってくれてる?お母さんが美希に対して最初で最後のお願いだし、本当は何十年もかけて言い続けたかったことだから。

 大きくなった美希を見てみたい。どんな子に育つのか見てみたい。なんで、なんでそんなことも叶うことができないの?なんで自分の子供を見守ることができないの?なんか、弱音しか吐いてないね。

 じゃあ、最後に美希に託したい言葉があります。ずっと、大好き。今も。これからも。私は美希のことが大好きだよ。何があっても美希のことを嫌いなんてなれない。だからこそ、ずっと一緒にいたかった。家族3人で明るい家庭を築きたかった。大好きな美希のそばから離れたくない。それくらい、お母さんは美希のことが大好きだよ。それにお父さんだって美希のこと大事に思ってるよ。

 言いたいことはいっぱいあるけど、言いすぎてもあれだからここまでにします。最後に大好きだよ美希。幸せになってね。お母さんより』

 手紙はところところ何か濡れたようにカピカピになっていた。

「お母さん。こんなにも弱音吐いてる。本当は死ぬの怖かったじゃないの?でも、それを必死に隠して」

 私は今まで我慢していたのを全て吐き出すように静かに泣いた。

「ずっと、ずっと、私のためだけにこんな手紙まで書いて。本当はもっとしたいことがあったはずなのに」

「それは違う。あいつがしたかったことは、お前のことを見ることだよ。でも、それができないから必死になって手紙を書いた。手紙だと強い母親を演じ切ることができるから」

 お父さんも泣いていた。

「お父さんなお前に何もできてないかって思うことがあるんだ。片親のお前に俺は何もできてない気がして」

「そんなことない!私はお父さんのおかげでここまで大きくなった。片親っていうコンプレックスもお父さんのおかげで全くない」

「美希」

「本当にありがとう」

「あ、あー、、」


 他の人は私のことを見て可哀想と思うのだろう。そんなことは一切ない。少ないのかもしれないけど、私はすごく大きなものを貰い続けた。それは私にとってすごく大切なもの。きっとこれからも私のことを救ってくれるのだろう。

 お母さんが教えた10のこと。たった10かも知れない。でも、お母さんが唯一教えてくれた。とても大切なもの。きっと、私の中でずっとあり続けるのだろう。私とお母さんとの約束だから。

 

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