第42話
マンションの近くにあるバス停で待っていると、楓さんの事務所近くの大通りを通るバスはすぐに来た。ここに来た時にバスの乗り方は覚えたので、今回は難なく乗ると、スマートフォンの地図と外の景色を見比べながら、降車場所を間違えないようにする。
どうにか降車するバス停を間違えずに済むと、楓さんが働く法律事務所に向かって歩いて行く。さすがに二回目だけあって、地図を見なくても場所や道は分かった。何も無ければビジネス街の雰囲気を楽しむ余裕さえ持てるはずだった。
それが出来ないのは、手帳に書かれていた「帰国」の二文字で、私の頭の中が一杯になっていたからだろう。
気になるが、聞いたら今の関係が壊れてしまいそうで、怖くて聞けそうになかった。
そんな事を考えていたら、歩みが遅くなっていたのか、事務所に着いたのは十二時過ぎだった。
(事務所に居ればいいんだけど……)
もし楓さんが既に昼休憩に出ていたら、手帳を預けて帰ろう。そんな事を考えつつ、事務所ビルに近づくと、よく磨かれた自動ドアが開いて、オシャレな内装のエントランスに出迎えられる。
(へぇ〜。ここが楓さんの職場なんだ……)
一時的とはいえ、夫である楓さんの職場に来たのは初めてなので、つい興味深そうに辺りを見渡してしまう。壁にはアクリル絵の具で描かれたと思しき風景画が飾られ、白い床には汚れ一つなく、入り口近くの受付には観葉植物が置かれていて、室内が明るく、ナチュラルな印象さえ感じられる。
「ハロー!」
その時、受付から出てきた若い女性に声を掛けられる。
私より少し歳上くらいだろうか。背中に流したウェーブのかかったブロンドヘア、白いブラウスに黒のタイトスカートのまさにオフィスカジュアルな服装に、白い肌に軽く施された化粧。まさに可憐という言葉が似合いそうだった。
遠目からだったが、最初にここに来た時、楓さんと話していたのはおそらくこの女性だろう。ただそれ以外でも、最近どこかで見た気がするが、どこで見たのだろうか。思い出せそうで思い出せない。
そんな事を考えながら、私がじっと見てしまったからだろうか、女性は不思議そうな顔をすると秋空の様な色をした両目を瞬いたのだった。
「Do you need something?」
「あの……えっと……」
私はスマートフォンを取り出すと、何故か女性も一緒に画面を覗き込んできた。それを気にする間もなく、ブックマークしている英語翻訳ページを開く。
日本語で「私の名前は若佐小春です。夫の若佐楓の忘れ物を届けに……」と打ったところで、突然、女性に両手首を掴まれたのだった。
「あなた、カエデの奥さん!? ワイフ!?」
「イ、イエス……」
ワイフの意味が「妻」という事くらいは知っていたので、私がおずおずと頷くと、女性は「Oh!」と小さく声を上げた。そうして掴まれたままになっていた両手首ごと、腕を上下に大きく振り始めたのだった。
「Nice to meet you, I'm glad I met you!」
「えっと……」
「My name is Jennifer! I'm paralegal at this law firm」
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