忘れ物を届けに
第40話
楓さんと話した日から数日が経っても、私達の間に進展はなかった。
ただ、あの日楓さんに話した「お願い」は今も続いており、日本に居た頃と比べて、態度が柔らかくなった。とても親しみやすくなり、何より話しかけやすくなった。
(やっぱり、まだ慣れないな……。楓さんって呼ぶのも、楓さんに「小春」って呼ばれるのも……)
リビングルームを掃除機掛けしながら私は考える。
今朝も楓さんの事をうっかり「若佐先生」と呼んでしまい、睨まれてしまった。
私にとって楓さんは目上の存在で、頼りになるお兄さん。契約結婚した事で戸籍上は夫になっているとはいえ、今まですれ違っていた事もあり、なかなか慣れそうにない……。
ソファー周りの掃除機を掛けながら、ふと昨夜を思い出す。
(昨日、二人でこのソファーに座って、テレビを観たんだよね……。日本に居た頃はこんな日が来るなんて、信じられなかった)
昨晩、シャワーを浴びてリビングルームに戻って来ると、先にシャワーを浴びて、一度ベッドルームに戻ったはずの楓さんが、ソファーに座って、テレビを観ていた。
邪魔をしないように、離れたところにあるリビングルームのテーブルに座ろうとしたところで、「小春」と話しかけられて、飛び上がりそうになった。
「所長にオススメされた日本映画を観ているんだ。一緒に観ないか?」
聞けば、楓さんが所属する事務所の所長が勧めてきた日本映画らしい。日本映画だけあって、音声は日本語なので、私でも分かるとの事だった。
「一緒に観てもいいんですか?」
「駄目な訳が無いだろう。俺は知らない映画だが、君なら分かるんじゃないか? 最近、日本で上映された映画らしい」
楓さんの側に行ってテレビを観ると、楓さんがニューヨークに旅立ってから、日本で上映されていた時代劇だった。
「観た事はありませんが、映画館に宣伝用のポスターが貼られていました。確か、原作は小説だったと思います。小説が発売された時に、新聞の広告欄に掲載されていたのを見た覚えがあるので」
「そうか……。俺が日本を不在にしている間に、こんな映画が上映されていたんだな……」
せっかくなので、英語の勉強をしたいからと英語字幕をつけてもらい、一緒に観る事にしたのだった。
「小春」
映画を見始めてすぐ、楓さんに名前を呼ばれてドキッと胸が高鳴る。
隣を見ると、楓さんはどこか呆れた顔をしていたのだった。
「どうして、そんな端に座っているんだ?」
ソファーの中央に座っている楓さんに対して、私はソファーの左端にそっと座っていた。
「えっと、邪魔しない方がいいかと思って……」
「邪魔になるなら最初から声を掛けない。いいから、もっとこっちに来い。画面が見えづらくないか」
楓さんに手招きされて、身体一つ分だけ近づく。それでも楓さんは何か言いたげな顔をしていたが、映画が終わっても、何も言わなかったのだった。
(楓さん、あの時、何を言おうとしたんだろう……)
ソファーの上に並べられているクッションをどかした時、見覚えのある黒革の手帳が落ちている事に気づく。
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