第37話

「は〜い! 何か困り事?」


 背中を流れるウェーブのブロンドヘア、日本のOLの様なフェミニンな服装、どこかで会ったような気がしなくもないが、どこで見たのか思い出せない。私がそんな事を考えている間に、女性は店主の男性から話を聞き、ついで私の顔を見るとニコリと微笑んだのだった。


「このおじさんね。ケチャップとマスタードはどれくらいかけるのかって聞いているのよ」


 ややたどたどしいが聞き取れなくもない日本語にほっとする。私が「どっちも少しだけ」というと、女性はすぐ男性に通訳してくれる。さっきまでの不機嫌はどこに行ったのか、男性はすぐに笑みを浮かべると、手早くホットドッグを用意してくれたのだった。


「あの、ありがとうございます」

「いいのよ、私もホットドッグが食べたかったし」


 礼を述べると、女性はなんてこともないように返事をする。支払いをする時も、側について男性の言葉を通訳してくれたのだった。


「観光に来たの?」

「えっと、まあ、はい……」


 男性からホットドッグを受け取った後、女性に質問されておずおずと頷く。すると、女性はニッと笑ったのだった。


「観光を楽しんでね!」

「はい! ありがとうございました!」


 私は手を振る女性に軽く頭を下げると、ホットドッグと買い物した荷物を持ってマンションに向かう。


(あんな良い人もいるんだ……)


 ここに来てそうそうに騙されそうになり、若佐先生にもここは危険だから早く日本に帰るように言われてしまったので、現地人は皆怖い様に感じてしまったが、昨日、バスの降車方法を教えてくれた人の様に、中には観光客に優しい人もいる。悪い人ばかりではないと、改めてきづかされたのだった。


(早くマンションに帰ろう)


 やはり人は見かけによらない。若佐先生とも、話せばきっと理解してもらえる。

 そんな自信をもらえたような気がしたのだった。


 その後、マンションに戻って、スーパーマーケットで購入した物を冷蔵庫にしまい、ホットドッグを食べると、洗濯機を借りて自分の物と部屋に脱ぎ散らかされたままになっていた若佐先生の服を洗い、洗濯機が終わるのを待つ間に、掃除機を借りてリビングルームを掃除する。洗濯機も掃除機も英語で書かれていたが、そこはスマートフォンで調べながら使った。


(何だか、若佐先生と同居したばかりの頃を思い出すな……)


 洗濯物を干した後、息つく間もなく、夕食の用意をしながらそんな事を考える。

 若佐先生の家で同居を始めたばかりの頃も、こうやって部屋を片付けて、掃除機を掛けて、洗濯物を干して、栄養ゼリーと水と缶ビール以外何も無かった冷蔵庫に入れる食料を買いに、近くのスーパーマーケットに買い物に行った。その時、実家に住んでいた頃、いかに母親に頼っていたのか、身に染みて分かったものだった。

 若佐先生は仕事が忙しいからか、シャワーと着替えの為だけに家に帰ってくる日が多く、着替えても脱いだ服もそのままに、また仕事に戻ってしまう。あまりに多忙なので、食事を摂っているのか心配になった。

 それで、本人には必要ないと言われていたが、時間がなくても軽く食べられるように、あらかじめスーパーマーケットなどで買った食事を食べやすい様に用意しておいては、冷蔵庫に入れるようにした。仕事を辞めてからは、毎日自分で作るようになった。

 最初の頃は全く食べてくれず、用意していた食事はいつも私の朝食になっていたが、試しにメモを書いて料理と一緒に冷蔵庫に入れる様にすると、ある時から食べてくれるようになった。

 美味いとも不味いとも言われなかったが、それでも食べてくれるのが嬉しかった。そうすると、今度は料理以外の家事にも力を入れる様になった。書店や図書館に行くと、今まで見向きもしなかった家事や料理に関する本の棚にも立ち寄るようになった。


(若佐先生は気づいていないかもしれないけど)


 若佐先生は同居を始めたばかりの、家事が全く出来なかった頃の私しか知らないだろう。この三年間、離れている間も、ずっと家事の腕を磨いていたのだから――。

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