第12話
メッセージが送られてきた日の夕方、指定された自宅近くのファミリーレストランに入ると、すぐに若佐先生の姿は見つかった。
「すみません。遅くなりました」
「こちらも今来たところでしたので」
久しぶりに会った若佐先生は目の下に隈を作っていたが、変わりが無いと分かって安心した。
四人掛け席のボックス席の向かいに座ると、すぐに店員さんがお冷を持ってくる。ここで夕食を済ませてしまうように勧められたが、何となく若佐先生の様子から、穏やかな話をするような雰囲気ではないと察すると、飲み物だけ注文したのだった。
「話しというのは何ですか?」
「受け持っていた案件が全て片付いたので、十二月末を持って、今の事務所を退所する事になりました」
ただ事務的に告げられたので、理解するまで時間が掛かってしまう。
「それじゃあ、独立するんですね」
「いえ。しばらくは勉強の為、ニューヨークに行く事にしました。あっちに住む父の友人が法律事務所を経営しているので、そこでお世話になろうかと」
「ニューヨークですか……」
若佐先生の言葉に、私は言葉を失ってしまう。
どうして、ニューヨークに行く事を相談してくれなかったのだろうかと考えるが、一時的な結婚だから仕方がないかと思い直す。
若佐先生は今の事務所を辞めるまで、一時的に結婚して欲しいと言っていた。つまり、これで私達の関係は終わり、契約結婚は解消されるのだろう。
「……じゃあ、私達の関係はこれで終わるんですね」
「終わらせたいんですか?」
若佐先生の言葉に、「えっ……」と言葉を漏らすが、若佐先生がどこか不機嫌そうな顔をしている事に気づいて、すぐに首を振る。
「いいえ。そんな事はないです……。という事は、私もニューヨークに行くんですか?」
「いえ。その必要はありません。貴女は日本で待っていて下さい」
その言葉に、私はまたもや衝撃を受けたのだった。
「日本で、ですか?」
「私が留守の間、家の事をお願いしたいんです。今住んでいる家は、貴女が好きに住んでもらって構いませんので」
現在、私達は住宅街にある高級マンションの一室を借りて住んでいる。交通の便が良く、私が以前働いて職場からも、若佐先生の職場からも近い。セキュリティ面は万全で、部屋数も多いので、二人で住むには少し広いくらいであった。
「それは……私はいいですが、でも若佐先生は……」
「私も構いません。貴女に管理を頼めるなら、お金も掛からなくて済みますし。心配なさらずとも、引き続き生活費は振り込みます。そこから貴女のお小遣いにして、好きなものを買って下さい。借金を作るような事をしなければ、自由に使って頂いて構いません」
「で、でも、本当にそれでいいんですか?」
「何度も言わせないで下さい。私はそれで構いません。それでは、私はまだ事務所の片付けがありますので」
私が反論する前に冷たく言い放つと、若佐先生はカバンと上着を持って立ち上がる。テーブルの端に伏せられていた伝票を取ると、颯爽とその場を後にしたのだった。
取り残された私は、やがて膝の上で両手を握りしめると、俯いたのだった。
(どうして離婚しないんだろう。目的を果たしたのなら、離婚してもいいのに……。だからといって、ニューヨークにも連れて行ってくれないし……)
目的を果たして、私の存在が不要になったのなら、当初の約束通り、この一時的な結婚を解消すればいい。
それなのに、若佐先生は離婚しなければ、私をニューヨークにも連れて行かないという。
本当に私に留守を頼みたいだけだろうか。部屋の管理を任せるだけなら、私じゃなくても良さそうだが……。
(本当に家の事を任せたいだけなの?)
金が掛からなくていいと言っていたが、それでも私と夫婦でいて、私が住み続けている以上、若佐先生は私に生活費を送り続けなければならない。どのみち、お金が掛かる事に変わりはないような気がした。
(分からない。若佐先生の事、何も分からないよ……)
夕陽が沈んで、夜になって、何組もの客が入れ替わっても、しばらくその場から動けなくなったのだった。
そして、日本中がクリスマスの片付けと正月の用意で半々となっている十二月二十六日。
若佐先生と一言も話せないまま、若佐先生はニューヨークへと旅立ったのだった。
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