Just Like Honey

ダックロー

第1話 煙台にて

二〇一一年三月十一日、あの日は鳥取県にいた。

十年以上勤めた商社を退職し、鳥取県の菓子メーカーに転職しておよそ一年半経過していた。転職先での仕事は、商社時代のそれに比べるとだいぶ暇で、商社で激務だった日々を懐かしむ毎日だった。

テレビで大地震、そして津波発生のニュース。その日にたまたま東京からウチの会社に出張に来ていた得意先の担当者さんたちはその日には帰京できず、一日足止めを食った。そんなバタバタした日の夜、中国語のメールが入っていた。


日本で大地震があったとニュースで知りました。

私はとても心配している。

無事だったら連絡をしてきて。


送信元は李佳、五年前に中国山東省で知り合った若い女性。

もう会わなくなって二、三年経過していたので、彼女から見舞のメールが来るとは意外だった。早速、ご心配には及ばない、私の住んでいる地域は震源地からかなり遠いから安心してね。と返信をしておいた。


鳥取県の事業所に転勤してきて半年ほどが経過したころ、中国に出張へ行かせてもらうことになった。得意先二件で中国関連にて新たな案件が持ち上がった為だ。海外出張は前任地でも経験していたがその時は既存で納品していた商品の工場視察で新味はなかったのだが、今回の出張は自分で提案して得意先の同意を獲得してこじつけた出張で、気合が違った。

行き先は中国山東省の青島周辺と大連。最初のお客さんと三日間ほど山東省の工場を廻り、その後私一人で大連へ移動して別のお客さんと合流しまた三日間ほど大連の工場で仕事をする、というスケジュールだった。

関空から青島へ飛び立ち、着いた日は青島市内のホテルで滞在、翌日に山東半島を東に向かって移動した。同行人は鳥取県内の得意先であるA製菓のT部長とA製菓の得意先であるZ商事のY氏、そして通訳担当の現地スタッフGさんというメンバー。駐在所が雇った運転手さんが我々全員をミニバンに乗せて高速道路をかっ飛ばす。

その日は山東省内の工場を三ヶ所廻って、夕方に煙台という海に面した都市にたどり着いた。ホテルの食堂で夕食を済ませ、時刻は九時廻ったころ、駐在員Gさんの手引きでホテル近くのカラオケ店に行った。

中国のカラオケ店は日本のそれとは違って、歓待してくれるお姉さんが多く在籍しており、男性客は女性を横に侍らせてカラオケ歌ったり酒飲んだりゲーム(サイコロゲームをよくやらされた)したり。それだけでなく、店をあとにする時に希望次第で接待してくれた女性をホテルに連れて帰って一夜を共にできる、というシステムだった。

煙台はそんなに大きな街ではないので、その日に行ったカラオケ店も規模は大きくなかった。個室に通されてソファーでくつろいでいると、ドレスをまとったお姉さんたちが入室してきた。けど入室してきたのは二人だけ。背の高い女性と小柄で色白な女性。同行のYさんに先に選んでもらおうとしたが、選択肢が少ない、とお気に召さなかったのでチェンジ、ということだった。私も選べ、とGさんが言うので、別に気乗りはしなかったが手持ち無沙汰そうに立っている二人の中から、小柄な女性のほうを選んだ。

Gさんはその後チェンジした娘の中から無事に選び出し、歌うのもそこそこにホテルに戻ることになった。指名したお姉さんたちは早速同伴する準備をするために着替えてきた。

GさんとGさんに指名された女の子とはホテルのエレベーターで別れ、私と私が選んだ女性は部屋に入っていった。

部屋に入るなり私は彼女にたどたどしい中国語で伝えた。

「私はあなたと行為をする意思はありません。シャワーを浴びて少し休んだら、約束の代金は払うので、帰ってくれていいよ」

当時の私は結婚して五年ほど、長男が生まれたばかりの頃で、結婚生活は充実していたので、妻に顔向けできなくなるようなことはしたいとも思わなかった。

すると彼女はそれに同意して、

「あなたのようなお客は本当に珍しい。ありがとう」

と微笑みながら呟いた。

彼女は李佳と名乗り、年齢は二二才、煙台近郊の農村から働きに出てきていると。

李佳はシャワーを浴びて私が横たわっているベッドの横に潜り込んできた。

色々な話をした。この仕事、辛くない?と聞いたら

「辛いことなんて、何もないよ」

と気丈に答えていたのが印象的だった。

最後に、もしまたこの街に仕事で来るようなことがあれば、また呼んでもいいか、と彼女に尋ね、彼女は快く合意してくれたので、お互いの連絡先を好感した。


それから約三か月後、再び煙台の街に降り立った。前回と同じ面々で。

到着した夜、またあのカラオケ店に行った。Yさんは前回知り合った女の子がお気に入りのようで再び指名しておられた。

私も前回と同じく、「李佳さんは居る?」と尋ねたが彼女はその時ほかのお客に接待中であったので店では会えなかった。そこで、私がその夜泊まるホテルの部屋番を彼女に伝えてもらうよう、店員さんにお願いしておいた。

ホテルに戻り、ベッドに寝そべって彼女を待っていたら夜中の一二時頃、ドアのチャイムが鳴った。

「お久しぶり」

私のことを覚えてくれていたみたいで嬉しかった。今宵の仕事では客とたくさん乾杯をしたので疲れた、と言っていた。

私は彼女に

「もし、泊まっていってよければここで寝てくれてもいいよ」

と伝えた。彼女は迷うことなく同意してくれた。彼女は市内のアパートに知り合いの女の子とルームシェアして生活しているようだったので、ここ三つ星ホテルの部屋で一夜を過ごすほうが疲れもとれるだろう、と想像した。

その夜はダブルベッドで、彼女と共に一夜を過ごした。

しかし二人の体の間には少し空間をあけて、彼女に触れないように気遣いながら寝た。が、正確にはあまり眠れなかった。さすがに若い女性が横で眠っていると気が気ではなく、けどその夜も私は彼女に手を出すのは控えよう、と考えていた。無邪気に寝息を立てて眠っている彼女の寝顔をみていると、それはそれで心が休まったものだった。


それから約半年後、また煙台に訪れることになった。煙台近郊の工場での仕事案件は順調に進み、得意先のA製菓とも正式に契約を結ぶ段となった。仕事での一区切り、ということもありその夜は現地の工場の社長や幹部の方々が我々を熱心に歓待してくれた。私も飲めないながらも酒を注がれるままビールや白酒を飲みに飲んだ。

宴が終わるころには千鳥足だった。その夜はカラオケ店には行かず、食事会だけで済まし、ホテルに戻った。

その夜も李佳に電話してみた。連絡はつながった。カラオケ店での仕事が終わり次第、来てくれるという。

夜中一時廻ったころ、部屋の呼び鈴が鳴った。

遅くなってすまないです、と詫びながら彼女は部屋に入ってきた。

私は完全に酔っぱらっていたので、朦朧としながら彼女を迎え入れた。

ほどなくして、気分が猛烈に悪くなりトイレに駆け込み、吐いた。

すかさず、彼女が介抱しに寄り添ってくれて、背中をさすってくれた。

煙台の人間は大酒飲みが多いから気をつけなきゃ、と言いながら私を励ましてくれた。

状態が落ち着いたのでうがいをして、ミネラルウオーターを胃に流し込んで酔いを冷ました。せっかく彼女が来てくれたのに申し訳ない、という気持ちでいっぱいだった。

ベッドに体を横たえた。彼女もシャワーを浴びてバスローブを羽織り、寝床にするりと入ってきた。

今夜も彼女の寝顔を見ながら眠れぬ夜を過ごすのかな?と頭によぎった。

二人、ダブルベッドに入ってしばらくたった時、彼女がそっと私の手を握ってくれた。彼女のほうからアプローチしてくるとは想像していなかったので驚いたとともに、私の中で凝り固まっていたものが溶解していくような、甘美な思いに包まれた。

そこからは我慢できなくなって、ふたり激しく求めあった。

私が持っていた彼女へのほのかな好意は見透かされていたのだろう。

彼女は何度も日本語で アイシテル、とつぶやいた。

果てたあとも、何度も求めあった・・・


煙台での仕事はこの年だけの、スポットでの契約であったので、その後はこの街を訪れることはなくなった。

李佳との熱い夜は最初で最後になった。

ただ彼女とはメールでのやりとりがその後も続いた。

現在は煙台から南へ五百㎞以上離れた大都市、杭州に嫁いで子供も生まれ、生活しているという。

私自身、その後転職を繰り返して、もう中国へ仕事で行く機会はなくなったけど、今でも李佳は大陸の大切な友人のひとりだと思う。

あるとき、メールで煙台では本当にお世話になった、部屋に来てくれて感謝の意を伝えたことがあったが、彼女からの返信は

「あなたが出張で来て一人で過ごす夜がどんなにつらいか、私はわかっている。だから気にしなくていい」

というものだった。


異国の地で、かりそめの出逢いのなかで、あるひとと心が通い合った思い出として。



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