Ep2.姫はお隣さんに訪問する 後編

「江波戸さん、部屋に入れてください」


「……は?」


 白河小夜しらかわさよからの、唐突とうとつな頼み事。

 連続して繰り広げられる困惑必然な彼女の行動に、まだ頭が追いつかない俺……江波戸蓮えばとれんはそう返すことしかできなかった。


 ……待て、まずは状況を分析ぶんせきしよう。

 とりあえず理解する事が出来なくなっていた所から、一つずつだ。


 先ず、白河小夜は帰そうと面倒になっていた俺の額を、唐突にてのひらを合わせてきた。

 ……少し納得したくは無いが、''俺の顔が赤いから''でそれは片付けられるな。


 で。その直後に彼女は、目を見開きながら何かを呟いていた。

 何を言っていたかは分からないが……俺の額に異常があったのは、間違いなさそうだ。

 あの瞬間、元々青ざめていた顔が更に悪化していたのをわずかながら思い出せる。


 で、問題は次だ。

 真面目な顔を険しくさせて、厳格げんかくな雰囲気をかもし出しながらの言葉。


『江波戸さん、部屋に入れてください』


 ………。


 ………………。


 ………………………。


 ……いや、無理だ。わからん。頭が理解することをこばんでいる気がする。


「……どういうこっちゃ?」


 フリーズする頭。俺は首を傾げ、ちょっと変な言い方で意味の説明を求めた。

 ……本当にどういうこっちゃ?


 白河小夜は少し考え込むように俯く。

 すると、何だか顔が赤くなった。まさか、自分の言った意味を理解してなかったか。


「こほん」


 そしてわざとらしくせきをする。

 言及げんきゅうはしないでおくが、それで誤魔化ごまかせていると思ってるなら大きな間違いだよ。


 そう心の中でツッコむ俺の事など露知つゆしらず、軽く息を吸って再度真面目な顔を浮かべる。


「看病を、させてください。その熱は、昨日の台風によるものでしょう?」


 ……ああ、そういうことか。


 この反応から、白河小夜からすると俺の額はとても熱かったのだろう。

 正直本当かは分からないが、この際はもう認めた方が早い。


 で、彼女はそれが昨日傘を渡した……というよりは押し付けただが、そのせいだと。

 だから、罪悪感からか何かは知らないが、看病を申し出てきたというわけか。

 少し度がすぎてる気もしなくはないが。


 先程までのを加え、とりあえず今の状況を理解することは出来た。

 ……ただ、納得はしていない。


「断る」


「ですがっ」


 とりあえず、結論だけを返す。

 ただまあ、当然といえば当然だが直ぐに白河小夜が踏み込んで抗議こうぎの声を上げてくる。


 いや、近いな!?


 ……そんな本心をポーカーフェイスで隠しつつ、その抗議を手で制した。


「まあ、待てよ。理由を言わせろ」


「………」


 暴犬を諭すようにそう言うと、意外な事に、白河小夜は口をつぐんだ。


 ……暴犬は冗談として、しつこいと思っていたがこういうのはわきまえているらしい。

 その基準を緩めて欲しいと、切実に思ったのは秘密である。


 御託ごたくはさておき、俺はその理由を話しだす。


「もし俺の姿が見えていたのなら、雨具を着てたのは覚えているか?」


「え?えっと……そういえば」


 俺の言葉に、思い出すようにうつむきながら白河小夜はそう返してきた。


 そう。つい昨日さくじつだと俺は、雨具を着用した状態で彼女に傘を押し付けているのだ。

 ……そもそも、あの土砂降りの雨の中で、雨具を着用してない俺が傘を失うような真似をするわけがないだろう。


 ──俺はそんな善人じゃないんだ。


 ま、思い出してくれたのならば話は速いな。


「つまり、少なくとも雨で体調を崩した訳では無い。今日は運が悪かっただけってことだ」


「………」


 おどけたように笑って言う俺に、もう白河小夜は何も反論することが出来なくなっていた。

 まあ、逆にされたら困るがな。頭を使ったせいか、少し頭痛がしてくる。


 ……とりあえず、早くベッドで横になって安静にした方が良さそうだな。

 今日のスケジュールを決めた俺は、だったらさっさと予定を済まそうと手を差し出す。


「まあ、今日は流石にもう寝ることにするさ。だから、その傘を返してくれないか?」


「……分かりました」


 またしつこく何か言われたら考えものだったが、それは杞憂きゆうだったようだ。

 ……にしても、互いに無干渉むかんしょうでいたはずだったのにやけに話してしまっていたな。


「それじゃあな」


 そう思いながら、傘を受け取った俺は扉をゆっくり閉めていく。

 重い扉をずっと支えていたからか、片腕は悲鳴を上げてたり……ははっ。


「……昨日のお礼は、必ずしますから」


「──ん?」


 扉を締め切ろうとしたが、その前に聞こえてきた呟きに俺は扉を支える手を止める。

 小さな声だったが、距離が距離だけに俺の耳には届いてきていた。


 玄関の端にある傘入れに傘を直しつつ、俺は締め掛けていた扉を開き直した。

 白河小夜はそれを見て、碧い瞳をパチクリと瞬かせる。


「『昨日のお礼』?」


 そんな彼女に、俺は怪訝けげんな顔を作ってその言葉を反芻する。

 先程のやりとりもあり、この言葉になんだか嫌な予感しかしない。


 白河小夜はこてん、と首を傾げつつも、俺の言葉にこくりと頷いた。


 ……無駄に律儀りちぎなやつらしい。

 だが、こっちとしては色々と不都合だ。やれやれと、俺は溜息を吐いた。


「そんなのいらねえよ。俺は別に、善意でやったつもりじゃないんだから」


「善意でなくとも、こちらとしては恩義おんぎを感じているのですから。返させてくださいよ」


 突き放すように断ったんだが、白河小夜は微笑みながらそう返してきた。

 その微笑みは、先程と同じく何か違和感を感じる。

 

 ……本当に面倒だな。こちらとしては、これ以上関わることを控えたいんだがな。

 はあ、と、先程よりも大きな溜息を吐く。


 正直に言うと、相手が律儀だと分かったところで承諾しょうだくしたいとは思わない。

 そりゃそうだ。だからどうした、という話であり、こちらが不都合なのは変わらないし。


 さて、どう断ったらいいのかね……


「……体調を崩してると教えてくれただろ。俺一人じゃ気づかなかった。それでいいさ」


 もう使いたくない頭で、屁理屈じみた代案を何とかしぼり出して言う。

 といっても、事実として体調に問題があるのは俺だけじゃ気づかなかったのはある。


「それでは、私が納得できません。行動で言うと何もしていないわけですし」


「いや、納得できないって言われてもな。俺がいいって言ってるんだから、それでいいだろ」


「でも……」


 いや、しつこいな!?

 お前なら、これ以上俺と接触するのは嫌なはずだろ!?


 ──ん?


 男を避けている……って、もしかして。

 合っているのかは分からないが、頭の中で一つの可能性に思い至る。


「……もしかして、その恩を利用して俺が君に迫ると思っていたりするのか?」


「!?」


 思い至ると同時にそうたずねると、白河小夜はその微笑を崩して目を見開いた。


 ……男の大半ってのは、彼女みたいな女性に対し下心を持つのがさがというもの。

 まあ、あくまで大半であり全てではないが。


 で、そんな中には相手に恩を売って、それから迫ろうとするやからもいるだろう。

 俺も男だ。もし美人に近づける距離にいるならば、手段としてはそれが一番に思い付く。


 それだけ、男性にとって恩というのは便利であり……逆に、女性にとっては危険なもの。

 白河小夜もそれを危惧きぐしているのだろう。だから、自ら率先そっせんして恩を返そうとしている。


 まだ、本当に正解なのかは分からない。

 だが、これが一番辻褄つじつまが合っているような気がする。


「………」


 当の白河小夜は、俺の質問に黙り込んだ。

 その表情は険しいもので、先程の事を考えると恐怖でも感じているのだろうか。


 ……はあ、と俺は溜息を吐く。


「別に俺はそれをどうしようともしてねえよ」


「え?」


「……それに俺は、君に興味が無い」


 結論だけを淡々たんたんと述べると、白河小夜は素っ頓狂な顔を上げてまぬけな顔をさらす。

 後者に関しては少し失礼かもしれねえが、事実だし、なにより分かりやすい断り文句だ。


「じゃあな」


 言うことも言ったし、何か追求する前に俺は扉を勢いよく閉めたのだった。

 ──その後、インターホンが再び鳴る事は無かった。


 因みにだが、熱を測ると38度を越えており、俺の土曜は睡眠で潰れましたとさ。とほほ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る