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  • ソラフキンさんとのたくさんの手紙のやり取りは、素敵な思い出で宝物ですね。
    唯一無二の親友は今でも心のなかに……。
    きっと見守って寄り添ってくれている、そんな気がします。

    作者からの返信

    桃虎さん

    コメントと星まで、どうもありがとうございます。🙏

    犬と彼女はずっと胸に住んでいてくれると思います。


  • 編集済


    「丙午の女は気が強く、男を食い殺す」
    「丙午の年には天災が多い」

    などと、有り難くない迷信が
    未だに影を落とす昭和41年生まれのわたくし。

    日本の総人口は一億を突破。

    「いざなぎ景気」に国民の生活と意識は
    大きく変わっていった。

    ビートルズ来日に日本中が沸き立ち

    若者の間ではミリタリー・ルックや
    ロングブーツが大流行。

    全日空機羽田沖墜落事故にて133人全員死亡。

    国会も「黒い霧解散」と今も昔も相変わらず…

    1966年の時代背景はさておき。


    縁とは誠に不思議なものですね。

    私にも高校時代からの親友が二人ほど
    おりますが

    何年かに一度、会って食事をしたり
    旅行に行ったり。

    誰からともなく「そろそろ、会いたいね!」
    の合言葉で再会。

    そんなノリでのお付き合いが続いています。

    頻繁に会うわけではないけれど
    いつも心の片隅にお互いがいて。

    特に言葉をかわさずとも
    お互いにわかりあえている
    安心感みたいなモノが心地良いのです。

    心は文字や言葉を軽々と飛び越え
    ダイレクトに語りかけてきます。

    たとえリアルで会わずとも
    彼方人になったとしても
    想いは通じ合うモノと信じています。

    さぁ、愛しき友よ
    夢で会いましょう✨


    追伸

    コメントありがとうございます。

    実は特攻隊の話には伏線がありまして(^◇^;)

    孝一が野球を始めたきっかけは
    母方の祖父の影響が大きいのです。
    (ありがちですが、祖父が野球が大好きだった)

    その祖父が他界したのちに
    孝一は不思議な夢を見たのです。

    夢の世界に於いては
    まさに太平洋戦争の最中で
    特攻兵に志願していた孝一は
    富士重工業野球部員として
    最初で最後の紅白戦に臨んでいました。

    夢の中で監督を務めていた人は
    現、富士重野球部の監督でもありました。

    さて、夢の中の世界ですから
    何でもありです(笑)

    亡くなったはずの祖父が突如
    孝一の前に現れます。

    「じいちゃんの言うことをよく聞け。監督の言うことに逆らってはいけない」
    とだけ言い残し、消えてしまいます。

    意味もよくわからないまま
    場面はいきなり切り替わり(夢ですから(^^))
    いよいよ特攻の命を決行するときが
    やってきます。
    壮絶な最期を迎える瞬間に目覚める孝一。

    あまりにもリアルな夢だったので
    現実に戻り、ホッと胸を撫で下ろします。

    しかし、祖父の言葉はずっと心に引っかかっていました。

    プロ野球選手になることを目標に
    野球漬けの日々を送っていた孝一でしたが

    肘の故障が仇となり、イップスを発症。
    回復には至らず、志半ばで
    大学三年の時にマウンドを去りました。

    大学卒業後、故郷に戻り
    実家の和菓子屋を継ぐべく
    修行に励んでいた孝一でしたが

    野球への未完の想いは心の奥で
    燻り続けたまま。

    そんなある日、一人で店番をしている孝一のもとに、富士重工野球部監督の碓氷平八がやってきます。

    実は、孝一の父も野球をやっていた過去があり
    将来を期待される凄腕のピッチャーでした。
    碓氷とは幼なじみであり
    高校時代には、バッテリーを組んでいました。

    しかし、ある事件により
    孝一の父は、自らマウンドを去る決断をします。

    父もまた、孝一と同じく
    志半ばで、野球から身を引いたのです。

    孝一の投げっぷりをリトル時代から
    時折り観戦していた碓氷は、その才能を見出し
    満を持して獲得に動きます。

    話し合いが進むなか、ひょんな事から
    碓氷と孝一は同じ夢を見ていた
    ことがわかりました。

    「桐生孝一を宜しく頼みます。必ずや富士重の力になりますので」

    とだけ言い残した孝一の祖父は
    碓氷の前からスッと消えていったのです。

    そんないきさつもあり
    孝一は祖父の言いつけに従い
    碓氷監督のもと
    富士重野球部でもうひと花咲かせようと
    入部を決意したわけです。

    実は、孝一の父と碓氷の間では
    スカウトのシナリオは
    出来上がっていたのです。

    孝一の母親は、野球で愛する一人息子が
    散々な目にあったこともあり
    大反対することは必至(^◇^;)

    ようやく軌道に乗り始めた家業をすっぼかし
    また野球界に飛び込んで行こうとする息子を
    快く送り出せるはずがありませんから。

    そんなこんなで
    色々ありましたが、なんとか母親も説得して
    万事休す。
    今に至るわけです。

    すごく長くなってしまいました(^◇^;)

    いつもお読み下さりありがとうございます✨



























    作者からの返信

    遥 彼方さん

    何だかひとりで拝読するのは申し訳ないほど、貴作の登場人物のいままでの経緯を懇切に解説していただきまして、本当にありがとうございます。<(_ _)>

    野球に関わるたくさんの方々のそれぞれの人生が複雑に絡み合って、現在の立場や状況があるのですね。もうひとつの近現代として認識されるべき……。

    昴は俳人が好んでつかいたがる冬の季語ですが、名句となると難しいです。🌌
    「むつらぼし」がスバルのエンブレムであることも、歳時記で知りました。

    いつも拙い作品をご高覧いただき、心から感謝申し上げます。

    編集済
  • サルトル…なつかしいです。岡田晋先生(元キネマ旬報編集長、映画評論家、サルトル学者)から「想像力の問題」の講義を受け、サルトルにハマりました。岡田先生はパイプを燻らせながら薄暗い講堂の教壇に歩き来て、教卓から椅子を脇に出すと、それに座って脚を組むのです。そして、パイプを口から離し、渋い声で「諸君、おはよう」と挨拶するのです。カッコよさの極致でした。近くのタバコ屋さんはこの時期になると、パイプとパイプ煙草を店先に出すのでした。あっというまに売れきれるのでした。現象学も実存主義も我々岡田門下生はダンディズムのことだと理解していましたが、翻訳がめちゃくちゃのサルトル全集を読んでわかった気になっていた哲学者気取りの人たちに比べたら、かなり的を射ていたと思います。因みに1970年代初め頃です。

    作者からの返信

    Mondyon Nohant 紋屋ノアンさん

    応援コメント&★レビューをありがとうございます。

    当時のサルトル学の最前線にいらっしゃったのですね。素晴らしい!!\(^o^)/
    拙い拙作を発端に、こんなに貴重なお話を拝聴できるとは思いませんでした。
    ひょっとして「Mondyon Nohant 紋屋ノアン」というペンネームにも所縁が?
    サルトル全集の翻訳はめちゃくちゃ?! それで理解不能だったかも。(笑)
    現代史の宝のようなお話、本当にありがとうございます。

    編集済
  • もどかしい…です。
    私は昭和45年産まれです。でも…隣のお姉さんとかから、その頃のお話しはよく聞いてました。懐かしさ…、ノスタルジーとは違うんですよね、でも良いですね!

    ありがとうございます。上紙くるを氏

    作者からの返信

    @yasuhiroEXさん

    応援コメント&★レビューをありがとうございます。
    COP26で岸田首相は栄えある(笑)化石賞をもらったそうですが、わたしも化石みたいですね。(;''∀'')
    でも、若い方にご高覧いただけて、とてもうれしいです。

  • 自分が、産まれる4年前です。

    作者からの返信

    成瀬昭彦さん

    応援コメントをありがとうございます。
    え……まさに親子ほどのジェネレーションギャップですね。(笑)