第2話 パティシエの脱出方法
裏庭で、バン!と爆発音がした。
バン! バン! 連続する。
セザールはハッと顔をあげ、黒人が走り出した。
「裏庭だ!!」「ガキを入れた倉庫の外だぞ!」
銃器を持った警官の突入か? ダダダと黒人たちが対抗すべく、建物を回って裏庭になだれ込む。誰もいない。
かたや廊下。別動で走ってきた黒人が、息を切らして扉にドッと手をついた。ギョロリと視線がサーチ。虜がやはり消えている!
「うっ、い、いねぇ――?!」
彼は錠を外して飛び込んだ。鉄格子の扉がガンッと壁にあたって跳ね返る勢い。
逆の壁に身を潜めていた京旗が、足を振り込んだ。
ガッ!
男は飛び込みざま四方の壁を見回す直前、あっけなく沈んだ。
倒れた男の背をジャンプして超え、京旗は廊下を疾走しだした。
――こっちだ!!
カンが告げる。泥棒が忍び込んだ家で金目のものを見つけるように、百発百中、パティシエは厨房にたどりつける!
「待て~~~!!」
入ってきた場所か目についた開口部から逃げそうなものが、正反対の行動。黒人たちが、泡をくいつつドドッと追って走る。銃を抱えている。
広い廊下、カーペットの上を死ぬ気でダッシュ。厨房に飛び込む。無人だった。バタンとドアを締め、背中をドンとあててハアハア喘ぎつつ、後ろ手に鍵をガチャリ。視線は棚をさらい、茶色の紙袋にストップ。
助走をつけてデシャップ台を、鞍馬のように手をついて飛び越えた。もんどりうって激突ついでに、紙袋にすがりつき、ふぬっと抱え上げる。
ドンッドンッとドアを破ろうとしている廊下の外がわ。
六〇キロからの砂糖や小麦を日夜上げ下げしている菓子職人の腕力で、バッサバッサと振り回す、茶色い袋。ブワァっと化学消化器のように白煙となって小麦粉が吹きだし、天井にまでもくもくと迫る。
ゴホッゴホッと咳き込み、目までやられて涙を流しながら、京旗は手探りで横の窓をあけ、飛び出す。着地した足裏がジンとし、体が衝撃から回復するまでの一瞬に、上半身をひねってピシャッと窓を閉めている。しびれがぬけると、振り向いてただ芝生を駆けた。
厨房の外にはまだ手は回っていなかった。走った。逃げた。森まであと三メートル。
後ろの邸の中、タタタッと発砲する音がした。
――火ィつくぞ!!
と心の中で京旗。
火薬。マズルフラッシュ。火ならなんでも。
ほぼ同時にパリンパリーンという窓。バリバリいう梁や屋根と壁。そしてドゥッ!という音と爆風が、背中から叩きつけた。
うわっと頭を抱えて身を投げ出し、地に伏せた。顔が歪んでいた。
わあわあと人が駆け寄っていく。喚く喚く。火事だ。爆弾だ。手榴弾だ。
跳ね起きて森に飛び込んだ。
粉塵爆発に気をつけろ、とは行政指導で口を酸っぱくして言われる。どこの菓子屋の厨房でも。
換気すること、粉塵を室内に満たしておかないことは、防火防災の鉄則だ。
小麦粉をはたいたりふるいにかけたりしているうちに、いつのまにか部屋いっぱいいっぱいに微粒子が充満していることがある。
空間を満たした粒子は、もしガス台やタバコの火から引火すると一瞬で連鎖して全部燃え、エネルギーは大爆発になってその部屋を激しく吹き飛ばす。火災が発生する。これを粉塵爆発という。
手榴弾がなくたって、パティシエだったら戦える。――ふつうは戦わない職業だが。
細い農道をゼエハアと駆けた。熱帯の森、蔦や下草が刈ってある、人一人やっと通れる道。
タクシーが待ってくれているはずはなかった。
村もグディノーの手の内だと思ったら、森に逃げるしかなかった。
道を走る。
ぬかるんだ道。
今日のぶんのスコールが来た。
ドココッとダムが放水するような音、激しい勢いで降ってくる。
「あで! あであであで、いてててててッ!」
つぶてのように雨が打ち付け、肌に痛い。あっという間にシャツがべったり張り付き、しかも痛い水の弾丸。走っていた京旗は、木の下に飛び込んだ。
幹に背を預けてぜいぜいとふいごのような息。そうしながら、ポケットから危険物の紙箱を出して捨てた。残っていた粉が濡れてしゅうしゅうと、ほんのわずかに煙をあげる。すぐに静まる。
箱の表には、パンや洋菓子のイラストと一緒に文字が並んでいる。
『ベーキングソーダ』
ケーキを膨らませるのに使う。
最適活性温度は摂氏四〇度ら八〇度までのあたりだが、ケーキだねに入れた段階からじわじわと効きはじめるので、混ぜたらすぐにオーブンに入れて焼きはじめたほうがいい。残ると苦い味がしてしまうので、焼成中に消える量だけ計算して入れる。
正体は、炭酸水素ナトリウム。
たとえばこれを水に混ぜてビニール袋に入れ、しっかり口をとじて格子窓から芝生に投げおとす。熱帯の太陽光線で水温上昇、いっきにガスが発生、ビニール袋はボンと破裂。――というわけだ。陽動くらいには使えた。
ダーッと、葉を打ち付ける雨の音が、トタン屋根の下にいるかのように凄まじい。
真っ黒な空には雷鳴が走り、思わず京旗はパッと大地に伏せた。耳を塞ぎ、震えてから、自分を驚かせた砲声のような大音響が、雷だったと気付く。
がくがくと膝が抜けそうになって、泣けてきた。嗚咽し、雨と涙と泥水で、顔がぐしゃぐしゃになる。どっと何かが急に胸郭に押し寄せてきたせいだ。無謀だった自分。暴れた後になってから襲う、怖くて叫びだしたい気持ち。拳を目に押し当てながら、泣いている自分がおかしくて、泣き笑いした。
「人には見せられねーな。クソッ。うっわー……」
客観的なコメントを入れると、猛烈な照れと恥ずかしさが襲ってきた。真っ赤になりながら、ワハハハハッと笑って立ち上がる。
「雨だ。こんな中、追い掛けてくるヤツラはないだろ。こんな森の中で。てことは、進む時間だ。進め進め、距離を稼げェ!!」
口に出して喚いて、京旗は大股にどんどん歩き出した。
――
この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません
――
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