第5章 少年パティシエにできること
第1話 パティシエは行方不明
午後四時現在、まだ連絡がとれない。
秘書官は、染矢日本大使から内々にとその件を相談された顧問の顔を見て、心配になった。
「ワール国首相に、協力要請しますか。警察を出動させ、そのフランス人宅へガサ入れしてもらえば……」
「いや、放っておきなさい。住所を教えたのは私の落ち度だったが、乗り込んでいったのは、いち日本人少年の勝手にしたことだ」
「か、彼のファンではなかったので……?」
「私が動くということは、フランスの対アフリカコマンドが動くということですよ。動くことができると思うかね?」
そうだった、と秘書官は黙った。内戦干渉、帝国主義の復活と、国際社会で非難を浴びる。
顧問はさらに言った。
「しかも、相手は民間企業で、アメリカの巨大資本と来た。米国政府公認ではないが、黙認されていると分かっている相手に、ケンカを売ることは、今のフランスには、できない……!!」
今、アメリカとは、中東で、共に石油権益のために、悪いことだと分かっていても共同戦線を貼っておく手だというのが、フランス外交の大筋になっている。アメリカの数地域に比べてフランスは一地域きりだが、油田の採掘開発権を持っている地域があるためだ。
「なんと、タイミングの悪い……!!」
その声には、苦渋がにじんでいた。
「おーい、治外法権もそこまでじゃないダロ。国際問題に発展するぞ。アイシーピーオーからゼニガタのとっつぁんが攻めて来るぞ。ハーグの国際司法裁判所で裁かれるぞ!」
「ふん。アメリカ本社が、どうとでももみ消してくれる。さて、世界中のどこに、キミを売り飛ばしてくれようかな? ハッハッハ……」
笑い声と足音が、薄暗い廊下を遠ざかっていって、何時間たったろう。
家具もない、古い倉庫におしこめられ、タイルの割れたさむざむしい床にあぐらをかいて、京旗はがっくりと手のひらに額を押し当てていた。
――まずった~……!!
いつか自分の毒舌で身を滅ぼすとは思っていたが。
今度ばかりは啖呵を切ってはいけない相手だったのに、やってしまった。セザールが人を監禁までするとは考えていなかった――というのは、やはり舐めていたのだろう。状況認識が甘かった。
明かりとりの窓は高かったが、隅の壊れた木箱に気をつけて登れば、かろうじて外が見えた。緑の芝生と、向こうの木立ち。だが、その窓には鉄格子がはまっていた。
ドアも鉄格子。檻の扉だ。頑丈な南京錠でしっかり鍵が掛けてある。
やがて隙間から食事が差し入れられたが、水平状態で盆ごと入れたりできない、とても上品な構造の扉だから、個々の品物が格子越しに床に放りなげられた。
水はマルシェで売っているようにビニール袋。
バゲットの切れ端。
角砂糖と小さな紙包みの塩・コショウ。
青いトマト。
さみしい食事に、不覚にも涙が出た。
――ムサの作った日本食がくいてぇ……!!
三度三度、みそ汁でも天ぷらでも上手に作るし、うどんは小麦粉から打っていた。恵まれてたんだなあと思ったら、よけいがっくりきた。
と、廊下の向こうから、話し合うフランス語が聞こえてきた。
黒人だとは分かるがムサ・フランセよりかなりまともな発音のフランス語と、もう一人はセザールの声だ。
「ムサ・ビトオ軍の小物が少し手に入りましたよ」
「よしよし」
セザールは、上機嫌のようだった。黒人の声はへつらうように、
「これであんたのお望み通り、ヤムイモンでのムゴド氏暗殺事件は、北部のゲリラの仕業にできますな」
「シッ。声が高いよ」
「おや、聞かれたらまずいお客でも、この奥に?」
京旗は、反射的に身を固くした。
「――いや、心配することはないんだ。無力なパティシエの小僧で、間もなく行方不明となる身さ。さあ、仕事に向いた若者を選んでくれ。出発前に訓練が必要だろう? 鉄道のチケットはこちらで手配しよう……」
はっはっは……
笑い声が、遠ざかっていく。
半地下の倉庫の廊下で密会とは。部下にも聞かせたくない、今のところトップシークレットのわるだくみなのだろう。
ムゴドって誰だ? ヤムイモンとは? ムサ・ビトオ軍に、北部のゲリラ?
ちんぷんかんぷんだったが、暗殺事件のなすりつけとは、ゾッとしない。
ヤツの目的が国を破壊するための内戦激化と分かっている以上、絶対叩きつぶしてやる。
染矢大使か、レミュール顧問かに、早く報せに行かなければ。――逃げなければ。
だが、どうやって逃げる?
頑丈な鉄の檻の扉など破れない、京旗は、確かにセザールの言うようにただの少年パティシエだった。
――考えろ。考えろ考えろ考えろ。
ポケットに何があったか、思い浮かべる。
日本人の子供がピストルやナイフなんて持ち歩くわけはなかったが、身体検査は一応された。カーゴパンツのポケットには、昨日スュペルマルシェで買い物してネジこんだ、小さな紙箱ひとつきり。
物騒なものではないが、
「……ふ~っふっふ。真実のパティシエの底力を、舐めるな~っ!」
不気味な笑いとつぶやきが、薄暗い倉庫に漂った。
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