第5話 反政府組織とショコラティエの裏表

 問題は抱えているが、バイトにはちゃんと出る。京旗が大使公邸の厨房に行くと、しかし、伊太郎がいなかった。

 廊下の先で、ホールをそぉっとのぞき見している背中を見つけて、京旗は、

「趣味が悪い。シェフ、立ち聞きっすかァ?」

「うわぁっとォ!」

 伊太郎は躍るようなリアクションとともに、振り返った。声は潜めて、

「なんだ、一色か。見逃してくれ。な?」

「何を覗き見アンド盗み聞きしてたんすか?」

 つきあって声は落としたが、ひょいと頭だけをホールに覗かせた京旗の目に映ったのは、染矢大使と桑原や数人の大人達だった。

 頭出しすぎだっ!てめっ!と伊太郎が引っこめさせつつ、耳打ちする。

「内戦激化と治安悪化の問題でな。企業各社の駐在員やら大使館で集めた情報と、ワール国政府から出された話の検討会みてぇだ」

 大人たちの間のテーブルに書類が広がっている。遠望レンズで撮られた写真や新聞のコピー。

 写真の中では、ダメジャンの警官がデモ行進を抑えている。サバンナで、迷彩服の黒人がトラックの荷台の木箱から銃を取り出している。サファリ姿の怪しいヨーロッパ人と、すがめを交わすヨーロッパ人青年。

 あっ!と、京旗は叫んでしまっていた。

 瞬間、大人達が振り向いた。廊下のアーチの下にいる京旗を発見。

 こうなったら、隠れてもしょうがない。京旗は、つかつかと前進した。

 うわっと、大使が書類を隠そうとする。

「なんすか、その写真」

 京旗は突っ込むように言った。

「ななななんでもないよ、テロリストや工作員のことなんて、キミたち子供は心配しなくても……」

 京旗の目が、唖然となった。

「そのフランス人、オレ、知ってるんすよ」

「なにっ?! 名前とか、何をしてた人物か、とかもかい?!」

 大使に、大人たちから一斉に非難の視線が集中していたが、京旗は大使が彼らに気付かないよう、彼の目をまっすぐ捕らえてしまった。

「ええ。セザール・グディノー。パリのショコラティエです」

「ますますわけがわからなくなってきましたね。なんだってそんな男が、この国で暗躍を?」

「というと、何をやらかしてるんですか?」

「北部と西部の反政府組織に、裏から援助をしているらしい男なんです。最近、どこからか降って湧いた。でも、フランス人とは……! フランスがそんなことをしているとなったら、コトです。フランスを問いつめるなんてこともできなければ、この男にワール国政府をけしかけることもできませんし…… 何を考えているんでしょう、これでは本当に、私たちはここを去らねばならなくなる」

 苦悩を浮かべる大使。

 テロリスト? フランスの工作員? 京旗の顔には、苦笑が浮かんでいた。

「待って下さい、いくらなんでも、それはなんかの間違いでしょ――?」

「いいえ。彼が最近積極的に活動していることは確かです。国際的な規模で人の命のかかった問題に、お友達が関わっていると考えるのは、確かに、イヤなことでしょうけれど……」



 嘘だろ、と京旗は思った。

 セザール・グディノーが?!

 大人たちの会議のお陰で長引いた厨房仕事を終えると、飛んで帰った。

 部屋の電話の前で、腕を組んで二度、三度と右往左往したあと、

「しょおがねぇ。助けは借りたくないが、背に腹はかえられないし……!!」

 意を決すると、受話器を取り上げた。

「――もしもし、兆胡サン? はばかりながら、お願いがあるんですが。セザール・グディノーっていう元パティシエについて――」

そっちで調べられますか、と言葉を続けるつもりだった京旗の言葉は、兆胡の焦った感嘆によってぶったぎられた。

『え~?! アフリカにいて、どぉして彼だって分かったのッ? 鋭すぎじゃないっ!? 京旗クンたらさすがすぎっ!!』

 でかい声に、耳を押さえてしゃがみこむ、京旗。

「……ヤツが、なんですって……?」

『だから、犯人よ』

「何のだっ! ったくもう、兆胡サン、前から言ってるじゃないですか! 頼むからまともな言語喋ってくださいよ、5W1Hに気をつけるとか、会話は文脈に沿って話すとか、それからそれから――」

『あら違うんだ? なぁに? じゃあ何が彼についてどうしたっていうの?』

――ったく、聞く気ナシかよっ!!

 京旗は、頭を煮やした。

「……調べて欲しいんですよ。ヤツが今はどこでどうしてるか、ワール国のダメジャンで見かけるのは、何でか!」

 電話の向こうが沈黙した。

 兆胡はそのとき、目を寄り目にして、眉間に縦ジワを刻んでいるところだった。

『……それって、どぉゆうことぉ? 京旗クン、大丈夫なの~?』

「はい……?」

『さっきの話、するね。あたし、あのあと実は調べてもらったの。京旗くんのうお菓子、あたしにとってはまずいとはいえ、三位にも入んないのはやっぱりおかしいもん。そしたら<サロン・ド・ショコラ>のショコラトリー・コンクールのときの京旗くんの材料チョコ、ヘローナ社の搬入業者にお金を渡して、すりかえさせたヤツがいて、それが、例の金賞の人だったの。セザール・グディノー』

「なにぃっ?!」

『調査書の写し、ファックスしてあげようか? うふふ、兆胡サンが濡れ衣を晴らしてあげたから、パリに帰っていらっしゃい。ねっ、京旗クンっ』

 弾んだ声が言った。

「…………」

 京旗が沈黙を返すと、兆胡の口調がガラリと変わった。

『グディノーは、なんでかしらないけど、きっと相当あんたに恨みがあるのよ。ダメジャンにいるなら、あんたを追っかけてった以外にナイわ。プッツン野郎に危害を及ぼされないうちに――』

「それは、ナイです。楽しい妄想急展開中、すいませんけど」

――オレを追いかけてたなら、あゆより先にオレに気がつくはずだし。

 京旗の憮然とした声が言い切った。

「まだ帰りません、こっちで、ちょっと用事ができまして――」

 兆胡の口調は心配そうで真剣そのもの、面白がっているのでないのはわかっていた。が、京旗は耳を貸すわけにいかなかった。

 セザールが本当にそんなことをしたなら許せない。

 京旗にとっては、チョコレートに――菓子に作る側として関わっている人間が、そんな卑怯なことをするとは、信じられなかった。

 神聖な――といってもいい気持ちで菓子作りに専念してきた京旗にとって、想定外の発想だった。

 自分が金賞をとるために、チョコレートに異種油脂を混ぜる? たかが勝負のために? フランスって国の、<BMS>まで取得しているパティシエが?

 大事なこと。それに寄せる想い。

 たった一人の母親に心配をかけても、譲れない。

『京旗クン、でも、グディノーは避けて通るべき相手よ』

「帰りません。――安心して下さい、別に危険なことは何もないですよ?」

『あたしの話を聞いてよっ! ――あんたのお菓子はまずいけど、まだ道を諦めるほどじゃないんだから、一息入れて回りが見えたら、ほら……、こんどは一刻も早く、努力を再開するものよ?』

 語尾がふわりと、京旗を包み込むように広がった。

――そーいう説得の仕方をしますか。

 説得のための説明みたいに、耳を上滑りしていかないのは、彼女の本心からの言葉だからだろう。裏打ちされてて、威力がある。

――きったねぇ。ドタンバになって真心をかざすとは。

 息子としては、黙るしかなくなっちゃうじゃないか?

 でも、それだったらこっちにだって、言うことがある。

「ですが、オレ、帰れないっスよ。なんてったって、マドモアゼル・ショコラの再婚相手をまだ、拝んでいないんで」

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