第3話 カカオの国は招く
天才少年パティシエ・一色京旗は十七歳、高校二年生。そう世間は信じ込んでいるが、実は違う。
初めて年齢を詐称したのは二年前で、親方の元に弟子入りするため、義務教育はいちおう終了した十五歳だと言い張ったら、
<なんだ、もっとガキかと思ってたぜ>
<えええーと! 外国人には日本人て実年齢よりすげぇ年下に見られるって聞いてたけど、マジ僕そんなに幼く見えるんすか?!>
<あ、すまねぇすまねぇ。バカにしたつもりじゃねぇんだ、悪かった>
信じられてしまったのである。
アジア人は幼く見える。その理論で、誰もが拍子抜けするほど騙されてくれるという、ここは大変便利な土地だった。ちなみにパティシエとして有名になってしまってからは、いつ知ってる誰かにバラされるかと戦々兢々していたが、中学のクラスメートには、『雑誌に出てるのは同姓同名の他人! 顔も他人のそら似!』で押し通せていたりもする。
そんなこんなで二年がたって、パティシエの一色京旗は十七歳になり、ほんとうの年齢はやっと二年前の嘘の中の十五歳に追いついたところなのだが、
――ま、バレなきゃオッケーさ。
と思っていた。しかし、
「やっぱり!! いま、中学っておっしゃったわ!!」
「あはははは~、聞き間違いですよ、やでっすねぇ、オレが中三なわけないじゃないスか~!」
せめて、成人してからバレるなら、なんとか。そこから平謝りで炎上回避を狙いたい、などと、考えている京旗だった。
こんなところで、こんな糸口から、今、バレてしまったら、めちゃめちゃ困る。
恨むぞ、かーさん!!
『ま、誕生月は、あんたの方が先みたいだけど~お』
「いやいや、だからさ、一色京旗は十七歳ってコトで……」
じたばたと、ふくよか女の魔手から逃れ去ろうと必死に手足をばたつかせながら、京旗は訴えた。
『現実逃避してるんじゃないの。さあさ、支度でも始めたら? あ、向こうは今、半袖でオッケーみたいよ。ワール共和国だから。アフリカの。――っていうか、カカオの世界一の産出国だから、もちろん、知ってるわよね?』
「なんッ……!? ワ、ワール共和国ぅ?!」
そ、そんな遠く……!?
京旗は愕然のあまり、ポトリと携帯を取り落とした。
今、この状況で、パリを離れろっていうのか!?
突然脱力した少年に、脂肪女が、チャンスとばかりにバッとジャンプし、手足を広げて飛びかかってくる。
ハッと我に返った京旗。
「だあっ! いつまでもザケてんじゃねぇ!! オレはいろいろ忙しいんだよッ!!」
遂に脚が出て、えいと女を靴底でブロックし、突き放した。
一応やんわりとしたのだが、ドウンと体重のせいで激しい地響きをたて、カーペットに崩れ落ちる女。
「ひどいぅわっ! ひどいぅわっ!」
と言い出すのを、京旗はしっしっと追い払い、失礼でもなんでもかまわないとばかり、部屋にとじこもって内側から鍵をガッチャンとかけた。
アメリカはニューヨーク。マンハッタン。経済の中心たる街の高層ビルの一室。
「何故、一色京旗ではないのかな」
窓を背にして、質問の声は冷静だった。が、内に秘めた炎の凶暴さはよく知られている。先ほどから頭を下げていた男――フランス出張から帰国したばかりのアメリカ人は、すくみあがった。
「スカウト対象の変更については、納得のいく説明をして貰えるんだろうね。ことと次第によっては……」
そこで言葉を切った上司に、メッシュの男は慌て、
「お待ち下さい、ミスター」
顔には汗が幾筋も伝っていた。
「一色京旗――彼は、たとえスカウトできたとしても、教化に長い期間を必要としたでしょう」
「まだ十七の、しかも『イマドキの軟弱な日本人のティーン』なんだろう?」
「セザール・グティノーの方が、我々の理念に賛同しやすいタイプでした。即戦力となる人材――我々はいつも、それを望むのではありませんでしたか?」
「ふん……」
考え込むような沈黙。
「コンクールの結果もご覧下さい、一色は選外、グディノーは優勝です。一色をスカウトしていたら、とんでもない先物買いだったと今頃後悔していたでしょう」
「――いいだろう。それほどまでに言うなら、直接接触してみよう。今後しばらく、私が彼を指揮する」
え?と部下の男の顔が固まった。
が、反抗はできない。冷や汗をぬぐって、黙り込む。
「それで、ワール国のことはどうなっているのかな?」
「は。工作は順調に進んでおりまして……」
京旗はベッドの中で、何度も寝返りをうっていた。
ようやくふくよか女がコミュニケーションを諦めてトボトボとドアの外を去っていった気配がし、落ち着いて眠りにつける段になったが、目は、冴えてしまっていた。
京旗の生きる原動力、パティシエになってからの大きな目標、オーナーシェフになる夢は、どうなってしまうのだろう。
まずパティシエとして今後やっていけるかどうかが、とても危うい。
菓子屋では、募集に応じて就職希望してきた職人がいたら、経験者の場合、その職人が前に務めていた店に問いあわせる。従業員だったころの就業態度や評価を聞く。それは、フランスならどの店でも、ふつうに行われている。
しかし京旗は、サントノーレ通りのあの店を喧嘩して飛び出してきてしまった。ゆえに、次の店に就職できる可能性はない。
喧嘩のあげくの出奔ではなく、いい従業員で、円満退職だったなら、推薦状つきで次の職場に移れたものを…… より名のある店の厨房に、修行に入れるかもしれなかったものを……
もちろん、天才少年と世間に知られたケーキ・イッシキの名を出せば、引く手あまたということも考えられる。
だが、<サロン・ド・ショコラ>のショコラトリーのコンクールに、あんな理由で失格したのが、業界に知れ渡ったら、再就職どころか、業界からつまはじきにされもおかしくない。雇ってくれるとしたら、作る菓子はどうでもよくて、ケーキ・イッシキの名が欲しいだけのクソ経営者だ。そんなところで働いてなどやるものか。
しかし、それでは本当に、八方塞がりで、キャリアを積んだり資金を貯めたりの道を自ら閉ざすことになってしまう。
節を折って、暗黒菓子補に務めるしか、ないというのか。
あああ、何故自分は、もうあのパティスリーの従業員ではないのか。
ぐるぐる頭が回りつづけていた。うーんと唸り声が出る。熱でも出てきて体調を崩しそうだった。
だが、明日は、いくら京旗が体調を悪くしても迷惑する者はなく、それどころか、早起きをする必要もないのだ。
なんてこった。
いつも、学校へ行く前に仕込みをするので、夜明け前に起きていたのに、明日は起きても、階下へ降りていっても、京旗が立つべき厨房がない。
ふくよか女の世話になるウザさに気付いて、勢いでワール国に行きます!と約束してしまったが……
――オレ、そんなことしてる場合なのか?
薄暗い、半月型のトンネル。湾曲した天井の下のホームで、
「一色くん」
感じのいい青年の声が、京旗を後ろから呼び止めた。
ワール共和国への渡航者に義務づけられている、黄熱病の予防注射を受けにいくために、地下鉄に乗ろうとしていたときだった。
「えーと、あんた、誰っすか?」
振り返った京旗に、フランス人青年は、こけた。
「あはは、覚えてないか……。残念だったね、コンクール」
と、気を悪くした様子もなく、苦笑して言う。
誰だコイツ、赤毛の、人のいい相撲取りみたいな……と思ってから、ピンときた。
「セザール・グディノーさん! 優勝、おめでとうございました」
「ありがとう」
サロン・ド・ショコラのショコラトリー・コンクールでの優勝者。
オレが優勝するはずだったのに!と憤慨している内心など微塵も見せず、京旗はニッコリ笑顔の仮面をつくった。
セザールは、京旗の内面には気がつかない様子で、
「キミは残念だったね……。 油脂混入なんて、キミがまさかそんなこと。何か手違いだったんだろう? ボクはキミとの決戦を、実は楽しみにしていたんだが……」
負け犬が情けをかけられた気分になった。京旗は、クソッと心の中で吐き捨てた。
表面的には、さりげなく手を差し出し、握手を求める。
「ご配慮ありがとうございます。大丈夫、次は、僕が勝ちますよ」
笑顔。爽やかな、笑顔。
――てめえなんざ、こっちはライバルとも思っちゃいなかったんだよ!!
端から見れば、ニコニコと握手した手を上下させている男二人。
――
この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません
――
お読みいただきありがとうございます。これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク・フォローをお願いします
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