第7話 失格敗退

「あっちー……」

 ばたばたと、コック帽で、自分をあおぐ。

 コックコートのボタンを腹まであけ、ダブルボタンの襟元を無理矢理大きくくつろげて、だらっと石段に片あぐらをかき、片脚は投げ出していた。

 会場の裏手。

 今さら、じっとりとにじんできた脂汗。コックコートの袖でぬぐう。

 危なかった。この熱が競技中に出てきていたら、どんなに集中していても、チョコレートを扱い切れないところだった。溶けてしまう。

 競技の間、無意識に、体温すらコントロールしていたらしい。

 さっきの繊細さなど嘘のように、だらけている日本人少年。そこに、どたどたと、一人の女が走ってきた。

 肥えている。

「見つけた~!! 京旗サマ~!!」

 フゴフゴ鼻をならす、だみ声。

「げっ」

 失礼ながら、名前も覚えていない。ファンの一人、資産家の令嬢――と言ってもとっても年のいった独身女で、京旗のメセーヌになりたがっている、たくさんの奥さまがたのうちの一人だ。

 「メセーヌ」というのは要するに「女のメセナ」で、「メセナ」というのは簡単に言えばパトロンだ。独立をすすめ、その出資をしてやろうという奇特な方々だ。熱烈なファンの変形版ともいえる。

「そろそろコンクールの審査結果が発表されますわよ! 会場にお戻りにならなくては! でも、大変ですの~っ!」

 色気もないだみ声で、身をもみしぼるのはヤメてほしい。申し訳ないが、耐えられない。

 だが、女はその声を出し続けた。ひきつった顔は、青ざめている。

「京旗サマ、失格かも知れないんですわ……!!」

「っ? な、なななな、なんでっすか?!」

 飛び上がった心臓。

――まさか、年齢詐称がバレた?!

と叫びそうになって、口を押さえた。

 いくらなんでも、自分からバラすバカはないだろう。



 会場にダッシュしていった。が、扉の前で、京旗はたたらを踏んだ。

 発表の場に、どうしても居合わせたい。けど、非難や好奇の目にさらされるなら、逃げ出したい。

 迷った末、歯をくいしばって、扉を押し開けた。

 照明のライトが眩しかった。

 そのライトの中で、映画スターが、コンクールの賞を発表しているところだった。

 三位、二位の入賞者はコールされ、既に壇上にあがっている。白髪の見えはじめたナイスミドルのショコラティエと、三二歳の――今年、フランスの地方有数の都市リヨンにショップをオープンさせた若手。賞状の額を手に、拍手を受けていた。

「それでは、栄えある第一位の発表です」

 司会者が厳かに告げ、バンドが生でドラムロールを鳴らしはじめる。

「優勝は!」

――ジャン!

「セザール・グディノー氏!!」

 ファンファーレが、高らかに吹き鳴らされた。

 京旗は、膝が崩れ落ちそうになった。

 上位三位にも入れなかったショック。

 京旗は、作品には絶対の自信があった。

 オレンジの香りと風味をチョコレートに合わせるのは、フランスではごくポピュラーだ。柑橘類を受け入れる素地はある。だから日本的な柑橘類でやったら個性も主張できるし、ウケるに違いないと、配合や材料の吟味、調製法に研究に研究を重ねた。自信作のトリュフだった。

 あれが三位にも入らないなら、失格ってのは、本当に、本当か――?!

 一位の男が、ステージへの階段を上がっていく。

 赤毛の男――小太りなので、コックコートの背中が広い。身長も高いし、相撲取りみたいな野郎だな……と、京旗は、ぼんやりと思った。

 ステージの上に上がりきったセザール・グディノーは、ドレス姿の女性審査委員長から、金賞の賞状とトロフィーを受け取った。プレゼンターから、花束も受け取る。目の細い、人のよさそうな顔が、照れに赤らむ。

「尚、大会の実行委員長より、少々お話があります」

 司会者が言い、ハチミツ色のショートヘアの初老の女性が進み出た。

「残念なご報告があります。みなさん」

 しわがれた声だが、凛としている。パティシエでなく顧客だが、各界の著名人二五〇名以上からなるチョコレート愛好家団体の幹事を務めている女で、この業界では、ちょっとした顔だ。

「今回、素晴らしい実演を披露し、味も香りも歯触りも素晴らしく、デギュシタシオンの結果、全会一致で優勝と思われたショコラティエの作品が、科学的な検査の結果、植物油脂の割合が三パーセントを超え、「チョコレート」を名乗れないものであることが判明したため、失格となりました。『サロン・ド・ショコラ』実行委員会としては、大変残念なことです。どのような目的や意図で規格外のチョコレートを使用したかは知りませんが、今後は、このような不純なチョコレートが、当コンクールで、いえフランス国内で決して使われないことを、希望します」

「……!!」

 観客たちの頭越し、彼女の目は、会場の隅に現れた京旗を見据えていた。

 誰のことを言っているのか、本人にだけは、はっきりわかった。

 優勝かと思われたほどの作品。――と言えば、もちろん一色京旗のボンボン・ショコラだろう。

 けど、「三パーセント以上の植物油脂」だって?!

 ココアバターを省略した、悪質なチョコレートで、このオレが勝負をかけた、だと?!

「やってないすよ……」

 思わず母国語の日本語で、京旗はつぶやいていた。

「え? 何ですの?」

 横で、ふくよかな女が聞き返す。

 失格の理由があまりにショックで、めまいがし、世界がぐるぐる回りだすような気が、京旗にはした。

「もう一回、検査をやり直して下さい!! 僕はそんなチョコレート、使ってません!!」



「バッカもんがぁ!! よくもこの店の顔に泥を塗ってくれよったなぁ!!」

 パリの、サントノーレと名のついた通りの、こぎれいな菓子屋。罵声の大きさで、ガラスにパリーンとヒビが入った。うわっと思わず、腕で顔をカバーする京旗。

 サロン・ド・ショコラのショコラトリーのコンクールで上位に入れなかった――というより、失格だった事実は、即座に親方に伝わった。当然、なぜ失格になったかも、だ。

 会場からひきあげてきた京旗を、親方は、とるものもとりあえず、とにかく廊下にひきずってきた。

「パティシエはアーティストじゃねぇ、職人だ!! と言ったじゃねぇか!! 形や味がそれらしくできりゃそれでいい、なんつー大量生産のキャタピラー社の菓子をつくっとるんと、ワケが違うんじゃぞ、ワシらは!!」

 京旗は、うなだれていた。

「わかってるっスよ……でも、チョコレートが違ったんスよ……僕のせいじゃない……」

 悔しかった。あのあと、もう一度検査をしてもらったが、結果は同じ。恥の上塗りをしただけだった。でも納得がいかない。

「バッカもぉん!!」

 老シェフは頭ごなしに怒鳴った。

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