九十一 圏外は高級品

「ヒャア。すごく混んでるなあ」


 地平線の彼方までごった返す人混みを見て、俺は思わず目眩がした。


「連休中だもの。仕方ないわよ」

 隣で妻が諦めたように囁く。 


 休みを利用して、俺たちは都内にある『オフライン・パーク』に来ていた。


 休みの日くらい、煩わしい仕事の電話や催促のメールから解放されたい。とは言え仕事柄無下に電源を落とす訳にもいかない。どうにかならないか。お金を払うからそっとしておいて欲しい、頼むから俺に連絡をよこさないでくれ……そうした願いから生まれたのが、『オフライン・パーク』である。


 今やエベレストの天辺からマリアナ海溝の奥深くまで、地球上電波の届かない場所など皆無になってしまった現代人にとって、常時オンラインでいることは極端なストレスになってしまった。『繋がらない』ことを売りにしたテーマパークはたちまち人気を博し、疲れ切った現代人にとって憩いの場となった。圏外は高級品になってしまったのだ。


『パーク』ではGPSで居場所を常に把握されることもない。SNSで本名も顔も知らない輩に絡まれたり、いざ寝ようと思ったら『取引先でトラブルが起きたから休日出勤してくれ』なんて、非人間的前時代的な連絡もない。人間が人間らしく、五感をデジタル以外に使える貴重な観光名所であった。


「見ろよ。すごい行列だぜ」

 俺は券売機に並びながら、柵の向こうを顎でしゃくった。園内もすでに大勢の人々で賑わっている。


「こちら『公園散歩』150分待ちとなっておりま〜す!」

 プラカードを掲げた係員が長蛇の最後尾で叫んでいる。2500円で、手つかずの公園の周りを歩いて一周できる、パークの人気アトラクションだった。今や日本では治安が悪化する一方で、道を歩けばそこら中にゴミが散乱し、通り魔やひったくり犯が市民権を得たりとばかりに我が物顔でうろついている。自由に『散歩』など、とても危なくてできたものではない。


 それを受け、近所にあった公園も

『ボール遊び禁止』

『自転車禁止』

『スケボー禁止』

『遊具禁止』

『肺呼吸禁止』

『二足歩行禁止』

など、危険を排しすぎて最早何もできない虚無の空間と化してしまった。現代人にとって『公園散歩』など夢のまた夢である。


「アラいいわねえ。私、一度でいいからゆっくり散歩したいわあ」

「150分待つ価値はあるな」


 妻がうっとりするように言い、俺は頷いた。両足で合成物でない大地を踏みしめ、本物の草木の匂いを嗅ぐなんて、最高の贅沢じゃないか。『公園散歩』の他にも

『罵詈雑言井戸端会議』

『ブラックジョーク解放区』

『有人レジ体験コーナー』

『バットエンド映画館』

『有害指定図書室』

『生演奏アナログ音楽祭』

など、パークには垂涎物のアトラクションが目白押しであった。どれも普段の生活では味わえないものばかりである。


「楽しかったなあ」

「手間暇かけるって、最高ね」

 日頃のストレスを発散し、思う存分魂の洗濯をした俺たちは、晴れ晴れとした気持ちで家路へと着いた。金持ち連中が大枚を叩いて鈍行列車に乗るのを羨ましげに見つつ、俺たちは空間移動装置で一瞬にして自宅へと飛ばされた。全く情緒もクソもない、つまらない移動手段である。


「やれやれ。俺も一生に一度くらい、2時間も3時間も時間を贅沢に使って、満員電車に揺られながら帰って来たいもんだ」

「また行きましょうよ。ねえ、私、次は『現金払い限定ショップ』に行ってみたいわ。昔の人って、紙と硬貨で支払いをしてたんだって。信じられる?」


 家で妻と話していると、早速俺の携帯電話がひっきりなしに鳴り始めた。貧乏人は常にオンラインに晒されなくてはならないのである。俺はうんざりしながら、早くも次の休みに想いを馳せるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る