八十七 犯人は田中②
「一体犯人は誰なんだ……っ!?」
姿の見えない殺人鬼に、私は苛立って壁を拳で叩いた。
これでもう、三度目だ。
今回は紅茶に毒を盛られていた。たまたま零した紅茶を飼い犬が舐め、突然痙攣し出したから発覚したものの、一歩間違えれば間違いなく私がやられていた。私は無意識のうちに歯軋りし、残り少なくなった髪を掻き毟っていた。
「今すぐ、この書斎に全員を集めろ! 全員だ! 早く!!」
「か、かしこまりました、旦那様!」
先ほどから床に零れた紅茶の跡を拭いていた女中の佐々木が、私の怒鳴り声にビクッと肩を震わせ、跳ねるように立ち上がった。逃げるように書斎から出て行く彼女を、私はその姿が見えなくなるまで、冷たい目でじっと眺めていた。
毒入り紅茶を運んできたのは、他でもない佐々木だった。
年端も行かない小娘とはいえ、彼女も立派な”容疑者”の一人だ。
「フン! 一体警察は何をしているんだ……くそっ!」
私は悪態をつき、書斎の窓を打ち付ける激しい雨粒を恨むような目で睨んだ。全くこの嵐のせいで、一等地の別荘が陸の孤島になってしまった。およそ犯罪とは無縁だった穏やかな避暑地が、自分に殺意を持った狂人と一緒に閉じ込められることになるなんて、笑えない冗談だ。
警察がすぐに動けない以上、こうなったらもう、自分の身は自分で守るしかない。
私は深々と革製の椅子に腰掛け、時化た煙草を咥えなおした。
一度、状況を整理してみよう。
苛立ちの収まらない頭を質の悪い煙草でどうにか丸め込み、私は一昨日此処にきた時のことを思い返してみた。
□□□
今現在、この別荘にいる人間は私以外に”七人”だ。
妻の光代。
古い友人であり、ビジネスパートナーでもある佐藤。
還暦を迎えた警備員の鈴木に、女中の浜田、佐々木。
若い庭師の武田。
それから専属料理人の、田中。
……この中の誰かが、私の命を狙っていることになる。
なんせここは人里離れた山奥にある私個人の別荘で、一番近くの町まで車で一時間はかかる。断崖絶壁に囲まれた別荘へ行くには、この山に一つしかない吊り橋を渡らなくてはならない。この山自体もそうだし、吊り橋もまた、私の所有物だった。此処にきてすぐ嵐に見舞われてしまったし、何より私が別荘に到着した時に橋は閉鎖しているので、他に誰か部外者が侵入したとも考えにくい。
私は椅子の上でゆったりと煙を吐き出した。犯行動機については心当たりはなかったが、”自分の命が狙われている”ということに、不思議と驚きはなかった。私もこの年まで、小さいながらも会社を経営し社長をやっていたものだから、何かと恨みは買っている。誰かは判らないが、たとえ身内だとしても驚きはしない。
だが、だからと言って黙って無抵抗に殺される訳にもいかない。何か証拠はないだろうか……。犯人の手がかりになるような、共通点は……。
そういえば……。
私はふとあることに気づき、一人唸り声を上げた。
一回目に命を狙われた時は、暗がりの庭園で、突然後ろから刃物で襲われた。生憎犯人は逃がしてしまったが、あの時犯人が慌てて落としていった凶器は果物ナイフだった。
二回目の殺人未遂は、私が離れで読書している際、あろうことか小屋に火を放たれた。幸いこの嵐ですぐ火は収まったのだが、一歩間違えれば私は焼け死んでいた。そして今回の紅茶の毒……。
「そうか……そういうことか……」
私は煙草の火を力強く揉み消し、窓ガラスの向こうの稲光を苦々しげに睨み上げた。
□□□
「し、失礼します。旦那様、全員を呼んできました」
しばらくすると、ノックの音とともに佐々木のか細い声が扉の向こうから聞こえて来た。
「……入れ」
私が返事をすると、少し間を置いて、ギィ……と鈍い音を立てながら木製の扉が開かれていく。やがてこの別荘に来ていた全員が、ぞろぞろと私の書斎に入ってきた。
私は”容疑者”の彼らの姿をじろじろと眺めた。佐藤、鈴木、武田……妻の光代などは、こんな時間に呼び出されてあからさまにイライラしている。所在無さげな彼らに私は椅子に座ったまま咳払いし、重々しく口を開いた。
「やあ、諸君。集まってもらったのは他でもない。まただ。また私の命が狙われた」
「なんですって!?」
「静かにしてくれ」
私はざわつき出した彼らを右手で制し、先ほどの経緯を話して聞かせた。その間、彼らに何か不審な動きはないか、私はじっと観察していた。
□□□
「……で、あるからして、この中に犯人がいることは、間違いないだろう」
「まさか!?」
「いいや、そうだ。それに実は、犯人にはもう、検討がついておる」
「ええ!?」
私の言葉に、皆の顔に一斉に緊張が走った。私は息を整え、重々しく……白い制服を着た料理人の田中を……指差した。
「そうだろう? 田中! ……君が犯人だ!」
「ええ……!? だ……旦那さま……!」
田中は寝耳に水だ、とでも言わんばかりに慌てふためき、大きく目を見開いた。私は怒りに震え、歯を剥き出しにして唸った。
「黙れ! 一回目の殺人……。私は一命をとりとめたが、君は凶器を落としてしまった。そう、”果物ナイフ”だ」
「…………!」
「そして二回目の小火騒ぎ。皆、覚えているだろう。あの後、厨房から大量のアルコールが無くなっていたことを。火を掛ける時に、犯人は”酒”を使ったんだ。そして今回の”紅茶”……」
「そんな……! 旦那様、私は……決して……!」
全ての殺人未遂の共通点は、”凶器”が料理に関係するもの、調理道具だということだ。
口では否定しつつも、明らかに動揺を隠せない田中に、私は確信を持った。
椅子から立ち上がり、ゆっくりと皆の元へと歩を進める。中央に田中だけを残して、周りがさっと一歩引いた。皆の輪の中で、私はもう一度怯える料理人を指差し、まるで二時間ドラマの中の探偵のように言い放った。
「田中! 貴様が犯人だな!」
「違います、旦那様」
その時だった。
突然、私はわき腹に熱いものを感じ振り返った。
私は驚いて目を見開いた。
腹から、”果物ナイフ”が生えている。
次に刺し傷から襲ってきた燃えるような熱さの痛みに、私は思わず顔を歪め膝をついた。ずるずると嫌な感触を残して、ナイフの刃が私のわき腹から抜けていった。
刺された……刺された?
何故?
犯人は目の前にいる、田中では無かったのか?
じゃあ、一体……!?
気がつくと、ひゅうひゅうと空気の抜けるような音が私の喉から漏れていた。私は動きの鈍くなる体を必死に起こし、首を曲げ傍にいた人物を見上げた。天井から吊り下がったシャンデリアの逆光の中、私のわき腹を突き刺したナイフの柄を持っていたのは……。
次第に薄れゆく意識の中で、”真犯人”が床に這いつくばる私にゆっくりと口を開いた。
「……私たち”全員”が、貴方を恨んでいたんですよ、旦那様。貴方を殺そうとしていたのは他でもない、此処にいる”全員”です。殺意の元凶、こうなるまで皆の恨みを買った張本人……その”犯人”は田中様、貴方です」
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