八十 弱さも醜さも、それも自分だと受け入れることができたなら

「……もう大丈夫よ。嫌な過去は、捨てたっていいの。これ以上あなたが傷つく必要はないのよ」

「……ありがとうございます、先生」


 先生の言葉に、私は思わず涙を浮かべた。





 私には昔から、過去を捨てる癖があった。


 小学校から中学校に上がる時、中学から高校に上がる時……。

環境が変わるたびに、人間関係もリセットしてきた。電話帳の連絡先を唐突に消してみたり、集めていた服を全部捨て、それまでとは違う格好をしてみたり。嫌なことや、苦しいことがあるたびに私は過去を捨ててきた。



 別に捨てるのも、相手が嫌いだからではない。むしろ今まで捨てた友人も、みんな大好きだった。できれば一生、一緒に入れたら素敵だろうなと思える人達ばかりだった。だから捨てた。



「彼らと一緒にいたら、私はきっと惨めになる」


 そんな恐怖が、ずっと私の胸の裏っかわの方に張り付いていた。彼らは私と違って、立派な人間だ。このまま当たり前のように大学をに行き、就職、結婚し家族を作っていく……そんな大業を成し遂げていく友人達が、眩しくてしょうがなかった。私には絶対に不可能だ。そんな輝かしい彼らの横で、ずっと自分の影を隠しながら生きていくことに耐えられなかった。


 そう、私は卑怯者だ。自分が傷つかないためだけに、相手を傷つけることにしたのだ。



 ……皮肉なものだ。そんな罪悪感が、それからずっと私を傷つけてきた。気がつくと、「悪いことをした自分は傷つけられて当然の人間だ」という思いが、胸の裏っかわから刺さって抜けなくなっていた。







「……今回のカウンセリングで、やっと自分の過去と向き合えた気がします」

「気をつけて帰るのよ、鈴香さん」


 優しく微笑んでくれた先生に百倍の勇気をもらい、私は病院を後にした。


 本当に、生まれ変わったような気分だった。今までずっと、過去を捨てたことを後悔していた。でも、自分を傷つけるくらいなら、嫌な過去は捨てたっていい。そんな考え方を教えてもらってから、少しづつ痛みが和らいでいくのを感じた。


「ただいまー!」


 家のチャイムを鳴らし、自分でもびっくりするくらい元気の良い声が出てきた。玄関を開けて、出迎えてくれたのはいつのもようにお母さん…ではなかった。


 同い年くらいの女の子が、私の家の中から現れた。金髪にピアス…私とは似ても似つかない、とても派手な格好をしている。お客さんだろうか?私の家に、何の用だろう?私が戸惑っていると、家の奥からお母さんの声が聞こえてきた。


「鈴香ー? お客さん?」

 すると、私の目の前で扉を閉じながら、金髪の女の子が怠そうに声を上げた。

「ううん……。嫌な過去の私が、戻ってきちゃっただけ。サイアク。せっかく捨てたのに……」

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