六十一 お茶漬け

 目が覚めると、俺はお茶漬けになっていた。

確かに俺は人間だった頃何の取り柄も無かったし、「人生やり直したい」だとか「生まれ変わりたい」と心の中で願ったりもしていたが、一体何時お茶漬けにしてくれなどと頼んだだろうか。誰でもいいから早く戻してくれ。茶碗の中で水っぽくなってしまった体を揺らしながら俺は頭を抱え込んだ。



 頭……頭? 

果たしてこれは頭だろうか? 

何だか人間だった頃よりしわくちゃで赤く熟れていて、ほんのり梅の香りがしないでもない。自分の腕だと思い込んでいた二本のカイワレで抱えているこれは、正しく梅に違いなかった。


 成程、お世辞にも頭が良いとは言えなかった人間時代よりも皺の数は増えているかもしれない。だからといって己の頭が食用になってしまった事実を、誰が受け入れられようか。この絶望的な、どうしようもない現実を前にいつの間にか頬……いや梅の表面を伝ってきた涙は、緑茶と梅が混じり合って苦い味がした。


「頂きます」


 突如遥か上空から低い声が轟いてきて、俺はギョッとしてそちらを見上げた。見たこともない大きな女性が、その大きな目で俺を見下ろしていた。そしていきなり、見た感じ半径2mはあろうかというあまりにも太い槍状の二本の棒を俺の体に突き刺してきた!


「ぎゃあああああああああああ痛……く、ない……?」


 長い棒で体中を掻き回されていると言うのに、サラサラと液体になってしまった俺の胴体にはどうやらもう痛覚は残っていないらしい。内臓が四方八方に飛び散り、小さな茶碗の中で優雅に泳ぐ。ああ、これから食べられるんだ…何故だろう、恐怖はない。むしろ食されるということに快感すら覚えてくる。



 今まで中身のないつまらない人間だと思っていたが、こうして飛び散ってみると実に色々なものが中に詰まっていたんだな、と思い知らされる。尤も今目の前にあるのはほとんど米粒になってしまった内臓達だったが。食べられることに抵抗を感じないのは、俺にお茶漬けになる才能があったということだろうか。気がつくと俺の頭……いや梅干はぼんやりとした多幸感に包まれていた。恐らく今この地球上で、多幸感に包まれた梅干なんてものはここにしか存在しないだろう。よーしいいだろう、心して食べるがいい。


「……あんまりおいしくないね」


 俺の頭を半分に引きちぎって口にした彼女が微妙な顔で呟いた。

何だと? 

そんなはずはない。人の頭を食っておいてその態度はどうかと思うぞ。まあ確かに俺の頭なのだからおいしくはないのかもしれない。こうやって右脳だか左脳だかどっちか分からんが半分を失ってみると、もっと大切にしてやれば良かったと思わないでもない。思えば勉強などそっちのけで遊んでばかりいた人生……いや茶漬生であった。


「それになんだか水っぽいよ。温いし」


 人間の体の約何十%かは水でできていると聞く。ああくそ、頭を半分食べられたせいか記憶が曖昧になってきた。とにかく、温いのは人間の体温だし仕方があるまい。35かそこそこくらいしかないのだから。そりゃ生温いだろう。熱が無いなどと不満を持たれようが、少しでも温度が上がっても下がっても風邪を引くのだからきっとこれが適温なのだ。


「でも、それじゃあお茶漬け失格だよ」

「え?」


 そう言うがいなや、彼女は茶碗を持ち上げ一気に俺を口の中に放り込んだ……。



 目が覚めると、俺は俺に戻っていた。


「どうしたの?」


 心配そうに目の前の彼女が俺を覗き込んだ。心臓の動悸が止まらない。冷や汗がドッと吹き出す。俺は腕を掲げてマジマジと眺めた。

……カイワレじゃない。頭を触ってみる。

……ちぎれていない。梅の香りもしない。どうやら内臓も揃っている。


ふと意識を前に向けるとテーブルにお茶漬けが置かれてあった。若干震える手でそれを抱きしめ、俺は黙ってお茶漬けを食べ始めた。これほど夢中になってお茶漬けを食べたのは、いつ以来だろうか。そんな俺を彼女は不思議そうに眺めてきた。


「本当に大丈夫?」


そういって彼女が俺の頭に手を当ててきた。お茶漬けとしては余りにも低すぎる手の温もりが、今の俺にはとても暖かく感じる。やはり俺にはこれが適温のようだった。温くなったお茶漬けを掻っ込みながら、俺は塩味の涙をほんの一寸滲ませた。

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