六十 常識

 放課後。小雨が降りしきる銀杏の並木道を駆け抜け、家に飛び込むと自室のドアを開ける。机の上には、輪切りになった胴体が置かれてあった。


 俺は舌打ちし、乱暴に血まみれの遺体の一部を退かした。

 部屋は今日も真っ赤に染まっていた。昨日広げてあった、友達から借りた数学のノートが台無しだ。カバンをベッドの上に放り投げ、俺はため息をついた。血生臭い匂いが部屋中に染み渡っている。最近は、もうずっとこんな感じだ。


 一体誰がこんなことを。

 今日こそ犯人を見つけ出してやろうと思った。


□□□


 ここ数週間、俺の家には殺人鬼が潜んでいる。


 殺人鬼はどこからともなく持ってきた死体を切り刻み、風呂場やコタツ布団の中、勉強机の上などに置いていくので、俺ら家族は非常に迷惑を被っていた。もう来年には大学の推薦の話も始まると言うのに、家中に死体が転がっていては、勉強どころか夜な夜なトイレにも行けやしない。


 殺人鬼は誰なのか。

 とは言っても姉は一年前に実家を出て行き、今は俺と両親の三人暮らしだから、実質容疑者は父と母どちらかに限られていた。共犯だって有り得る。不思議なことに、父も母も死体の一部を見つけても騒ぎ出すとか、警察に届けると言った類のことを一切しなかった。まるで部屋の隅に溜まった埃を捨てるみたいに、母はちりとりで死体をかき集め黒いゴミ袋の中に放り込むのだった。


 はっきり言って、変だ。

 普通は死体を見たら、驚くとか腰を抜かすとかすべきだと思う。俺にはそれがとても異常なことに見えたが……二人のうちどちらかが犯人である可能性が高い以上、下手に刺激するのは危険極まりない。二人して死体を隠しているのかもしれない。それだったら、もっと息子に見つからないように隠すべきだとは思うが……。俺は、俺の生活の範疇で迷惑がかからない程度に、事を静観することに決めた。


 だけど、ある日……。


□□□


「いい加減にしろよ!」


 それは夕食を囲む、家族団欒のひと時の出来事だった。

 俺のストレスはとうとうピークに達し、つい大声を上げてしまった。沢庵の間に、血塗れの耳が挟まっていたのだ。テレビを見ていた父と母が箸を止め、ついさっき俺の存在に気がついたかのように、目を丸くして俺の方を見つめた。


「毎日毎日! そこら中に血まみれの手やら足やら、どうなってんだよ一体!?」

「…………」

「…………」


 二人は黙ったままだった。テレビ画面の中から、タレントの笑い声がやけに大きく部屋に響き渡った。窓の外を叩いていた雨はいつの間にか本降りになり、遠くの方で雷が鳴るのが聞こえてきた。


「いやあねえ」


 母が誰ともなしにそう呟いた。父は聞こえているのかいないのか、只管無言だった。俺ら家族の会話は、そこで終わった。二人の容疑者を前にして、俺の犯人追求は叫んだだけで終わってしまった。何だか居心地が悪くなった俺は椅子に座りなおし、それからは無言で箸を動かし続けた。

□□□


「それで、私に頼ってきたってワケ?」

「あぁ……うん」


 ”家庭内推理ショー”失敗の後。俺は県外で働いている、一回り以上年の離れた姉の元を訪れていた。タワーマンションの十四階に住んでいる姉は、元警察官だった。旦那さんも現役の警察官で、この手の話を相談するにはちょうどいいと思ったのだ。

 姉は冷蔵庫から取り出した麦酒を脇に置いて、台所で何やら美味しそうな匂いを漂わせ鍋を煮込んでいた。俺は小綺麗に片付けられたリビングの柔らかなソファの上で、ぎこちなくコーヒーカップに手を伸ばしながら返事をした。


「フゥン……。しばらく帰ってなかったけど、実家も大変なのね」

「大変なんてもんじゃないよ……。俺、最初頭がおかしくなったんじゃないかと思ったよ。だって二人とも死体見ても、何の反応もないんだぜ?」

「アハハ……その情景、思い浮かぶわあ」

「笑うところ?」


 俺が顔を上げると、白い煙の向こうで台所にいる姉が面白そうに笑みを浮かべていた。

「それで……吉弥はどっちが犯人だと思うの? お母さんと、お父さん」

「俺は……」


 実家に平然と死体が転がっていて、一体何が面白いのかさっぱり分からないが、俺は一応自分の考えを述べた。


「どっちでもない……と思う」

「何で?」


 台所が覗ける長方形の小窓から身を乗り出し、姉が尋ねてきた。


「だって、犯人なら普通、死体は見つからないように隠すだろ? 二人にはその気配すらないし……何ていうか、死体があって当たり前って感じだ」

「じゃあ、誰が死体を家に散らかしてんの?」

「それは……」


 俺は言葉に詰まった。それからじっと自分の両手を眺めた。


「なあ姉ちゃん……俺が記憶喪失ってことは無いよ、な?」


 少しだけ、声が震えていた。

 消去法だった。

 簡単なことだ。犯人は父でも無い。母でも無い。だとしたら……。


 姉の姿が不意に隠れた。壁の向こうから、聞き慣れた声だけが俺の耳に飛び込んできた。

「何言ってんのよ。アンタは平常よ。私が保証する」

「俺が……俺が変になったってワケじゃ……?」

「そんなワケないじゃ無い。アンタは至ってマトモよ」


 姉はそういうと、緑のミトンで鍋を抱えてリビングへと姿を現した。俺はしばらく、姉の顔をマトモに見れなかった。俺が記憶喪失ってワケでも、変になったワケでも、無い……。じゃあ、犯人は……。


「”アンタ”は……ね。さ、これでも食べて元気出して」


 姉が俺の目の前の小さなテーブルに、煮込み終わった鍋を乗せた。鍋からは、明らかに人間の右手がはみ出していた。俺はその右手から目が離せなかった。


「”みんな”がおかしいだけ……。”人を殺してもいい世界”で、死体を見て一々ビビってるアンタの方が……きっとマトモなのよ。さ、”拓郎さんのスープ”、あったかい内に食べてね。おかわりが欲しかったらいつでも言って。すぐ準備するから」

「…………」


 姉が俺の隣に腰掛け、にこやかに笑った。その向こうの壁に、部屋の中に立てかけられた、”食料”を狩る用の猟銃や剣が見えた。


「姉ちゃん……ありがと」

「いいのよ」


 良かった。

 犯人は父でも母でも、俺でもなくて、きっとそこら辺の見知らぬ隣人なんだ。そうだった。ここは、死体が転がってるのが、当たり前の世界なんだ。一々死体を気にするだなんて、俺がちょっと神経質になってただけなんだ。


 俺は姉の前でようやく胸を撫でおろした。それからぎこちなく笑みを返し、しっかりと出汁の染み渡った姉の旦那の右手に噛り付いた。

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