五十二 夜霧涼子は容赦しない

「それじゃあ藤堂君、明日の除霊式までに盛り塩を用意しといて。それから佐々木さんは万が一のための避難勧告をお願い」

「分かりました!」

「了解っス夜霧先輩!」


 私の言葉に、二人がキビキビと動いていく。その後ろ姿を教室で眺めながら、私は自然と笑みを浮かべていた。頼もしい後輩たちだ。彼らのおかげで、我が除霊部は実に効率よく戦績を収めている。私も部長として誇らしい気持ちでいっぱいだった。私は除霊の準備が黙々と進められる三階の美術室の窓から、どんより広がる外の雲を眺めた。


 明日だ。明日には決着が着く。この街に巣食っていたタチの悪い悪霊を、我が部が総力を上げて除霊する。悪霊がどこに逃げようとも、この教室に強制召喚される手筈が既に整いつつある。


「もう少しだからな……雛子」


 やがて雲の切れ間から差し込んできた陽の光に目を細め、私は気を引き締めた。



 私の名は夜霧涼子。

この杉浦学園の三年生で、除霊部の部長を務めている。元々私には、生まれつき不思議な力があった。この世ならざる者たち…即ち幽霊の姿が見えるのだ。幼い頃から寺の子として修験者と共に過ごした私は、やがて自分の霊能力にさらに磨きをかけた。今ではマグカップ程度の重さのモノを動かす念力や、透視能力、予知能力、幽体離脱など様々な力を手に入れた。


 手に入れた力を無闇に見せびらかしたり悪用することはなかったが、高校進学と共に私は「除霊部」を立ち上げた。この世に蔓延る悪霊どもを、私の力で成敗することを決心したのだ。そのきっかけは、最悪の形で訪れた。


 中学校の時、親友だった中森雛子が悪霊に呪い殺されたのだ。彼女はとても明るい子で、所謂クラスの中心にいるような性格のとてもいい子だった。彼女たちが仲良しグループで肝試しに行った際、悲劇は起こった。


 後からその事実を知ったとき、私は後悔に苛まれた。当時の私は引っ込み思案で落ち込みやすく、クラスの端っこで一人読書をしているような冴えない学生だった。インドア派の私は、クラスのイケてるアウトドア派な彼らが肝試しに行くことすら知らされていなかった。


 彼女たちが足を踏み入れたのは、霊感を持っている人間なら誰も近寄らない、本物の悪霊が住む廃墟だった。私も一度その廃墟を遠巻きに観察したことがあるが、二階の窓から睨む赤い女と目が合い、その瞬間全力でその場から遠ざかったほどの悪意がそこにはあった。彼女たちはそんな場所に肝試しに行った。当然悪霊たちは、嬉々として彼女たちに襲いかかった。物理的なダメージはなくても、霊たちの精神攻撃に耐えられる一般人はそう多くない。一番純粋で性格の良い、私みたいな奴にも優しく接してくれる雛子が真っ先に殺された。


 もしクラスメイトが遊び半分でそこを訪れると知っていたら…私は必死に止めていただろう。私には警告できた。その力があったのだ。その場所が如何に危険な所か、私は知っていた。


 だけど、それができなかった。

私は自分の性格の「弱さ」を呪った。大切な友人を失ったのは、私のせいだ。もし私が彼らと臆せず彼らと仲良くなっていたら…それだけで雛子は死なずに済んだのだ。


 もう二度と、こんな悲劇を起こしたくない。


 そう決意した私は、「自分」を殺した。もう引っ込み思案だった過去の自分はどこにも居ない。先頭に立って除霊部を設立し、悪霊どもと戦うことを選び続けてきた。時に誰かを傷つけたり、理解されないことで辛い思いをした時があっても、私は戦いを止めなかった。人に害を成す魑魅魍魎どもと向き合い、容赦なく地獄の苦しみを味わわせ、止めを刺してきた。その姿は、時に冷酷に映ったかもしれない。だがそうすることが、私なりの雛子への花向けだったのだ。


 そして明日、とうとう雛子の仇を取る時がやってきた。


「夜霧先輩、もう今日は休んでていいですよ。あとは私たちやっとくんで」

「そうッスよ先輩。最近ずっと働き詰めじゃないっスか」

「……そうか、うむ。ありがとう」


 窓の外を眺め物思いに耽っているところを、後輩たちに声をかけられ私は我に返った。彼らの気遣いに、私はそっと微笑んだ。


「みんな」


 私の言葉に、二人が振り返る。


「本当に感謝している。ここまで来れたのも君たちのおかげだ」

「何言ってるんスか先輩、まだ終わっちゃいませんよ!」

「そうですよ! 明日が本番なんですから!」


 二人が口々に声を揃えた。私は彼らの言葉に頷いた。


 不思議なものだ。こうして戦いに明け暮れるうちに、いつの間にか私にも掛け替えのない仲間を持つことができた。二人には私のような力はない。幽霊の存在さえ見えないのに、私の話を信じてここまで着いて来てくれた。彼らのためにも、そして雛子のためにも、明日の除霊に全力を尽くす。


 もう一度窓の外を眺める。重たい雲はいつの間にやら姿を消し、空には何処までも続くような青が広がっていた。



 部屋のドアノブに手をかけた瞬間、私は嫌な予感に頭を貫かれた。

自宅には結界が張り巡らされている。並大抵の俗霊では侵入出来やしないが、帰宅後に感じた予感は明らかに凶兆だった。


 予知能力。

磨かれた私の霊能力には、虫の知らせとも言うべき未来の出来事への予兆が感じ取れる。


 私は警戒心を強めた。街中で偶にこの能力に助けられることはあっても、下校後に自室で凶兆が訪れることは今までなかった。


 ましてや明日は、大掛かりな除霊だ。あの悪霊が向こうから仕掛けてきても何らおかしくはない。私はゆっくりと自分の部屋のドアを開けた。




 そこで私を待っていたのは。




 一人の見覚えのある少女……死んだ中森雛子その人だった。




「馬鹿な!」


 私は叫んだ。咄嗟に身構える。有り得ない。あの悪霊が見せる幻だろうか。


『待って涼子! 私よ! 雛子よ!』

「貴様! 違う……雛子は死んだ!」

『そうじゃないの! お願い、話を聞いて!』


 雛子の姿をした何者かが涙を浮かべて私に訴えた。私は逡巡した。これが例の悪霊の罠であることは間違いない。だがあの霊を一人で相手にできるほどの力は、私にはまだなかった。そのために後輩に手伝ってもらい、教室で儀式を整えていたくらいだ。


 だがそれは相手も同じだ。三人相手では勝てないと踏んで、今夜私を襲いにきたのだろう。


 私は咄嗟に携帯に手を伸ばした。教室にいるであろう二人の後輩に連絡を取るためだ。幸いにも、彼はワンコールで私の呼びかけに答えてくれた。


「藤堂! 予定変更だ! すぐに準備してくれ!」

「えっ!? どうしたんスか先輩!?」


 急いで今から行くと伝え、私は通話を切った。目の前の雛子の姿をした何かは、ジッとそれを眺め続けていた。


『どうして…? 信じてくれないの? 私は本物の雛子よ……』

「巫山戯るな!」


 私は右手をかざした。部屋の角の本棚から、除霊用に力を込められた御札が宙を舞い、「雛子」に勢いよく向かっていった。念力。私が得意とする戦術だ。丸腰だと相手の霊に思わせといて、後ろから準備万端の武器で攻撃を仕掛ける。


『グギャアアアアアア!!』


 御札に纏わりつかれた「雛子」は、悶絶し絶叫した。人ならざるものへと形を変え歪んでいくその表情に、私は思わず唾を飲み込んだ。


「正体を表したな……悪霊め!」

『アアアアア……!』


 悪霊が私を睨んだ。瞳の無い目に捉えられ、私は戦慄してその場に固まった。しまった―……これは。


『念力が使えるのが……お前だけだと思うなよォ……!』


 そう言って、「雛子」の体から悪意の塊のようなモノが私に向かって飛び出してきた。よけられない。雛子の命を奪った精神攻撃が、今私にも刃を向けている……!


『死ねえええええええええ!!!』


 悪霊の声が部屋に響き渡る。



 霊の手が、私の胸を貫いた。



 私はそれを、上から眺めていた。


『ハッ!?』

『間抜けめ……お前の精神攻撃は私には当たらない』


 私は右手で髪を靡かせて、悪霊を見下ろしながら静かに告げた。


 幽体離脱。精神攻撃に物理的なダメージは無く、こうして魂を切り離してしまえば相手は無力だった。これも、雛子の死後学んだことだ。私は親友の命を奪った憎き相手を、思い切り睨みつけた。


『覚悟しろ! 既に貴様を倒す準備は出来ている! 決着をつけさせてもらうぞ!』

『グゥゥ……!』


 自分の得意技を無力化され、追い詰められた悪霊は詰まった声を漏らし……


 そしてニヤリと嗤った。


『アハハ……アハハハハハハハ!」

『な……っ!?』


 私は目を疑った。





 悪霊が。




 魂の抜けた私の体に。




 私の体に入り込み、高らかに嗤いはじめたのだ。





 自分の顔が邪悪に歪んでいくその様を、私はただ見つめることしかできなかった。大失態だ。まさかこんな芸当をしてくるとは…間抜けは私の方だった。


 もしこのまま体を操られ自殺などされてしまったら、抜け出した私の魂は還る場所を失う。そうすれば私も晴れて浮遊霊の仲間入りだ。いや、それどころか今のアイツは物理的な入れ物を手に入れている。包丁を持って街で暴れられでもしたら、大惨事どころじゃ済まされない。


 最悪の状況に途方に暮れる私を、悪霊が私の顔でジッと見上げてきた。私はたじろいだ。まずい。今は逃げなければ。何とか体勢を立て直し、奴から私を取り戻さなくてはならない。


 私に取り付いた悪霊は、動揺する私を見つめながら右手で携帯電話を取り出した。私はゴクリと唾を飲み込んだ。一体何をするつもりなんだ……? 悪霊がニヤリと嗤った。


「……もしもし?」

「あっ! 夜霧先輩! こっちはもう準備万端です!」


 電話の向こう側から、私にも後輩の声が聞こえてきた。


「悪霊がどこにいようと、こっちに強制送還できます! 急ぎなんですよね!?」

「……ええ、ありがとう。私も今からそっちに行くわ」

『まさか……』

「任せてください先輩! 悪霊に思い知らせてやりましょう! 夜霧先輩がこの街にいる限り、何処にも逃げ場はないってね!」

『待ってくれ藤堂! 私だ! 今お前が出ているのは偽物だ!』


「フフ……ッ!」

「……どうしたんスか、先輩?」

「いえ……低俗な霊が騒いでるのが面白くってね。そういえば貴方たちには、幽霊の姿や声は分からないんだったわね」

「はい。だからこそ、夜霧先輩だけが頼りなんです! 何でも言ってください、悪霊を懲らしめるためなら、俺たち何でもするんで!」

「ありがとう……楽しみね。魂が完全に消滅する時……一体どんな悲鳴を聞かせてくれるのかしら」


 そう言って悪霊は通話を切った。私は、私の嗤い声が響き渡る部屋の中で、ただただ呆然とその姿を眺めていた……。

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