四十八 大げさな証拠
◆問題にして解決編◆
「なんだ。また来てたのか」
頭上から声が降って来て、
刑事である郁人の、幼馴染である。昔から変わらない。昔から細身で、背の高いひょろっとした男だった。
教楽来は、帰って来るなり、郁人が睨んでいた分厚い資料の束をひょいと指先で摘み上げた。
「あ! 返せ!」
「なになに……また殺人事件か。都会の方は大変だなァ」
「勝手に資料を見るなよ!」
「勝手に資料を広げとく方が悪い」
教楽来は意に介さず、涼しげに笑った。
「また僕に解いて欲しくて、此処に来たんだろう?」
郁人は険しい顔をして黙った。実際、その通りだったのだ。それが密かな狙いだった。以前にも、警察が手に負えなかった複雑怪奇な事件を、この幼馴染の安楽椅子探偵は、この場所にいながら何度か解いて見せたことがある。
この、瀬戸内海に浮かぶ、小さな無人島にいながら。
教楽来雅也。
郁人と同じ警察学校を卒業した後。彼が何故、仕事を辞め無人島で一人暮らしているのか、それこそ奇妙奇天烈な……運命の巡り合わせとでも言うべき怪事件があったのだが、ここではその話は割愛させていただく。要するに、教楽来の所有するこの島を訪れるのは、郁人か、もしくは遭難者くらいのものであり、どちらにせよ、かなり事件性が高いと言うことだ。
つまり教楽来にとって、郁人の来訪は、決して嬉しいことばかりではなかった。
「キミがやって来ると、大体人が死んでるんだよナァ」
教楽来はクックッと笑った。
「キミ、死神か何かだろう?」
「縁起でもない言い方するな。こっちは
教楽来は、郁人が頭を叩くのをひょいと避けながら、
「今回はなんだ? なになに? 『被害者は管理人の兄・タカギヨシヒコ46歳……』」
「…………」
事件のあらましを読み始めた。海釣りにでも行っていたのだろうか。長い釣竿や、様々な道具類を壁にかけると、教楽来は大きく伸びをした。
郁人は視線を逸らした。
風は暖かだが、荒れ模様の波が、窓の向こうでうねりを上げている。白い砂浜で、野良猫がのっそりと歩いているのが見えた。海岸沿いに建てられた掘っ建て小屋……教楽来の家だ。彼はその粗末な小屋のことを『豪邸』と呼ぶが……の中で、郁人は教楽来が事件概要を読み上げるのを、黙って聞いていた。本来ならば規則違反だが、郁人は度々、事件が行き詰まると幼馴染の教楽来の元を訪れ、意見を募っていた。
「『被害者は14日未明、家の敷地内にある離れで一人倒れているところを発見された。
死因は失血死。正面から、胸を一突き、凶器の包丁は刺さったままだった。
離れの周りには足跡が残されており、足跡は外の塀から続いていた。
窓ガラスは外から割られており、部屋の中では争った跡と、金品がいくつか無くなっているのも確認された。警察は外部の者の犯行と見て……』」
海鳥が鳴いた。〇〇区で起きたとある殺人事件。それが今回の事件だった。
当初は物取りの犯行と見られていたが、警察の地道な捜査も虚しく、犯人は一向に捕まらなかった。
「下手に証拠があったのも不味かったんだよ」
郁人が頭を掻いた。
「堂々と足跡が残されてたからさ。こりゃ犯人が捕まるのも早いな、と思ったもん。靴の型番も分かってる。販売経路も抑えた。だけど肝心の犯人が上がらない」
教楽来は頷いた。
「そこで警察は身内の犯行を疑った訳だ。『容疑者は3人……』」
一人目は、被害者の弟・タカギキョウジ(45)。
二人目は、被害者の母・タカギハルコ(77)。
そして三人目は、その義父のタカギケイスケ(80)であった。
「だけど問題があってな……」
「問題?」
「その一家には、どう考えても殺人は難しそうなんだ」
「どう言うことだ?」
教楽来が分厚い資料から顔を上げた。郁人が肩をすくめた。
「簡単なことだ。容疑者は全員、歳で体が弱っていたんだ。弟のキョウジは生まれつき足が動かず、車椅子で暮らしていて……」
母のハルコは耳が遠く、もう何年も奥の間で寝たきり生活だった。
義父のケイスケは歩けたが、目が見えなかった。
「……家族の中で、唯一自由に動けたのは、殺された被害者のみだったんだ。皮肉なことにな」
「なるほどな」
教楽来が頷いた。郁人は俯き加減に幼馴染をじっと見た。さあ安楽椅子探偵。解けるものなら解いてみろ。そう言わんばかりの表情だったが、教楽来は相変わらず飄々としたまま、
「ところで郁人、今夜はどうするんだ?」
まるで世間話でもするかのように穏やかな表情をしていた。
「立派なクロダイが釣れたんだよ。泊まって行くなら、泡盛を開けるけど……」
「いや……帰るよ」
郁人は頭を振った。……期待しすぎたか。どうやら、空振りだったようだ。
「悪いけど。事件が解決するまでは、それどころじゃない」
「そうか」
教楽来が立ち上がり、郁人の肩を叩いた。
「じゃあ、事件が解決したら?」
「え?」
郁人は思わず顔を上げた。
教楽来は、こんなことはなんでもない、と言った具合に肩をすくめた。
「犯人は弟さ」
◇解決にして問題編◇
「弟だって?」
郁人は驚いて声を張り上げた。
教楽来は、クーラーボックスを開け、さっさと釣った魚の調理を始めようとしていた。
「待ってくれ。ちゃんと説明してくれ。何故犯人が分かった? 今の話だけで……」
「クロダイは臭いって良く言われるけど、それは居着き型の話だ。回遊型ならそれほどじゃない。見た目が黒っぽいのが居着きで、シルバーならきっと大丈夫……」
「聞けって!」
郁人は叫んだ。教楽来が手にしたクロダイは、暗がりの小屋の中では実に色が判別し辛かった。郁人が目を細めた。
「なんで弟が犯人なんだ? 彼は、生まれつき足が動かないって言っただろ? 車椅子に乗ってるって」
「消去法だよ」
教楽来は藍色のエプロンに手を伸ばした。鼻歌を歌いながら、まな板に魚を乗せる。
「まず二人目の母親。寝たきりの老婆に殺人は難しい。義父だってそうだ。いくら家族だからって、目が見えない老人に、正面から刺されるかなあ?」
台所……と言う名の岩……に、トントンと包丁の音がリズミカルに鳴り響く。郁人の見ている前で、あっという間に魚が捌かれて行った。
「それじゃいくらなんでも無抵抗すぎるでしょ。たとえ不意を突かれたって、その二人相手なら撃退できるんじゃない?」
「寝込みを襲われたら?」
仕留めた獲物を前に、教楽来はすでに上機嫌だ。郁人が食い下がった。
「被害者が寝ている間なら、目が見えなくたって刺せるだろ?」
「そうかな。寝たきりや盲目の人間が、金品だけ選んで盗むって、だいぶ至難の技だろう」
「分からんぞ。争った跡だって、偽装かもしれない。それに、それにだぜ。何より現場になった離れの外には、足跡があったんだ」
郁人の言葉に熱がこもった。
教楽来は窓の外にちらりと目をやった。外の砂浜に、キャンプ用のガスコンロが備え付けられているのを郁人は知っていた。だとすれば今日は『塩焼き』か。いや、そうじゃなくて。
「仮にその三人のうち誰かの犯行だったとしても、だ。車椅子の人間に、どうやって足跡を偽装できるんだよ?」
「まさしくそれだ。その、証拠の足跡」
教楽来が歌うように言った。
「その大げさな、わざとらしい痕跡が今回の仇になったな。犯人はまず、本物の弟を離れに呼び……」
「ん?」
郁人が首をひねった。本物の弟?
「ちょっと待て。今なんと言った?」
「……歩けない弟を部屋の中に招き入れ、そして殺した。それから犯人は、争った跡や足跡を偽装し、自分が弟になりすまして、家に戻ったんだ」
「なんだって?」
じゃあ犯人は……。
「もういっぺん言ってくれ」
「だから犯人は今、弟に化けてるのさ。兄だ。離れで殺されたと言う被害者が、真犯人だったんだよ」
「兄?」
郁人が目を瞬かせた。
「兄が犯人?」
「嗚呼。弟を殺して、自分の死体に見せかけた。歳も近く、似た者兄弟だったんじゃないかな。いくら家族とはいえ、寝たきりで何年も部屋に閉じこもってたり、盲目の義父には、中々区別が付きにくい。『兄が殺された』と言えば、家族はそう思い込むだろう」
「そして自分は足の不自由な弟になりきり、自動的に容疑から外れる……!」
「そう。きっと犯人はそう考えたんだ。元々車椅子生活なら、足跡の偽装なんてできないと。警察も疑わないだろう、と。それでわざと大げさな証拠を残した」
「なんてこった……兄か!」
「話を聞く限り、だよ」
教楽来は涼しげな声で頷いた。
「登場人物の中で『自由に動き回れて、足跡まで残せた』のは……被害者のみ。殺されたとされるその兄だけだ。ま、話だけじゃ動機までは分からないけど。後はじっくりとDNA鑑定するなり、その死体について調べてみるといい。自分じゃ弟なんて言ってるけど、それって本当のことなのか? 何か問題があるかもしれない。もしかしたら……さ!」
教楽来は郁人を振り返り、にっこりと笑った。
「準備できたよ。事件の話はこれでお終い。外で『塩焼き』にしよう」
郁人はゴクリと生唾を飲み込んだ。窓の外で、にゃあ、と嬉しそうな鳴き声が聞こえた気がした。
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