23.レシピ

 友人の栄一が蒼の夜に巻き込まれたらしい。


 つかさは報せを受けてから、眠れぬ夜を過ごした。


 次の日、報告は間違いであってほしいと願いを込めて登校した。

 だが朝のホームルームが始まる時間になっても栄一は現れない。


 嘘だろう、夢だろうと思っていたほんのわずかな希望まで、現実に塗りつぶされてしまった。


「南、遅いなー」

「寝坊か?」


 クラスの男子が呑気に笑っている。


 担任がやってきて、栄一の不在には触れずに連絡事項のみを伝えて教室を離れていった。


「先生が何も言わないってことは南は欠席かな」

「テストの点が悪くて寝込んだとか」

「あいつがそんな性格かー?」


 カラオケ仲間が笑っている。


 違う、あいつはもう……。

 考えると涙があふれそうになる。


「氷室何か聞いてるか?」


 一番仲がいいから連絡とか来てるんじゃないかと聞かれて、さぁ、と司は中途半端に笑ってかぶりを振った。


 朝にそんなやり取りはあったがすぐに皆、栄一がいないことなど気にしないで過ごす。

 今は体調不良かなにかかと信じて疑っていない彼らがもし、栄一が「行方不明」になってしまったと知ったらどんな反応をするだろうか。


 昼休み、司はいつものように屋上へと向かった。

 校舎の壁に背を預けて座り、空を見上げる。


『こーら、飯くえー』


 遥への恋心に悩んで弁当を食べずにいた司の頭を栄一がはたいたのは、つい一週間ほど前のことだ。


 まさかこんなことになるなんて。

 涙がつっと頬を伝う。


 だめだ、ここで泣いたら、あいつが行方不明になったのを知ってるって知られちゃいけない。


 司はぐっと拳を握って、歯を食いしばった。


 なんでこんなことになった。

 どうしてあいつが巻き込まれなきゃならないんだ。

 よりによってあそこにあのタイミングで蒼の夜が出るなんて。

 そもそも蒼の夜はなんで起こるんだよ。

 蒼の夜がなければ。

 魔物がこっちに来なければ。

 魔物は、全部殺してやる。


 心を覆っていた悲しみは、ふつふつと湧き上がる憎しみに塗りつぶされる。

 きっとそれは、悲しみに沈み生活すらままならなくなるのを避けるための、心の防御策なのだろう。


 午後は朝よりも平静を装っていられた。

 学校が終わったらすぐに訓練所に行って、稽古をつけてもらおう。

 司はそればかり考えていた。


 放課後、司は級友への挨拶もそこそこに教室を飛び出した。

 トラストスタッフに到着すると勢いよく律の執務室のドアを開けた。


「よろしくお願いします」


 語気強く挨拶をする司を見て律は驚き顔から、悲しそうに眉根を寄せて大きく長く息を吐いた。


「氷室くん、無理してるね」


 その一言に、司は目を吊り上げた。


「無理してでも、俺は強くなりたい。強くならなきゃ魔物に勝てない」

「うん、そうだね。けれど体調と精神状態がよくないといくら訓練しても思うように成果を得られないよ」

「なんでそんな――」


 なんでそんなことが言い切れるんですか。


 言いかけた司だったが、律が初めて蒼の夜に関わった時に友人を失ったという話を思い出して言葉を切った。


「昼ご飯は食べた? まだなら食べないとね」


 律に促されて、応接セットのソファに座る。


「南も、よく俺にご飯食べろって……」


 栄一のことを口にして、もういないのだと改めて痛感して、司はうなだれた。

 悔しくて、悲しくて、涙がぽたぽたとズボンに落ちる。


「思い切り、泣いたらいいよ」


 律が司の肩に手を置いて、ささやくように言った。


「悲しいのを癒す魔法の言葉も、レシピもない。自分の悲しみは、自分で乗り越えるしかない。乗り越えるには、一度心のままに想いを吐き出すのが、今の氷室くんには近道じゃないかなと僕は思うよ」


 律の優しい声に、司はずっと堪えていた苦しみを吐き出した。


「今は、何も考えなくていいから」


 ソファに泣き崩れた司の頭を律がそっと撫でてくれる。


 栄一の気遣い、優しさ、気さくさを思い出す。

 彼とかわした様々な言葉、他愛ない会話を思い出す。

 からからと笑う笑顔を思い出す。


『なー、いっそ大声上げて泣いちゃえよ』

『悲しいのをため込むより、吐き出した方がいいと思うぞー』


 屋上での栄一のアドバイスを思い出して、司の泣き声が一層大きくなる。


『異世界の化け物がもしもこっちきて暴れるなら、おれはめっちゃ逃げるぞ。そういうのは戦える人におまかせー』


 きっと逃げる間もなく気を失っただろう。

 そこは救いなのかもしれない。


「ごめんな。間に合わなくて、ごめんな」


 ひとしきり泣いて、司は体を起こした。


「俺、強くなりたい。ならなきゃいけない」


 先ほどと同じ言葉を、違う気持ちで吐く。

 焦りと憎しみに彩られていた司の声は、落ち着きを取り戻していた。


「うん。できる限りのサポートをするよ」


 今度は律もうなずいてくれた。


「それじゃ、今からでもお願いできますか?」

「判ったよ。その前に顔を洗っておいで」


 はいと答えて立ち上がって、司は今までと違う気持ちで訓練に臨んだ。


 悲しみを癒す魔法の言葉もレシピもないと律は言った。

 けれど彼のおかげで、一歩前に踏み出せそうだった。

 まだまだきっと後ろを向いてしまって自分を責めたり、悲しくなったりするだろう。


 けれど立ち止まらない。これだけは、必ず守る。


 司は固く決意した。

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