しかし
「うん? 何よ、このタイトルは?」
今は1月4日の午前2時。
彼女は中堅企業に勤めているOLである。
明日の5日は仕事初めとなる為、今夜は正月休み最後の夜更かしをしていた。
「それにしても」
志佳詩は煙草をもう一度深く吸い込むと自室の天井に向けて白い煙を吹き出した。
「何か居心地の悪いお正月だったなぁ」
そう独り言を呟くと挟んでいた煙草をグシャグシャと灰皿に押し付けた。
彼女もアラサーと言われる年齢になっている。
お正月に彼女の家に集まった親戚の人達は事あるごとに「結婚はまだしないのか」とか「貴女ももう若くは無いんだから」とか言って来る。
中にはあからさまに言って来る人もいる。「早く結婚しろ」と。
「うるさい、っての。人の事なんてほっといてよ」
シュボッ
彼女は新しい煙草に火をつける。
「煙草を吸ってもギャーギャー言うし。あんたらのせいでストレス溜まるから吸ってるんじゃないの」
彼女は煙と共にため息をつく。
「まぁ、わたしの事を心配してくれてるんだと思うけど」
親戚の叔父さんや叔母さん達には幼い頃から優しくして貰っていた。
今の会社に採用が決まった時には皆、喜んでくれた。
基本的には皆、良い人達なのだ。皆の言う事に悪意は無い。
だからこそ始末が悪い。
「善意の押し付けなんだよね。はぁ」
志佳詩には今のところ結婚願望は無い。付き合っている彼氏はいるが、その人と結婚したいとは今は思わない。
「わたしも1人暮らしを真剣に考えなきゃいけないな。親もうるさいし。おっと」
煙草の灰がベッドの上に落ちた。
彼女はそれをサッと手で払い吸いかけの煙草を灰皿に押し付ける。
そして、改めてスマホの画面を観た。
彼女が観ているのは大手出版社が運営している小説投稿サイト。
彼女は読専と言われる分野に入る。自分は投稿しないで読む専門と言う意味だ。
元々文章を読む事が好きだった彼女はこのサイトを観るのが楽しみの1つになっていた。
「えぇっと。これだ・・・これを最後まで読み終える前に絶対に後ろを振り向いてはいけません。なっがいタイトルねぇ」
彼女は苦笑した。
こういうタイトルをつけて読む人の気を引こう、と言う魂胆らしい。
ちょっとこのお話に興味が出て来た。
「えーと、あれ? 書いた人の名前が無い」
その長いタイトルの作品には投稿者の名前どころか投稿日時も文字数も表記されていない。ジャンルも★評価の表記も無い。
「どういう事? バグか何か?」
彼女は考え込む。
今までにこんなタイトルだけしか表示されてない作品など観た事が無い。
これは読んではいけないのかも知れない。
そんな考えが一瞬、頭をよぎった。
しかし。
彼女は頭をブンブンと振った。結局は好奇心の方が勝ってしまった。
「バグなら何も表示されないだろうし。ちょっと観てみよっと」
彼女はタイトルをクリックした。
文字がズラッと表示された。
「ふーん、ちゃんと文章にはなってるんだ・・・って何よ!これは!」
彼女は大きな声を出してしまった。
無理もない。文章の冒頭には自分の名前が書かれていたからだ。
志佳詩と。
「何で? 何でわたしの名前が・・・」
志佳詩と言う名前は非常に珍しい名前だ。
いや、こんな名前は彼女以外には存在しないだろう。
幼い頃から何度か彼女は自分の名前の事で両親に尋ねた事がある。
何で、こんな変な名前をつけたのか? と。
両親が言うには志佳詩と言う名前は今は亡き父方の祖父がつけたらしい。
その祖父はこの地方では1番由緒あるお寺とやらの住職と昵懇にしていて、その住職がこの名前を選んだのだそうだ。祖父は初孫にはこの名前を付けると言って頑として譲らなかったそうだ。姓はともかく名前なら後で変える事も出来るから、と両親は承諾したらしい。
しかし、両親は祖父の死後そのお寺が原因不明の陥没事故で崩壊した事は知らない。
「面白がってこんな名前つけて。最後まで読んでやる」
彼女は実は自分の名前は嫌いでは無かった。
小学生の頃は「変な名前」とイジメられた事はあったけど彼女のメンタルとバイタリティは強かった。中学生以降の彼女は成績もスポーツも良く出来てクラスの人気者になっていた。彼女の名前をおおっぴらにからかう者はいなくなった。
しかし、彼女の事を嫌う者達も少なからず存在した。しかし、それらは少数派だったので彼女は数の論理でそれら少数派を駆逐していったのである。
「何なの、これは? これは今のわたしの状況と一緒じゃ無いの」
志佳詩は新しい煙草に火をつけながら苛立たし気に呟いた。
そこには彼女の職場の様子が書いてあった。
会社名も実名で配属されている課も上司も同僚達も全て実名だった。社内恋愛をしている男の名も。
「アイツら。やっぱり」
彼女を一番苛立たせたのは後輩の一部の女子社員達だった。
表向きには「先輩」と慕っている様子を見せていたが陰では「お局様」と彼女の事を言い合って嗤っている。
「会社に行ったらどうやってアイツらをシメてやろうかしら」
志佳詩の口元には冷たい笑みが浮かんでいる。
気がつけばその長いタイトルの作品は最後の1行を残すのみになっていた。
「すると、いきなり志佳詩の足元に真っ暗な穴が現れた。きゃっ!」
彼女は真っ暗な闇の中を落下していた。
さっきまで自分の部屋にいたのに。
「何? 何? 何? ここは何処なの!わたしは何でこんな事に?」
彼女はあがいたが何の手応えも無い。
ただ闇の中を落下していくだけだった。
彼女はまだ気づいていない。
落下する先に門松の斜めに切られた竹が鋭く光っている事に。
終わり
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