いまさら始まる異世界転移 ~アラフォーおっさんは奴隷スタートから成りあがる!~

金時草

Chapter 0 逃げる少年


――ハァッ、ハァッ、ハァッ……


 荒い息を吐きながら、枯れた下草をかき分けて走る、走る。


 やかたの裏の森の中は、遊び慣れた僕の庭だったはず。なのに、今は全然違う場所に見える。当たり前だ。今は追い掛けっこ遊びをしている訳でも、ましてや、森兎フォト・ラビト縞穴熊パト・バジャー狩りをしている訳でもない。


 必死に足を動かし、転ばないように、先を走る背中を見失わないように、走る、走る。


――ザッザッザッ


 普段使い・・・・の物よりも粗末で堅いだけの革の長靴ブーツが、春季の終わりの湿った地面を踏みしめる。


――ガチャッ、ガチャガチャッ


 さとの農夫の息子達と同じようなズボンと薄い短衣チュニックに、擦り切れた剣帯が不釣り合いなほどやかましい音を立てる。


 その音を聞きながら、僕は焦る。


 自分がこんなに喧しい音を立てるなんて、これまで意識したことは無かった。でも、さとの猟師に教わった「狩人の歩み」をやってみる余裕はない。第一僕では、あのやり方・・・・・で走るなんて、まだ出来ない。


 追手が何処まで迫っているか? それを考えると気持ちは焦る。感じられる気配は遠いような気もするし、すぐ間近にいるような気もする。


 ……大体、どうしてこうなったのか? 


 分からない事が多過ぎる。


 ――あなたはこのフィオル郷の次期当主なのだから、お爺様やお父様のように、しっかりしなさい。立派になりなさい――


 事あるごと・・・・・に僕にそう言った母様は、でも、何も教えてくれなかった。だから自分なりに、周りの大人達に訊いて回った。


 それで分かった事はと言えば――


――隣のマオル郷の川が冬の間に干上がった。どうやら森の中で川の流れが変わったらしい――


――マオル郷がウチの川から水を引かせてくれ、と言って来た――


――マオルの連中が勝手に川の上流を堰き止めた――


――タムロン様がスルト男爵様に訴えるために出掛けた――


 それが6日前までの話。


 そして、昨日


――タムロン様のご遺体が、森の中に――


 と言う事件になった。


 タムロン様 ――つまり僕の父様―― は、寄り親のスルト男爵様の領地から僕達の「フィオルごう」に戻る途中だったのだろう。郷から半日の場所で、森の中の小径こみちの脇に、お供の男衆3人と一緒に倒れていた。


 館に運ばれた父様の亡骸なきがらをお爺様と検分した。正直怖かったけど、「僕がしっかりしないと」と思って歯を食いしばって、亡骸の傷を確かめた。


 死因は頭をこん棒か何かで殴られた事だと、お爺様は言った。だから、村の男衆や従士のディオルは最初、「ゴブリンの仕業か」と言った。


 ただ、父様の亡骸にも、お供を務めたディオルの弟、従士ソマンや他の男衆の亡骸にも、1つか2つ、「矢傷」があった。矢は亡骸から抜き去られていたが、お爺様は「これは矢を受けた所を殴り掛かられたのだろう」と結論付けた。


 ゴブリンが弓矢を使うことも「ない事ではない」らしいけど、この辺では珍しい。それに、お父様たちの亡骸は衣服も食料や土産物などの荷物もそのままだった。これがゴブリンの仕業なら、奴等は衣服も荷物も何もかもを持ち去る。人間の野盗やオークであってもそう・・だ。


 だからこそ、


――マオル郷の連中の仕業に違いない――


 という事になった。


 勿論、お爺様はそんな男衆をなだめて押さえる。僕も、本当は「そうなんだろう」と思いつつも、お爺様と一緒になって、皆を落ち着かせようとした。憎い気持ちは大きかったが、それよりも泣き崩れる母様や、まだ幼い妹のグレスの方が心配だった。


 それが、昨日の事。


 そして、今朝、


――マオルの連中が攻めて来た――


 となった。


 お爺様は「フィオル郷士家」の家長代理として、槍を取って戦いの場に赴いた。僕も「次期当主」として、それに同行した。


 僕はお爺様の病気が心配だったけど、お爺様は「こんなまま事遊び・・・・・は直ぐに終わる、心配ない」と僕を気遣った。そして、「成人前の初陣だが、昔はよくあった事だ」とも言った。僕は今年の春季で15歳になったばかり。成人扱いの16歳まで後1年だ。


 村境には争いの種になった小川があって、その両岸でマオル郷の男達とフィオル郷の男達が対峙した。双方ともに数は40人前後。


 睨み合い、罵り合い、やがて石を投げ合う「石合戦」になる。それでも、


――仕掛けてくることはあるまい、このまま昼過ぎには終わる――


 と、お爺様は言う。


 この中で「本当の戦争」を経験しているのはお爺様だけだ。


 40年ほど昔の東メトリオ帝国との戦争。それに「アシオン王国」側として参戦したお爺様は、今は寄り親であるスルト男爵バロ家の(当時は当代騎士ラントール身分)先々代当主の従士として戦功を上げ、戦争の結果アシオン王国が帝国から切り取った土地の隅に今の領地を与えられ、郷士ジェントになった。


 当時の勇名 ――「雷槍のスカー」―― は今も尚健在だ。


 その往年の勇士が「昼過ぎには終わる」と言う。


 だから、全員が心の何処かで安心していた。


 しかし、事態はその後直ぐにおかしな方・・・・・へ動き出す。切っ掛けは石と共に飛び込んで来た「矢」だった。


 「アッ」と思った時には、石が矢の雨に変わる。そして、川の向こう岸の土手の影から20人ほどの武装した男達が現れた。明らかにマオル郷の男達ではない。恐らく傭兵、いや傭兵崩れの野盗かもしれない。


 そんな20人の武装した男達が、気勢を上げながら一気に川を渡って来た。


――村の入口まで退け!――


 事態の変化に対して、お爺様の判断は素早かった。


 けれども、敵の動きも素早かった。


 男衆や僕が村の入口の門に到着するころ、背後には武装した20人がすぐそこ・・・・まで迫っていた。門を閉じてかんぬきを掛け、防御を固める余裕はない。


――ここは儂が引き受ける。ディオル! クロードやグレス達をユーリアの実家へ逃がすのじゃ!――


 お爺様の雷鳴のような声が響き、僕は「嫌だ」と言い、そしてディオルの頑丈な腕に掴まれて館まで引き摺られるように退がった。


 敵兵が館にまで迫る中、包囲される寸前の所で、母様や妹、ディオルと共に館を脱出した。全員が、農夫か森の猟師のような粗末な格好に着替えていた。そして、追い立てられるように館を後にした。


*********************


「クロード様! お早く!」


 先の方でディオルの声がする。多分、森の中の道に出たのだろう。


 その道は北へ進むとスカリオン王国の国境へ続いているという話だけど、今の目的地はそっちじゃない。母様の実家であるガリオン子爵家はスルト男爵領の隣だから、東南の方向だ。もう一度森に分け入らなければならない。


 ディオルは僕の妹のグレスを紐で身体にわい付け、母様を背負い、それでも僕より足が早い。錬魄術れんぱくじゅつの一種、「陽魄術ようぱくじゅつ:身体強化法」を使っているからだ。あの術は、高位の錬魄術なのでまだ僕には使えない。だから通常の5割増しの力を発揮するディオルに、僕は素の体力・・・・で付いて行かなければならない。


 もっとも、付いて行くだけなら、「身体強化法」よりも簡単な「敏捷法」を使えばいい。でも、僕はそれをしない。代わり、別の術を使っているからだ。それが「陽魄術:感覚強化法」になる。


 さっきから自分の立てる物音がやかましく聴こえるのはコレのせい。それでも、この術を使うことには意味がある。それは、周囲の物音や気配の動きを察知するためだ。


 日中といっても、がむしゃらに走ったのでは思わぬ危険に遭遇する。それが、フィオル郷の周囲に広がる通称「黒の樹海」という場所だ。実際にはまだ、そんな深い場所・・・・ではないけど、十分に注意する必要がある。


 そんな僕の用心は、残念ながら功を奏した。


――ガサガサガサ……


 道を横切り、再び森の中に分け入って直ぐ、僕は妙な気配を感じた。自分やディオルのものではない足音がする。その後直ぐに、小さいけども「ギャギャッ、ギョギョッ」と耳障りな声も聞こえる。


 この特徴的な声の主はゴブリン。数は、喋っているから2匹以上。場所は……思ったよりも近い!


「ディオル、ゴブリンだ!」

「なんですと!」


 ディオルは慌てて立ち止まる。その反応に、正直「しまった」と思う。このまま駆け抜ければ良かった。しかし、ディオルは従士としての責任からか、僕を守ろうと足を止めてしまった。


 そこへ、木立の影から一斉に石が投げつけられる。ゴブリンからの投石だ。


「うわぁっ!」


 ディオルは強い男だけど、不意を突かれてはどうしようもない。背負った母様と抱きかかえたグレスを守るため、咄嗟に横へ跳んで地面に転がる。


「キャァ!」

「アァッ!」


 母様とグレスの悲鳴が重なる。


 その声に興奮したのか、ゴブリンは投石を止めて接近戦を挑んで来る。数は3匹だった。でも、まだ何とかなる数だ。


「ディオル、母様とグレスを連れて、早く!」

「しかし、クロード様!」

「僕じゃ2人を連れて素早く動けない。頼む!」


 このやり取りの間も、僕はディオル達を背中に庇うように動く。既に腰の剣は抜いた状態。本当は槍の方が得意だけど……今は贅沢を言える場合じゃない。


「――っく……、どうかご無事で、直ぐに戻ります!」


 背後からは苦々しいディオルの声。母様やグレスの声も聞こえる。僕を心配している声だ。でも、ここからは先は男の仕事。母様とグレスの背中は僕が守る。だから、2人の声は無視して、もう一度ディオルに「早く!」と言う。


 一度決めればディオルは行動の早い男だ。ザザザッと下草を踏み分ける音が次第に遠くなる。


「ギョギョン!」

「ギョギャァ!」

「ギョエェ!」


 僕はディオル達の気配が遠ざかるのを感じつつ、3匹のゴブリンと対峙する。初めての事じゃない。前にも2度ほど「森の魔物狩り」で戦った事がある。冷静に立ち回れば、お爺様やディオル、ソマンから戦いの手ほどきを受けた僕が負ける事はない。


 いざとなったら、攻撃用の錬魄術も使える。訓練ではないのだから遠慮は無用。だから大丈――


「えっ!?」


 「大丈夫だ」と自分に言い聞かせようとした瞬間、僕は目の前のゴブリンではなく背後の、それも頭上の高い場所に、強い「気配」を感じて振り返る。


「ん?」


 頭上には重なり合う木々の枝と、その隙間から見える空しかない。


「――ッ!」


 ただ、その枝の真下に、見たことのない大柄なゴブリンが居た。名前だけは聞いた事があるゴブリンの上位種 ――グロム・ゴブリン―― だ。それが気配を消して潜んでいた。


 僕は正体不明の「気配」のお陰で、姿を潜めていたグロム・ゴブリンに気が付くことが出来た。ただ、その結果は……あらがう時間が少し伸びて、何とかグロム・ゴブリンと相討ち・・・に持ち込んだだけに終わる。


 でも、これでディオルや母様やグレスが背後から襲われることは無くなった。郷の近くにゴブリンの群れが出来て、フィオルの人達が苦しむことも無くなった。これでヨシとしよう……


 そう考えながら、僕の意識は遥か天空の彼方に引っ張られるようにして地上を離れた。


 この日、僕は死んだ。



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