悪役令嬢だったわたしがSF作家に転生したもののチートスキル「異常論文」をクソスキルと誤認され文学賞パーティーから追放。その後田舎でスローライフを満喫しながら量産した小説がクソオモローなのだがもう遅い。
大滝瓶太
わたしたちは最愛の死者
死者に恋をしたいなら、まずはじぶんを殺しなさい。
古い物理の概念で読み取ってしまったあなたがたがみずからの身体を切ったり叩いたり、さもなければ内臓に負担のかかるあれやこれを飲み込んだりした事件が立て続け起こったのはすこし前で、どうやら当時発表されたばかりの論文は肝心の部分を省いたかたちであなたがたに伝わってしまったらしかった。生きているよりも死んでいる時間のほうがずっと長いというのに、あなたがたにはわたしたちを所有したがるきらいがあり、いわせてもらえば「恋」と「所有」と履き違えている。
無限遠方のあちら側から無限遠方のこちら側までを世界で積分すれば1になる。
わたしたちの存在はそのように規格化される確率分布として世界に薄くのっぺり広がっている。それは一般に、いま/ここを極値とした山型の関数で、生きているとか死んでいるとかはグラフの概形の問題にすぎない。あなたがたはいま/ここに集中したδ関数で表現できる状態であり、つまり生者は極めて特殊なわたしたちなのだ。解析学的には生とは死の極限だと表現されることもある。
肉体が役立たずになったその瞬間から確率密度関数がなめらかに鈍され、存在は世界の隅々まで裾野を広げ、その逆の過程がありえないのは「エントロピーの増大」とひとこと唱えれば自明。確率密度関数の不可逆な遷移がすなわち「死」の定義。生は静的で、死は動的で、薄く広がり山がなくなるほど、わたしたちはどこにでもいてどこにもいない存在になる。そんなわたしたちを特殊なわたしたちであるところのあなたがたは「死者」と呼ぶ、あるいは「幽霊」と呼ぶ、そう呼びたがる。だからわたしたちはあなたがたの流儀に合わせている。それだけの話であり、それだけの話でしかない。
だけれども不可逆性にロマンティシズムを求めてしまうのが生者の性質だ。死者に恋する生者たちはこの不可逆性の加速を望んでしまうのが困りもので、「殺す」といったって肉体を傷つけても仕方がない。あなたがたの存在はあなたがたのものではないのであり、わたしたちだってあなたがたのものではない。それを間違えなければだれだって死者との恋を実らせられる。「殺す」とは、確率密度関数の不可逆な更新を推し進めることなのだ。
むかしむかし、あるところはいたるところに。
夜は恋をしていて、まだすこしも死んでいなかった。対する想いびとのまるしおはずっと死んでいて生きていたことがない。生者の父と死者の母のあいだにハーフとして生まれたものの、まるしおが中学生になる直前に両親は離婚した。生まれつき完全な生者じゃないのが功を奏したというか、親権については議論するまでもなかった。母のもとにいながら父に取り憑くことなんて造作もなく、思春期のまるしおは両親の愛をじゅうぶんすぎるほど受けはしたものの、両親どうしが愛し合うのをみたことがない。母がいうに、「恋と愛はまるでちがう」。死者の時間ではじきに父は死ぬだろうが、まだ死んでない。かれの死が時空のどこにあるかをまるしおは知っている。そんな父に愛されているましおだって、まだ完全には死にきっていないからこそよくわかる。
知らないひとの気配を感じるのは、そのひとのこと何も知らないからだった。夜がまるしおに出会えたのはまるしおのことを知らないからで、知らないひとの存在は確率になって世界中に延びていく。そこにいるかもしれない可能性が夜に口づけをしたのがはじまりだ。夜が死んでも忘れられないこのキスを、しかし死んでいるまるしおの意識にはのぼらない。存在確率の山の裾がたまたま夜のくちびるに触れただけ。わたしであってわたしでない、そんなまるしおに夜は恋をした。正確には恋に恋をしているだけかもしれない。成就のため、読み漁ったネット記事を鵜呑みにしておこなった複数回の自傷はすべて無駄に終わり、周囲から浴びせられる心配で夜は生きているのを実感した。これじゃダメだ。大事なのは忘れ去られることなのだから。
「死者には居場所がない。居場所がないからどこにでもいる。どこにでもいるわたしを、あなたは正しく愛せていない」
離婚を切り出した母のことばを、まるしおはずっと憶えている。まるしおは恋より愛がしたかった。日々世界中で多くの出会いを経験しているはずなのに、ひとつとして実感を持てないでいた。意識にない。まるでほんとうにじぶんが存在していないみたいに。指でそっとじぶんのくちびるを撫でてみても、他者の残滓はおろか、じぶんの肉体すら感じられない。それでいいのかもわからない。
わたしたちは死んではいても滅びはしない。もしも宇宙が滅んだそのあとにふたりの恋が実るなら、その恋が愛になるならば、宇宙なしでも世界が存在するということになる。そのとき夜とまるしおの恋はその証明になるだろう。
夜はまだまだ死なない。だけどまもなく死ぬだろう。でもほんとうに死ぬのはそこからなのだ。みんなが夜を忘れるにはまだまだじゅうぶんな時間が必要で、夜が恋をするにはいささか生者に愛されすぎている。まるしおは夜を待っている。そのことを、あなたがたにはちゃんと憶えていて欲しい。
(了)
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