第5話 今そこにある危機

大広間を出て、今いた建物を外から見てみますと、古代遺跡の神殿のような造りになっています。推測ですが、今回の勇者召喚といったような、いわゆる儀式を行う特別な施設といったところでしょうか。


神殿のすぐ側は、まるで、それを取り囲むように小さな森が広がっていますが、それを抜けて見渡すと、この辺り一体が小高い山になっており、周囲には、まばらに木々が立ち並ぶ草原がただただ続いていて、他の建物も、人気も一切感じられない場所です。


「お嬢様……!」


呼んでみましたが、どこにも姿が見当たりません。


「移動時に、バラバラになったのか?それとも、お嬢様は、この異世界に来ていないのか?」


私が考えたところで、答えは出ません。


この山の麓の方に、石造りの壁に囲われた街並みのような物が見えます。遮るものがないので見えますが、距離にすると、そこそこある計算です。


これといった乗り物も無さそうですし、自力で下山するしかありません。街まで下りれば、何か掴めるかもしれない……。根拠のない淡い希望だけを胸に、分厚すぎるマニュアル本を小脇に抱えながら、スーツ姿のまま、私は山を下り始めました。


10分ほど歩いたところで、ただならぬ異変に気づきました。丈のある草原の中に、何かが潜んでいて、ずっと私の後を付けてきています。感じる気配として、人ではなく、獣のようなもの、それも複数体。息を潜めてはいますが、葉擦れの音に、獣達のかすかな息遣いと足音が混ざっています。


私も一応は、執事の端くれ。お嬢様の身に危険が及んだ際に、応戦しうる術は持ち合わせています。ただ、現実……といいますか、元の世界において、それはほぼ暴漢などの「対人間」への応戦の仕方です。今、私を付け狙う獣達を相手に、上手く応戦できるかは分かりません。


加えて、先程の自称女神が使った魔法のようなものが、この世界に存在するのであれば、単なる野生動物ではない可能性もあります。

今、突然行動を変えると、集団で一気に襲いかかられる危険性があるので、速度を保ったまま、私は歩き続けました。


「……」


一か八かで挑んで、失敗すれば死ぬかもしれません。やはり、無事この場を切り抜けるには、この世界を知り尽くした者に、的確な対処法を聞くのが一番。


出来れば、しばらく連絡を取りたくなかったのですが……。


私はスーツに仕舞っていた、先程の小型石板を取り出しました。


「どう使うんだ、これは」


黒みがかった石板はいたってシンプルで、円陣の中に古代文字に似た文字が散りばめられた模様があり、その円の中央には、自称女神の瞳の色と同じサファイアの石が埋め込まれていました。


使用法を全く聞いていないので分かりませんが、適当にサファイアの石の辺りを指で触れてみると……石から、淡い水色の光が放たれ、不機嫌な声が漏れてきました。


「……ちょっと?さっきから……ザーッ!……も経たないのに……ザーッ!、早すぎじゃない?」


電波状況が悪いのか、雑音混じりですが、明らかに迷惑だというのを全面に出しているのは伝わってきます。


「どうしてもの……ザーッ!って、言ったじゃない!?どんだけ、寂しがり屋な……ザーッ!」


「寂しいから、掛けたわけではありません!あと、雑音がひどいですが、どうにかなりませんか?」


「あぁ……ザーッ!、それ、シャワー浴び……ザーッ!」


電波状況じゃなく、シャワー音!!


「こちらは極めて緊急事態です!!ちゃんと聞いてくださいよ!?」

「……チッ!……ザーッ!」


シャワー音に混じって、短い舌打ちが聞こえてきました。


「今、先程の神殿から外に出て、山野を歩いているのですが、複数の獣のような物に、後を付けられています。対処法を指示願えますか!?」


「あ~、ごめ……ザーッ!召喚日含め……ザーッ!3日間は周囲5キロ……ザーッ!てたんだけど、10日間……ザーッ!」


シャワー音、邪魔!!


「とりあえず、風呂を出てくださいっ!!」

「アンタ、女神に指……ザーッ!」


まずい……。獣達が少しずつ距離を詰めてきました。


「……ったく、上がったわよ」


やっとシャワー音が止みました。


「召喚日含めて、3日間は周囲5キロに結界を張ってたんだけど、10日間、アンタが昏睡してたから、結界が解けて、魔獣が現れるようになったんだわ」

「魔獣?やはり、単なる野生動物ではないのですね?」

「付けてるヤツって、どういう特徴?」


聞かれて、私は通常2.0の視力の目を細めて、さらに精度を上げました。揺れる草むらの向こうに潜む獣達をじっと見つめます。


白銀プラチナの毛色に……真っ赤な瞳、……狼のような……」

「あぁ、それ狼犬ウルフ・ドッグね。山には、よくいるヤツよ。獰猛だけど、雑魚だから」

「貴女には雑魚でも、こっちはオリエンテーションも、はしょられた初心者なんですよ!?」

「分かった、分かった。そんなに興奮しなくても」


人が人生最大の危機に直面しているのに、呑気な返答が返ってきます。



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