転生元勇者は離婚したい
花果唯
前編
俺は
見た目は悪くないが、飛びぬけたイケメンでもない。
平凡な男だが、実は人と違うところが一つある。
俺には前世の記憶があるのだ。
生まれ変わる前の俺は『勇者』だった。
光の王国シュテルン。
魔王に攫われたミリア姫を救うため、王家によって封印されていた聖剣が解き放たれた。
聖剣に選ばれて勇者となった俺――ユーリアは、見事魔王を倒して姫を奪還。
国に戻って姫と結婚し、幸せに暮らしました、という童話のような記憶が俺にはあるのだ。
そんな華々しい記憶を持つ俺だが、今では聖剣ではなくビジネスバッグを持って歩き回っている。
どんなものでも収納する魔法【アイテムボックス】があれば、ビジネスバッグを持たずに済むが、そんなものはない。
だから、スマートフォンと財布、名刺は絶対に忘れないように、毎朝注意している。
「……クソッ、頭が痛いな」
今日は朝から体調が悪かった。
上司が早上がりにしてくれたので、現在帰宅中だ。
体調不良だって、回復魔法【ヒール】なら一瞬で治すことができた。
移動だって、転移魔法【テレポート】があれば、重い体を引きずって歩くこともしなくてすんだ。
「現代はとても不便だ」
愚痴りながら着いた我が家は、背伸びして買った新築マンションの一室。
俺は新婚で、妻の美姫は甘え上手でとても可愛い。
エステや買い物で出費が多いことはつらいが、それは俺の甲斐性の見せどころだ。
それに、美姫の前世は王女――俺の妻だった『ミリア姫』なので、裕福な暮らしをしたくなるのは仕方ないだろう。
俺達は街中で偶然出会った。
一目でお互いがかつてのパートナーだったことを悟った。
すぐに仲良くなった俺達は自然に交際するようになり、去年結婚に至った。
そして前世と同様に、幸せな生活を送っている。
今も連絡せずに家に帰って来たが、温かく迎え入れて、心配してくれるはず――。
「あれ?」
驚かそうと思い、静かに玄関の扉を開けると、男物の靴が目に入った。
……嫌な予感がした。
息を止め、気配を消して廊下を進む。
ダンジョンのトラップを警戒している時より慎重に歩いた。
リビングに近づくと、中から男女の声が聞こえてきた。
「旦那が働いている間にこんなことをするなんて……悪いお姫様だ」
聞き覚えのない男の声だ。
俺がいない時間に知らない男が家にいること、そして今のセリフから、美姫が俺を裏切っている可能性が高くなった。
ほぼ確定であるが……信じたくない。
「お姫様だって舞踏会で仮面をつければ刺激的な遊びをするのよ?」
「なるほど。今は素敵なお嫁さんという仮面を被っているんだ?」
「ひどーい。私は本物の素敵なお嫁さんよ?」
間違いなく美姫の声なのに、別人のようだ。
本当にリビングにいるのは俺の妻なのか。
呆然とする俺の耳に、血の気が引く言葉が聞こえてきた。
「素敵なお嫁さんが托卵なんてしないだろう?」
「もう! 子供ができたと思ったのは、勘違いだったって言ったじゃない。できていたとしても、あの人なら自分の子供じゃないって気がつかないだろうけど」
「どういうことだ!」
気づけば俺はリビングに乗り込んでいた。
怒りで頭に血が上り、理性を保てなかった。
リビングに入った俺の目に飛び込んできたのは、ソファの上で絡み合っている男女。
男は二十代前半の若い男で、爽やかな印象の優男だった。
女の方は……やはり妻の美姫だった。
二人の服ははだけていて、肌や下着が見えている。
「あ、あなた」
俺の姿を見た美姫と男は、慌てて離れた。
そして乱れた服を必死に直している。
「美姫! 家に男を連れ込んで浮気をするなんて、お前はそんなクズだったのか!」
「浮気なんて気のせいよ。外で友達に偶然会ったから、家に来て貰ってお話していただけなの」
「気のせいな分けがないだろう! 話しているだけなら、どうして脱いでいるんだ!」
「ご主人、落ち着いてください」
美姫を問い詰める俺を、きっちりと服を着直した浮気相手が涼しい顔で止めてきた。
どうしてこいつは、俺の家庭を壊すことをしておいて、こんなに平気な顔をしているんだ。
そう思った瞬間に、俺の拳は優男の頬を殴り飛ばしていた。
「きゃあ!」
美姫の悲鳴が聞こえたが、そんなものはどうでもいい。
もう一度殴ってやろうかと考えていると、優男が俺に殴られた頬を押さえながら話しかけてきた。
「……痛いな。旦那さん、暴力はだめですよ。でも、僕も勘違いさせて悪かったので許してあげます」
「あ”あっ!? 何だと!」
「また殴るつもりですか? 次殴られたら被害届を出します。暴行で捕まっちゃいますよ?」
「ふざけるな! 不倫男が何を言ってやがる!」
「不倫だなんて勘違いですって。僕と奥さんが浮気していた証拠があります?」
「今俺が見ただろう!」
「物証はないでしょう? でも、僕が殴られた証拠はここにありますよ」
自分の赤くなった頬を指さし、優男が笑う。
「てめぇ……!」
「あなた、警察に捕まっちゃうわよ! ご両親とか会社に迷惑がかかったらどうするの!」
「…………っ」
自分だけならどうなってもいい。
でも、俺の体調を気づかってくれた上司や、田舎でのんびりくらしている両親に迷惑はかけられない。
「では、お邪魔しました」
俺がためらっている隙に、優男はサッといなくなってしまった。
「……クソッ……クソッ!!!!」
前世だったらぶん殴ってボコボコにしても誰にも文句を言わせなかった。
証拠なんてなくても、みんなオレのことを信じてくれただろうし、真実を見抜く【精霊の眼】で見て貰えたら分かることだ。
「現代はなんて面倒なんだ! 前世の方がよかった!」
※
妻の浮気現場に遭遇した翌日――。
「あなた、いってらっしゃい。気をつけてね~」
「…………」
美姫は「浮気は気のせい」を押し通し、何事もなかったかのように接してくる。
どういう神経をしているのか分からない。
俺の体調は回復せず……むしろ悪化しているが、スーツを身にまとって家を出た。
会社には休むと伝え、俺は弁護士事務所に向かった。
弁護士事務所には、昨日のうちに無料相談の予約をしておいた。
『なんとかあいつらに不貞行為を認めさせ、美姫の有責で離婚したい』
俺はその希望を、弁護士に相談したのだが……結果は驚くべきものだった。
「相手方は不貞行為を認めていないんですよね? 写真などの証拠がなければ、浮気相手が言うように、あなたが殴った分の慰謝料を請求されるだけになるかもしれませんよ」
「そんな……!」
「証拠を探すか、性格の不一致ということで離婚を求めることは……」
「俺はあいつらに責任を取って欲しいんですよ!」
「でしたら、証拠を集めるしかありませんね」
これ以上は有料になると、追い出されるように弁護士事務所を出た。
有料で相談しても、俺の希望は叶えられそうにない。
頭が真っ白になった俺は、視界に入った公園に向かった。
あそこには休むことができるベンチがあったはずだ。
「どうすればいいんだ……」
記憶の通りのベンチを見つけ、俺は腰を下した。
証拠が必要だというが、俺が目撃したあとだから、証拠となるものは処分されただろう。
責任を取らせることができないまま離婚するしかないのか……。
俺は頭を抱えて、途方に暮れた。
「元勇者様は今世ではサレ夫か」
「!」
降ってきた声に驚いて顔を上げると、俺の前に一人の女性が立っていた。
スーツ姿のキリッとした黒髪美人で、ひまわりのバッジをつけている。
弁護士なのか……って、そんなことより、俺のことを勇者と言った?
もしかして、俺のように前世の記憶があるのか?
驚愕しながらもその顔をジーっと見ていると、ある人物の顔が脳裏に浮かんだ。
「お前は……魔王討伐のパーティーメンバーだった、魔法使いのクラウスか!?」
クラウスは国一番の魔法使いで、とんでもない美青年だった。
近寄りがたい雰囲気はあったが実は面倒見がいい奴で、俺はいつも助けて貰っていた。
今世では女性になったようだが相変わらず美しく、クールな笑顔も健在のようだ。
「そう呼ばれるのは懐かしいな。今の名前は
そう言いながらクラウス――いや、賢木は名刺を渡してきた。
「さっき事務所にいたのか? もしかして……俺の相談を聞いていたのか」
返事の代わりに、賢木は苦笑いを見せた。
……聞いていたのなら話は早い。
生まれ変わってまで頼りきりになるのは申し訳ないが、背に腹はかえられない。
「クラ……賢木、弁護士なら力を貸してくれないか? 俺はあいつらに責任を取らせた上で離婚したいんだ」
「もしかして、お前の嫁はミリア姫の生まれ変わりか?」
「! そうなんだ! だから信じていたのに、こんなことになるなんて……」
「……昔のお前も、あのアバズレにまんまと踊らされていた。また同じ目に遭いやがって……」
「?」
「いや、なんでもない。力を貸してやるよ」
「いいのか!?」
「聖剣をなくしたお前とは違って、私には魔法書がなくても六法全書がある」
そう言って笑う賢木の笑顔はかっこよかった。
隣に腰を下ろした賢木に、俺は改めて事情を説明した。
「先程の先生の言う通り、冷静になって証拠を押さえていればな……。すぐに頭に血が上るのも相変わらずか」
「す、すまん」
「まあ、起こってしまったことを嘆いても仕方がない。行くところがある。ついて来い」
「分かった。……あ、ちょっと待ってくれ」
ベンチから立ち上がったところで、小さな子供の泣き声が聞こえてきた。
声の方を見ると、小さな子供を抱いた若い母親が、三人の高校生達に頭を下げていた。
どうやら子供が投げたボールが高校生に当たり、服を汚してしまったようだ。
高校生とはいえ背の高い男に威圧され、子供も母親も怯えている。
俺は高校生達の元へと向かい、話しかけた。
「服が汚れたようだが、土を払えばすむだろう。それに小さな子供のやったことだ。許してやれ」
「誰だよ、おっさん」
そう言って三人揃って凄んで来るが、魔王やその配下達に比べればひよこのようなものだ。
「誰でもいいだろう? 大体お前たち、今は学校の時間じゃないのか? どこの生徒だ?」
「…………チッ」
学校に通報されると面倒だと思ったのか、高校生達は悪態をつきながらも去っていった。
子供と母親も、俺に礼を言うと手を繋いで帰って行った。
微笑ましい光景だが……今の俺には少々つらい。
俺にも近い将来、可愛い子供が家族になる将来がくると思っていたのにな。
「まったく、余計なことに首を突っ込むのも変わらないようだな。今の若者は何をするか分からないんだぞ」
賢木が笑いながら話しかけて来た。
「それなら、もっと俺がでしゃばってよかったじゃないか。小さな子供とお母さんが怖い目に遭うよりいいだろ」
俺がそう言って笑うと、賢木は苦笑した。
「……そうだな。お前はそういう奴だった。だから私は――」
「あ、どこか行くんだっけ?」
「! ああ、そうだ。行くぞ」
※
賢木に連れられてやってきた、年季の入ったビルの二階。
扉にある表札には『日豪探偵事務所』と書いてある。
賢木はここによく出入りしているのか、気軽に扉を開けると堂々と中に入っていった。
俺も慌てて後に続く。
部屋の中では、五十代くらいの体格のいい男が一人、デスクで作業をしていた。
書類に目を通していた男が俺達に気づく。
「おう、賢木か。そういえば浮気調査を頼みたいとさっき連絡を寄越していたな」
俺は男とは初対面のはずだが、妙に見覚えがある気がした。
ジーっとよく見ていると、先に向こうが俺に気づいた。
「お前! ポンコツ勇者様じゃねえか!」
「誰がポンコツだ! って、その呼び方……あんた、悪徳ギルドマスターか!」
「ははっ! そうだ。元悪徳ギルトマスターの
転生していたのは俺と賢木だけではなかったようだ。
目の前にいる男――日豪は、金のためなら魔王にでも情報を売るという、質の悪いギルドマスターのグスタフだった。
「浮気調査って……なるほど。元勇者様が今世ではサレ夫か! こりゃあ面白い!」
「面白くねえよ!」
流れから察すると、賢木はこの元悪徳ギルマスに美姫の調査を頼むようだが……。
「お前の嫁は、この女?」
「!」
突然女の子の声が聞こえて驚いた。
声の方を見ると、誰もいなかったはずのソファに足を組み、こちらにタブレットを向けているセーラー服姿の女子高生がいた。
芸能人か? と思うくらいの美少女だ。
俺はもう勇者ではないが、気配には敏感だ。
存在に気づけていなかったなんて、この子は何者だ?
「おい、聞いているのか? これは嫁なのかよ」
「あ、ああ」
確かにタブレットに表示されているのは、美姫の写真だった。
賢木からこの女子高生にも情報が渡っていたのだろうか。
「やっぱりクソ姫じゃねえか」
「可愛いのに口が悪い……ってお前、まさか……魔王?」
女子高生の冷たい目を見ていると気づいた。
信じられないことに、この女子高生は俺が倒した魔王だった。
「復讐でもしに来たのか!?」
「はあ? 心配するな。お前ごときにオレは倒せていない」
「どういうことだ?」
「お前が倒したのはオレの分身だ」
「そ、そうだったのか?」
「あの女にはオレも迷惑したものだ。だから、配下の者を使って手伝ってやるよ」
「因縁? っていうか君、オレっこ?」
「
最後だけ朗らかな笑顔を見せられてゾッとした。
あまり関わってはいけないタイプの人間だと悟った。
配下、とか言っているし……。
「儂もあの姫さんにはお礼をしなければいけないことがあるんだ。可哀想なポンコツ勇者にはサービスしてやる。きっちり証拠集めてやるからお前は寝て待ってろ」
「え? いや、協力してくれるのはありがたいが……」
「頼んだぞ」
展開について行けない俺を置いて行く勢いで、賢木は早々に引き上げた。
俺も慌ててその後を追う。
一度振り返って見ると、元ギルマスと元魔王が手を振っていた。
どうなっているんだ……。
「おい、賢木」
「悪いが、私は忙しい。証拠は集めておくからお前はその間、なるべく警戒されないようにな。できるだけ普通に暮らすんだぞ」
賢木は弁護士だ。当然忙しいだろう。
話したいことはたくさんあるが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
こうして急遽俺のために時間を割いてくれたことがありがたい。
「分かった。本当にありがとな」
「礼はすべてが終わってからでいい」
相変わらずのかっこいい笑顔を見せ、賢木は手を振って去って行った。
※
それから、控えめに言って地獄の日々が始まった。
憎しみの対象と普通に生活するのは無理がある。
あんなに大好きだったのに……いや、愛していたからこそ許せない。
賢木からは「余計なことはするなよ」という釘差しはあるが、一向に準備が整ったという連絡は来ない。
ストレスが溜まり、日に日に体調が悪くなる。
目撃した日から一ヶ月ほど経ち、そろそろ限界だと思っていたある日――。
『準備ができた』
ようやく賢木から連絡が来たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます