第二話 真の伝説


 ディリオスは常に思っていたことがあった。

小さな事でも、いつもと違う事があった時には、必ず裏で何かが起こっていると。


 日常が非日常になる時は、警戒に値すると——狂気にとりつかれたとも思える、両の親から、唯一学んだことだった。


 しかし、この現象は及びもつかない異変であり、祝いの席であっても、体裁を整える時間も惜しいほどであったが、誰にも臆されないように、振る舞う必要が彼にはあった。


 彼は強者つわものとして名の知れた人物であったからだ。

弱みを見せれば、士気だけでなく何かと影響を及ぼす。


 色々な事が彼の頭をよぎったが、確信に至ることは何もないまま、

ディリオスは館までの生い茂る暗闇に導かれるように、

足が土を感じる黒い緑の通路を全力で疾走した。


 館についたディリオスは小さく息吹いた。戦いの汗を払っていつも通り微塵の不安もない姿を演じて門兵にたずねた。


「……何か異変の報告は入っているか?」

「いえ。こちらにはまだ何の報告も入っておりません」若い兵士は答えた。

「武装兵を待機させろ。今日は祝いの日だが、酒におぼれすぎる奴もいるから、乱闘騒ぎに備えておけ」若者はありきたりな理由をつけて命じた。


「了解しました」命を受けた一人の門兵が館に入って行った。

「レガは戻ったか?」彼はもう一人の門兵に声をかけた。

「はい。お戻りになりました。若君が戻ったら報告するよう命じられています」

「このままやつの元にゆくから、報告はしなくていい」長子は淡々と命じて、中に入って行った。


 門兵の様子から機転のきくサツキは、しっかりと秘密裡に動いていると分かった。


(アツキも俺直属の御庭番衆の筆頭の一人だ。先ほどの奴ら程度に襲われたとしても問題なく片付けるくらいの強さはある……アツキから報告がないということは杞憂きゆうだったか? あれが数百、数千単位でいるのならすぐに報告が来るだろう。心配しても仕方ない、俺にできることを今は行動に移すだけだ)


 ディリオスは大館の両扉を押し開いて入ると、待っていたとばかりに、いずこかの国か部族の酔っぱらいが、何を言っているのかもはっきりしない訪客に酒を渡された。


 皆、毎年のように祝い酒を飲み、すでに泥酔している者もいるほどだった。目配りをしたがレガは見当たらなかった。

領主である父と母は私の帰りが遅いためか、あからさまに不機嫌そうにしていた。


 仕方なく毎年恒例の祝いの言葉を述べて、

のどの渇きを潤すように一気に酒を飲み干した。

皆が拍手をして再び宴が始まった。


 来賓らいひんの主席には五百年前から有事の際には、必ず力を貸すという条約の下、この地を与えてくれた同盟国である南方のエルドール王国から、高貴な賓客ひんきゃくが来ていた。

近々王の座につくと噂されている、長子ヨルグ・エルドールとその妻マーサ。ディリオスとは付き合いも長く、互いに軽く目で挨拶をし合った。


 ベガル大平原からは大部族の一角を担う、バサキ族の族長リュウロウと、その配下の強者が数名来ていた。


 遠方の盟友であるイストリア王国の王女ミーシャがいなくてとても残念だったが、化け物たちの事を考えると、来ていないことに安堵した。

ディリオスは何もしない王の代理として、一通り来賓らいひんに挨拶を済ませると、階下へと足を運んだ。


 階下には宝物庫や書物庫、武器庫などがあり、更に下へ行けばや訓練所から避難所まで広々としており、一人で探すには手間がかかる程の広さだった。

 

 ディリオスはまずは武器庫に向かった。

サツキに兵たちに武装させるよう命じていたからだ。

彼が武器庫に入ると先ほどの門兵しかいなかった。


「サツキはみかけたか?」

「領主様が祝いの席に武装した無骨な兵など必要ないと……ディリオス様が酒の席で騒動はつきものだから、備えておくよう命じられたと報告しましたら、極々少数の兵の軽武装のみ渋々許されました。サツキ様はレガ様とともに、書物庫に行かれたようです」若い兵は声を落として答えた。


「……そうか。私が直接領主に言うべきであったな。許せ」

「とんでもございません。失礼いたします」軽装備を整えた兵士は、一礼をして出て行った。


 ディリオスはそのまま足早に書物庫に向かった。

(あの二人が書物庫に? つまりは答えが出ていないということになるな。あの見たこともない怪物といい、死んだら塵となって消えるのだとしたら、今までにも出てきたことがある可能性は、非常に高いということになる。

だが、あれだけの数が出たら、世界に散らしてある影たちから連絡があるはずだ。クソッ、一体何が起きているというのだ?)分析力に長けた男は、答えが見出せない事にイラついた。


 血の臭いを引いたまま、彼は嫌な予感しかしない葛藤に、苛立ちを覚えた。書物庫の扉を開けるなり男は強く呼びかけた。


「レガ! 何かわかったことはあるか?」

「……わかりません。わかりませんが、可能性がある答えは見つけました」眉間にしわを寄せたまま、白髪まじりの男は答えた。

聡明なサツキも、何とも言えない表情をしていた。


 そしてレガは机上に散乱した数々の書物を、邪魔だと言わんばかりに、長く太い腕を使って全てを払い落した。

サツキは灯りを増やし、一冊の神典をレガに手渡して、開いて見せた。


「俺はお前たちを信頼し疑わない……それでも敢えて聞かせてくれ……これがお前たちの結論だと言うのだな?」若者の言葉に、レガは黙って頷いた。


 そこには空を舞う天使軍と、魔族の戦う姿の天魔聖戦と云い伝えられてきた、

古絵が示されていた。

古来よりこの大陸に伝わる子供でも知っているほど、

誰しもが一度は耳にする神話だった。


 人間を寵愛する絶対神に対して、最高位の熾天使してんしの中でも最強とされるサタンに同調する神の子である神々たちと、

天界で絶対神の天使軍に攻勢を仕掛ける伝説である。

「こちらもご覧ください」


 大きな手で巻物を投げるように一気に広げた。

巻物が波のようにうねり流れていく中、鷹のように鋭い目は古絵を見逃さず、机上を拳で殴るようにして、巻物の流れを止めた。

「……やつらだ」そして一言だけ発した。


 恐れを知らない男は、頭に手を当てて思わず冷静さを失った。

アツキが帰ってきて部屋へ入ってきた。

「どうだった?」ディリオスの言葉に、アツキは苦悶の表情を見せた。


「森の中にはあの集団以外はいませんでしたが、神木の頂上から見渡したところ、はっきりとは言えませんが、ここからそう遠くないベガル平原北部に、途方もなく巨大な穴のようなものがありました。

月明かりしか無かったので断言はできませんが、穴の大きさは、この我々の領土よりも大きかったです。

たまに神木から周囲の様子を探っていますが、頂上まで登ってみたのは初めてでしたが、あんな巨大な穴を見たのは初めてです」


 皆が黙り込む中、老将が焦るようにすぐさま進言した。

「続きをご覧ください」そういうと巻物を再び広げた。

そこには古い絵とともに文献が書かれていた。


「このもの魔のものなり。元は天使であったが天界での戦に敗れ、神への信仰を無くして、堕とされた最弱の魔のものなり。

されど侮るからず。


数体程度であれば問題はないが、群れをなして出てきた場合は、大戦の兆しである。魔界と地上が直接繋がりし時に、現れるものなり。


数体であれば魔界との小さなひずみである故問題はないが、魔界との繋がりし巨大な穴があればすぐに逃げよ。


魔の階層を隔てる扉を開ける階層ごとに存在する、命の鍵を持つ指揮官を倒せば更に強き者が出てくる。


下位の第七位までなら戦うことは可能だが、さらに深層に潜むモノ中位以上の天魔には手は出さずすぐに逃げよ」



 ディリオスは黙ったまま黙々と神典と、絵巻物を比較しながら読み漁った。そして一呼吸入れて、言葉を口にした。

「伝説の天魔聖戦の舞台が、我ら人間の世界ですでに始まっているというのか?」


 老将は何も言えず、苦悩の表情で目を伏せた。

知るものが存在しない答えを、求めるため再び読み始めた。



「悪魔の大穴を我々は地のバベルの塔と名付け、天界に繋がる塔を天のバベルの塔と名付けた。


そして魔族と対極であるはずの天使は、人間の味方ではないことを知れ。これは神と悪魔王との熾烈しれつな戦いなり。そのことを肝に銘じよ。


天魔の戦いに巻き込まれ、無数の人間が犠牲になっても、天使は無関心だ。

人間が邪魔な場合に限り、天使は人間を攻撃してくる。


二つの塔が我々の世界と繋がる時、地上の人間を始めとする他全ての生けるモノは、眠っている神の力が呼び覚まされる。


今までと比べ差異のない普通の脆弱な農民や、体の不自由だった者たち生けるモノ全てが、神の力により身体能力向上は、個に差はあるが、必ず身につく。


病魔に侵されたものや、不自由さから解放され、自由な体になるものもいた。

だが戦争で失った足などは当然であるが、無いままだが、それを補うほどの力を得ることもある。


兵士でも何でもないただの常人が、幼い頃から訓練に励み、強い力と自信を持つ兵士など足元にも及ばないほどの者も、極僅かではあるが、この目にした。


我々は神が愛してやまなかった、アダムの子孫である。

地上に落とされ、その神の力の多くを失ったが、神の強い能力が眠っているものなら、中位に位置する天使や魔神と戦えるものも少なからず存在した」



ディリオスは世界を守る者として、黙々と読み続けた。



「我々はこの特別な力の源を、神の遺伝子と名付けた。

神の子である天使や魔族は、己たちの領域である天界や魔界では、本領を発揮できるが、中間地点である人間界では十分に力が発揮できないようだと、古文書には書かれていた。


生粋である天使の領域である天界や、神に不信感を抱いて堕天した元天使や、魔界で誕生した魔族などの魔界と違い、人間界は善と悪が入り乱れる世界であり、混沌カオスに満ちているためだと、書かれていた。


そのため天使や魔族は精神維持に莫大なエネルギーを使うようだと。我々は微かな希望を頼りに、我ら人間が生き延びるためにはどうすればよいのか、いにしえより伝わるあらゆる文献を網羅もうらした」



古めかしいが立派な羊皮紙の所々に、血が薄くにじんでいた。



「そしてある一つの僅かではあるが、希望的な仮説をみつけた。

それは神の高遺伝子を持つ人間が、上位の天使や魔神と同化すれば、不滅的な存在である熾天使してんしや八人の高位魔神の力と同等以上の強さを手に入れるというものだ。


あくまでもこれは、希望的な仮説として、いつか再び起こる天魔聖戦の微かな希望として読んでほしい。


一度同化を行うと、再び同化が解かれることはない。


同化する両者の遺伝子が濃く、更に人間の神の遺伝子と、天魔の神の遺伝子が同等であれば、その力は最高位の熾天使や八人の魔神を、凌駕するほどの力を得られるが、それには幾つもの問題を解決せねばならない、奇跡に近いものではなく真の奇跡だ。


天使や悪魔の神の遺伝子のほうが同化する人間より高い場合、その姿は天使や魔族のままであり、人間は取り込まれる形となって、姿や人格や性格などの人間本来のものは、完全に消滅する。


天魔の戦いは永く、そして極々辛く苦しいものだ。


何故なら、天と地がこの地上と結ばれる時には、アダムによる神の遺伝子によって、通常では考えられないほど、人間の寿命はのびるからだ。


希望のない我らの中には、自ら命を絶つ者も多い……我らは悪魔に狩られるものだ……狩りを楽しんでいた我々が、獲物になって初めて気持ちがわかり後悔している」


業の深さと自責の念が深々と感じ取れた。



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