地球最後の日にだって僕らは謎を解いている

石谷 弘

地球最後の日にだって僕らは謎を解いている

「違う」

 そう、そこではないのだ。

「綺麗すぎる」

 口に出して、ようやく自分で納得がいった。

「学生のワンルームで洗濯物ひとつないなんてあるでしょうか」

「それは最近の重力の影響だろ」

 部屋の主である凪先輩の恋人、月暈つきがさ先輩が机の上に残されていた拳銃を弄びながら答えた。そこにはまだ実弾が残っていたはずなのだが。

 けれど、実弾が残っていようが、犯行に使われていようが、それを咎める人はいない。

 警察はもう、ここには来ないのだから。

 科学者のお遊びが招いた木星の軌道の変化。再三の対応策も空しく目前に迫った衝突を前に、警察も他の多くの人たちも仕事を辞めてしまった。

 それでも僕たちは残された日々を過ごすものの、最近は真昼と真夜中には物が横に流され、夕方には重力が月並みに弱くなり、逆に明け方には倍近くにと大変だ。

 洗濯物はもちろん、気を抜けば電気スタンドや本棚の中身だって簡単に滑り出してしまう。のんびり干してなどいられない。

 だから、月暈先輩の言うことも分かる。それでも一切の乱れの無い室内に確信があった。

 凪先輩は僕を招いてくれたのだ。

「さあ、解いてごらん。名探偵」銃弾で胸を赤く染めた彼女の口に、ミステリ研でのシニカルな笑みと唇の動きが見える気がした。

 目を閉じて、ふうと一つ息をつく。先程まで壁に向かって引いていた木星の重力は弱まり、代わりに身体が浮き上がりそうなくらい軽くなっている。残された時間はわずかだが、今更どうにもならないという諦めが逆に焦りを鎮めていった。

「壁紙にめり込む銃弾と残った血の跡。流れる傾きから僕らは先程、犯行を今日の正午頃だと推測しました」

「そうね」

 副部長と他の部員も頷く。

「ですが、これは簡単に偽造できます」

 一同「ほう」と目を細める。知り合いが死んでいるのにロジックに夢中になる辺り、ここの人達はどうかしていると思う。それは僕自身も含めてだが。

「血が流れるのは昨日のお昼頃でもいい」

「けど、昨日は部室に来てたでしょ?」

「はい。血だけがあればいいので、死ぬ必要はありません。輸血パックにでも抜き取って、しっかり押しながらアイスピックで穴を開ければ十分な勢いで噴射されるでしょう。後は適当に背中を当てればでき上がりです」

「この期に及んで自殺?」そういう声を無視して話を続ける。

「着替えて部室に姿を見せ、帰って元の服を着たら今度は凪先輩自身を撃ち抜きます」

「ならまた血が出るだろ。別の場所か?」

「外には懐中電灯の灯りがありますし、そもそも他の場所に移動する意味もありません」

 重力変化の影響で発電が困難になり、今や日本中が停電状態だ。それでも大学生の多いこの辺りは皆が懐中電灯を点けているので比較的明るく人目もある。血の臭いのする死体を背負ってウロウロできる場所ではない。

 一方、この部屋の中でなら銃声を聞かれる可能性はあるが、事件が発覚してから証言者を探す時間は残っていない。

 重力が弱くなってきたのだろう。ベッドや窓がガタガタ言い出し、酸欠で頭が痛む。

「ですから、あり得るなら」

 少し寄せて足場を作り、勢いよくカーペットをめくり上げる。皆が慌てて退いたその場所には厚手のビニールシート。その下には乾いた大きな血の溜まりができ上り、その中にはしっかりと銃弾の跡が残されていた。

「ここが犯行現場です。後は血が乾いてから、あちらに死体を動かせばいい。そして翌日、朝から昼過ぎまで、何食わぬ顔をして部室に顔を出していられればアリバイ成立です」

 それぞれがその意味を咀嚼する時間が数秒。いや、分かってはいるのだ。だが、そんなもの信じたいはずがない。

「だって、それじゃあ犯人は」

「はい。犯人は凪先輩自身。そして、死体を動かすなどの手伝いをした共犯者が月暈先輩、あなたですね」

 その時、ふわりと身体が浮き上がった。とうとう無重力状態にまで達したらしい。皆悲鳴を上げながら壁やドアにしがみ付き、捕まる場所がない人は近くの人に手を伸ばした。

「最後まで、こんな」

「『どうして』って言わないんだな」

 月暈先輩は掃き出しの窓にもたれ掛かり、凪先輩の身体をしっかりと抱き寄せていた。

「言いませんよ。どうせ、半分自棄にでもなって無茶な計画を立てたんでしょう」

 二人してミス研の名探偵だって可愛がってくれていたから。最後に原稿にはない推理を。

 今や全員が天井に足を付けていた。たぶん、今日で終わりなのだろう。夕焼けの空も木星の影でずいぶんと暗くなっている。

「ちゃんと伝えてくださいね。解きましたよって」

「おうよ。さすがは俺達の名探偵だ」

 拳銃を握ったまま器用に窓を開け、赤黒く燃える空を見下ろす。地面からは枯葉や自転車や猫などが次々に落ちていった。

「じゃあな。先、行くぜ」

 誰も、何も言えなかった。そのまま月暈先輩は凪先輩を連れて行ってしまった。

 二人を見送って、急に涙があふれてくる。

「お疲れ様」声を上げて泣く肩に、副部長が手を添えた。「好きな人が命を捧げてくれたんじゃない。彼じゃなくて君に。だから、ちゃんと最後まで生きなさいよ。それとも泣いたまま死ぬつもり?」

 むせびながらも涙を拭うと、遠くでどこかの家の瓦が黒い涙のように流れていった。

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