26話——孵化

「…アマネちゃん……」


 背後から不意に声を掛けられて、アマネは昼食作りの手を止め振り返った。

 家の入り口を塞ぎ、大粒の涙をポロポロと零しながら頬と瞳を赤くしているベルンが立っている。


「どうしたのベルン!!」


 驚いたアマネが側へ寄ると、そのまま両手で顔を覆って泣き出してしまった。

 リビングへ招き入れるとソファへ座らせる。

 背中をさすり、落ち着くのを待って温めた乳に蜜を溶かしたものをカップへ注ぎ手渡した。


「落ち着いた?」


 アマネの優しい声色に、ベルンはカップを握り締め俯いたまま頷く。

 理由を尋ねた彼女に、刺繍して貰ったお気に入りのハンカチーフを失くしてしまった旨を打ち明けた。街へ出掛けた時は持っていた筈だ。どこを探しても無いから、落としてしまったかもしれないと言うのだ。

 再び涙を溜めるベルンへアマネが笑みを向ける。


「大切にしてくれてたのね。ありがとう」


「…嬉しかったの…猫ちゃん可愛かったし、私の名前入れてくれたでしょう? …なのに…」


「大丈夫、また刺繍してベルンにあげるわ! だから元気出して」


 そうそう、と言いながらおもむろに立ち上がると、アマネが寝室へと向かう。少しして戻ってきた彼女の手には赤と白のチェック柄の布がある。


「ベルンにプレゼントがあったの」


 アマネから手渡されたのはエプロンだ。同じ物がふたつあり、ひとつはベルンに、もうひとつはアマネのだと言う。


「可愛い布だったからお揃いにしちゃったわ。これつけて、お手伝いしてくれる?」


 プルルスへ行き、ハクと入ったお店で買った布地だ。

 ベルンが広げて見ると、首を通し腰で紐を結んで留めるタイプのエプロンだった。胸元や裾にはフリルがあしらわれ可愛らしい造りになっている。それぞれの腰で結ぶリボンの端に名前が刺繍してあった。


「貰っていいの?」


「勿論」と、アマネが笑みを向けると、涙で赤くなった目元と頬を綻ばせる。


「もうすぐ食事出来るけど、ベルンも手伝ってくれる?」


「うん!」


 早速お揃いのエプロンを身につけ、残りの昼食をふたりで仕上げた。



 準備が整い、外の大テーブルへ出来た食事を並べていると、ドワーフ三人衆とヴォルグがやって来る。

 お揃いのエプロンに気がつくと、シドとペディが「姉妹見たいだね」と褒めてくれる。彼等もベルンを大層可愛がっており、妹の様に思っているのだ。なので


「ベルンは本当に可愛いねー。ホラホラ。『ご主人様』って言ってごらーん」


 等と、頭を撫でながらベルンの顔を真っ赤に染めているこのタラシがたまに許せない。


「ちょっとヴォルグさん!」

「ベルンを困らせないでください!!」


 カラカラと笑うヴォルグに、必死に抗議している。

 ライジンはライジンで


「そのエプロン姿も素敵です」


 アマネを手伝いながら彼女にデレている。

 お陰でたまにハクから本当に刺さりそうな視線を寄越されるが、今のところめげてはいない。


「ありがとう! ライジンくんのミシンがとっても使い易くて、アレンジが簡単に出来ちゃうお陰ね」


 ただ、ライジンの意図は未だにアマネには伝わってはいないようだが。


 皆んなに遅れてハクもやってくると、食事にしようとテーブルを囲む。


 まさにその時だった。


「「 !! 」」


 最初に反応したのは魔人のふたり。

 その後、硬い物に亀裂が入るような建物が軋むような、ピシピシミシミシという微かな音が聞こえた。

 アマネには全く分からなかったが、魔人のふたりは溢れ出す強力なオーラを感じ、遅れてドワーフ三人衆とベルンも感じ取り背筋に震えが走った。

 椅子を倒す勢いでハクとヴォルグが立ち上がる。


「逃げろ! 身を隠せ!!」


 ハクの叫びにドワーフたちがいち早く反応する。シドが隣に座っていたベルンを抱え、建物の陰へ走った。


「え? え?」


 何事かと狼狽えるアマネの腕をハクが引き、家から距離を取って睨み付けた時、リビングが眩く発光した。次の瞬間、轟音と共に窓が破裂したかのように粉砕され、中の光が強烈に漏れ出した。


「きゃぁ!!」


 光が止み、ハクの背中から伺い見ると、無惨に壊された窓が壁の一部と共に吹き飛んでいる。


「な、何で…何が……」


 何が起こったか分からないまま呆然と見つめるアマネにハクの舌打ちが聞こえた。


「孵ったんだよ! 上だ!」


 言われて見上げると、アマネ達の頭上に黒い塊がばっさばっさと羽音を立てている。


「……っ……」


 よろよろと羽ばたき空中に留まるのは、大きなコウモリのような翼を持ち、全身真っ黒な体が陽の光を反射する、ミニチュアの超古代種竜だ。

 ミニチュアと言っても、翼を広げたサイズも含めると優にベルンを超えている。その幼竜の赤い瞳が真っ直ぐにアマネヘと向けられていたのだ。

 アマネは上から此方を見下ろしてくる赤い瞳が、ドワーフ国の水源で見送った老竜と重なって見え、じっと見つめ返した。



「プリちゃん狙われてるねー」


 感傷に浸るアマネに緊張感の無い台詞が飛んでくる。


「狙…ええ!?」


 まさかと思ったアマネに、ハクまで追い討ちを掛けてくる。


「餌だと思われてるんじゃねぇの」


「何で!?」


「目に映るもので、自分に仕留められそうな1番弱い奴を狙うからねー」


 カラカラと笑うヴォルグに青ざめる。


「うそ!? 私なんか美味しく無いけど!」


「だったら、そう教えてやれよ!!」


 ハクの糸がヒュンと風を切り、上空の幼竜へ向けられる。捕らえるかと思われたそれは、しかし弾かれる。幼竜の足に当たりはしたが、硬い鱗によって金属と金属がぶつかったような高い音を響かせ、傷をつける事が出来なかった。


「チッ……硬いな……」


「赤ちゃんでも、最強種は最強かー…手加減出来ないねー」


「ブレス覚える前に仕留めんぞ」


 不穏な台詞を吐き、上空の黒い塊を睨む白の魔人の腕を引く。


「ダメよ! せめて山に——」


「その前に全員消し炭にされる」


 その瞳が此方へ向けられる事はない。目を離すのが危険なのだと、アマネですら分かった。

 自分のわがままでベルンやライジン達をこれ以上危険に晒す訳にはいかない。

 アマネは唇を噛み、ハクの腕から手を離した。


「見たくないのなら隠れてろ」


 冷たく言い放つハクに背を向け、近くの建物へと駆け出す。が、幼竜がそれを見逃さなかった。

 ハクからアマネが離れた瞬間、彼女に向かって急降下したのだ。

 ハクが糸を絡み合わせ網の様に広げて応戦し、ヴォルグは5本の尾を膨らませ辺りに魔術を展開した。

 が、幼竜は避けるどころか体を高速で回転させながら突っ込んでくると、糸の網を全身で巻き取り力ずくで引きちぎってしまった。


「なっ…!!」


 勢いそのままハクヘ体当たりを喰らわし軽々と吹き飛ばす。そのまま今度はヴォルグへ頭を向けると、大きく口を開いた。


「!!」


 喉の奥が紅く光ったかと思うと、次の瞬間、高温のレーザー砲のごとくブレス攻撃を喰らわせたのだ。

 そして、真っ赤な双眸がアマネへと向けられる。


「ヴォル!!」

「アマネさん!!」


 ベルンの悲痛な叫びと、ライジンの焦った声が重なる。


 邪魔者がいなくなるや、大きな爪を黒光りさせ、頑丈な後ろ足でアマネへ襲いかかった。


「きゃぁっ!!」


 両肩をがっしり掴まれ、地面へ引き倒されたアマネは、今度こそ自分の命が費える時が来たと固く瞼を閉じた。





 あれ?

 痛くないな……食べられて無い……?


 おかしいなと思い始めた時、上からふたつの声が降って来る。


「……何でだよ」

「これは予想外だよねー」


 どう言う事かと恐る恐る目を開ける。

 見えたのは逆さに映り込む魔人二人の顔だった。いつもの様に、ひとつは呆れ、ひとつはニヤついている。


「ふたりとも、無事で良かった…」


 安堵の表情を浮かべるアマネに、ハクが溜め息を吐き出し指を差す。


「良くねぇよ。どうすんだソレ」


「え?」


 指し示す先、アマネの体を敷布のように下に敷き、跨っている超古代種竜の頭がぬっと目の前に現れた。

「キュゥ」

 甘えた様な母性をくすぐる声で鳴き、鼻先をアマネの胸へ擦り付けてくる。


「何コレ…可愛い……」


 そっと手を出すと、今度は手のひらへ鼻先を押し付けてくる。その手で頭を撫で、硬い鱗で覆われた首を撫でる。

 大型の爬虫類にも見える体は、想像とは裏腹にアマネの体よりもずっと温かい。

 可愛らしい鳴き声を上げながら、親に甘える子供の様にアマネにのしかかってくる。

 ハクに助け起こされると、建物の陰に避難していたベルン達が駆け寄って来た。


「ヴォル、大丈夫?」


 心配そうなベルンへ、狐が胡散臭い笑みを向ける。


「大丈夫じゃ無いからベルンちゃんに慰めてもらおっかなぁー」


 確かに髪の毛と服の一部が焦げている。ギリギリだったようだ。

 ニヤニヤしながらベルンの顔を真っ赤に染めているヴォルグに、シドとペディが睨みを効かせている。


「アマネさん、怪我は!?」


「大丈夫。心配させてごめんね」


 真っ先に駆け寄って来てくれたライジンへ笑みを向けると、彼が安堵の表情を見せた。


「にしても…赤ん坊でコレかよ……」


 ハクの声に全員の視線が向けられた。

 その先にあったのは、窓が吹き飛び屋根の一部が焼き消えたハクの家と、途中だった昼食ごと破壊された大テーブルだった。




「それにしても超古代種竜まで手名付けるなんて。プリちゃん流石だねー」


 ヴォルグの視線の先には、アマネの膝を枕代わりに昼寝をしている幼竜の姿がある。


「孵ったら山に返してあげようと思ったんだけど——」


「無理だろ」

「無理だと思う」

「「無理じゃないですかね?」」


 困り顔のアマネに否定的な意見が一斉に届き、益々困ってしまう。

 それを見てカラカラと笑うヴォルグが「置けばいいじゃん」とまた適当な事を言い出した。


「勝手に居付くならそうさせればいいよ! プリちゃんの事、守ってくれそうじゃん」


 アマネはそれでも良いと思ったが、其れを嫌がりそうな人物へと視線を向ける。

 案の定眉間にシワを寄せた白い魔人が凄い目でアマネを見ている。が、どうしようもないと判断したようで、舌打ちをかますとそっぽを向いてしまった。


「ありがとう! ハク!!」


 あの舌打ちをどう解釈すれば「ありがとう」になるのかと、困惑の表情を浮かべる新参4人を他所に、アマネが名前を考え出した。


「やっぱり『クロ』かなぁ!」


「黒いから?」

「黒いからだろうね」

「「黒だからでしょうか…」」

「まんまだねー」


「ネーミングセンス皆無だな」


 好き勝手言ってる彼等をスルーして、膝に頭を乗せている幼竜の頭をそっと撫でる。


「よろしくね。クロ」




 シドに家屋の応急処置をしてもらい、クロはリビングで寝かせた。本格的な修理はまた明日からだ。

 卵を巻いていたマフラーが気に入ったのか、それの上に蹲り大人しく眠っている。赤ちゃんだからか、安心感があるのか、眠っている時間が多いように思われた。

 アマネはこんなものかと思ったが、ハクからすると異常なのだと言う。

 そもそも、竜種は群れる事が無い。ましてや誰かに懐くなど有り得ないのだ。この現象が今だけのものなのか、今後も続くのかすら不明なのだ。いつ『親』から『餌』になるか分からないだけに、注視していなければならないと聞かされた。


「ごめんね。ハクにばっかり負担掛けちゃって…」


「今更だろ。それより脱げ」


「え!!?」


 いきなり迫ってくると、本当に脱がせるつもりなのか服へ手を掛けてくる。

 突然の暴挙に二度見してしまった。


「ちょっ…なっ…ダメ…」


「バカが! 肩を見せろっつってんだ!」


「え? 肩?」


「あいつに強く掴まれたろ? 傷になってないか見る。どうせ寝る時脱ぐんだし、今脱げ」


 抗議も抵抗も虚しく、着ていた洋服は剥ぎ取られ、下着姿にされてしまう。ベッドへ座らされその後ろにハクが座った。


「少し痣になってるな。薬塗っとくか」


 下着の肩紐を落とされると、ハクの冷たい手が冷たい薬を掬い塗り付けてくる。ひやっとした感触に、思わず肩がピクリと動く。

 見えないところで動く指の感触や冷たさに、体がいつもとは違う反応をしてしまう。

 それがくすぐったい様な恥ずかしい様なで、アマネの体はみるみる熱く変化していった。


「アマネの体、熱いな」


「そ、そう?」


 そのうち後ろからすっぽりとハクの腕の中に閉じ込められてしまった。右手が左胸の痣へ触れてくる。


「こうすればよく分かる」


 肌に直に触れてくる手の冷たさが、アマネの体温の高さを顕著に伝えている。

 バクバクと波打つ鼓動がバレてしまうのが恥ずかしくて、アマネが離れようと身を捩る。


「離して」


「何で」


 側に居るとドキドキしてしまうから。

 好きになってしまったから。

 この気持ちがバレてしまうのが怖いから。

 これ以上、好きになってしまいたくないから。


 そのどれも口に出せず押し黙る。

 耳まで朱に染めるアマネの首筋へ、今度はハクの唇が触れてくる。


「ハク…お願い…」


「嫌なら本気で抵抗しろよ」


 その手で触れられたら、その声で捕らわれたら、その瞳で見つめられてしまったら、もう逃げ出す事なんか出来ない。

 ……分かってるクセに……


「…イジワル」


「分かってるじゃねぇか」


 目の前に迫るのは、楽しそうに歪められた魔人の顔だ。引き倒されたベッドの上で、逃げ場を塞ぐ様に拘束され、手のひらが合わさると長い指が絡んでくる。


 どうせ逃げられない。諦めろ。


 そう言っている瞳を見つめ、アマネは静かに瞳を閉じた。

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