22話——土蛇

 音も無く側へ忍び寄り、此方へ狙いを定めていたのは、アマネの体よりも太い胴体を悠然としならせる岩肌色の大蛇だ。

 目が合った瞬間に裂ける様に開かれた口から見えたのは腕程もあろうかという鋭く尖った牙と真っ赤な細い舌。先端が二つに割れている。


 頭が真っ白になり身動きが取れないまま、アマネとベルンがその場へ固まる。


「やめろ!!」


 ハクが腕を伸ばした時には大蛇の頭がふたりの眼前へ迫っていた。



 アマネは固く瞳を閉じ、体を震わせた。


 ごめんねハク。貴方の保存食だったのに、約束守れなかった……


 死を覚悟して数秒。

 いつまでもやってこない衝撃にあれ? と、恐る恐る目を開けた。


「!!」

「ひっ!!」


 岩で出来た大きな牙が目の前で静止している。

 ほんの少し、後コンマ数秒でその牙が届いていたという所だった。

 大蛇はピクリとも動かず、その場で停止していたのだ。



「危なかったねー。もう少しで丸呑みだったよー」


 緊張感の無い声が直ぐ後ろで聞こえ、アマネがベルンと一緒に振り返る。

 ヴォルグと、右手を開き腕を伸ばした姿のハクが立っていた。


「怪我は?」


 ハクに聞かれてふるふると頭を横に振った。

 改めて大蛇を見上げると、あちこちから細い光の筋が伸びているのが見える。ハクの糸がこの大蛇の動きを止めている様だ。


「もう大丈夫だよー。立てる?」


 ヴォルグの声に強張っていた体から力が抜けて行くのが分かった。途端にブルブルと震えが襲ってくる。恐怖のあまり、体が言う事を聞いてくれないのだ。ベルンは声を押し殺して泣き出してしまった。


「怖かったねー。大丈夫大丈夫。あっ! 花回収しないとねー」


 動けないふたりに代わり、ヴォルグが株を掘り起こし植木鉢へと入れてくれる。それをベルンに持たせると、鉢ごと少女の体を抱き上げた。

 入り口近くの岩陰へ下ろすとベルンの目元を指で拭い、頭をポンポンと撫でてやる。


「此処で待ってな」


 そう言って笑みを向けると、アマネの元へ戻って来た。


「プリちゃんはー? 抱っこしよっかー?」


「…だ、大丈、夫……足が、震えて——」


「はい。無理しなーい」


 そう言うとアマネの体を軽々と抱き上げる。


「これ不可抗力だからー。怒るの無しねー」


 口の端を上げながらハクの背中へ声を掛けるヴォルグ。ハクからは舌打ちが返って来た。

 ベルンと同じ場所へアマネを下ろすと、ふたりに耳を塞いでおくよう言い残し、ハクの元へと戻って行く。


 アマネとベルンが側を離れた事を確認すると、ハクの周囲の空気が一変する。

 魔力の濃度が跳ね上がり、吸い込む空気で喉の奥がひりつく程だ。


 あー…キレてるねー……

 これは…ホントのホントにマジな奴だねー


 肌を突き刺す様な威圧に、ヴォルグですら背筋をブルリと震わせた。目の前でとっくに戦意を喪失しているこの大蛇、『土蛇アーススネーク』が不憫に思えてしまう。

 今にも粉々に刻んでしまいそうなハクヘ、緊張感皆無の声が掛かった。


「始末したいのは山々だろうけど、先にもう一個の方、回収しなきゃだよー」


「わーってるよ」


 右手をそのままに、今度は左手を振り上げる。

 土蛇の巨体、所々に生えている草に向かって糸を飛ばすと、その一株一株に器用に糸を絡めていく。


「一気に行くぞ。合わせろよ狐!」


「ちょっと狐使い荒く無ーい?」


「やかましい! ちびが大事ならちゃんとやれ!」


 言うなり左手を握り込む。草に絡んだ糸が張られ、次の瞬間一斉に土蛇の体から引き抜かれた。


 飛び出して来たのは丸いフォルムの茶色い根菜だ。異質なのはそのひとつひとつに赤ちゃんの様な顔がついており、其処から短いが手足が生えている事だ。目と鼻と口があり、眉毛までしっかり付いている。

『マンドラゴラ』の子株だった。

 急に土から引っこ抜かれて驚いたのか、皆一様に驚愕の表情を浮かべている。が、直ぐにその顔が歪んでいく。今にも泣き出しそうなそれらを見据え、ヴォルグの5本の尻尾がふわりと膨らんだ。


「お眠りバブちゃん♪」


 そう言うと、15本程あったマンドラゴラへ催眠の魔術を施した。


 ボトボトと地面へ落ちた子株を、「きもっ」と言いながらヴォルグが回収し背中へ担ぐ。


「じゃ。先に行ってるからー」


「ああ」


 見向きもせずに答えるハクヘ背を向けた。


 岩陰で耳を塞いでいるふたりの肩を叩き、中身が詰まった袋を指し示す。


「終わったの?」


 不安そうな表情のふたりを見てカラカラ笑うと「さ、帰るよー」と、彼女達が自力で立ち上がるのを確認した。


「ハクは…?」


 ひとり土蛇と対峙するハクの背中を見つめるアマネにヴォルグが笑う。


「後始末してから来るってー。ハクなら大丈夫だよー」


 未だブルブルと震えるベルンの手を握る。持たせた鉢植えは、重いからとアマネが持っていた。


 ベルンは手を引かれ歩き出しながら、土蛇と対峙するハクをそっと振り返った。

 さっきまでは土蛇が怖くて震えていたが、今は違う。ハクから発せられるオーラが、その周囲を取り巻く空気が、禍々しく変化しているのを見た。

 今体が震えているのは、間違いなくハクが怖いからだ。



「プリちゃんとうんと仲良くしておくんだよ。それがベルンのミッションでもあるからね」


 ヴォルグが声を落としてベルンの耳元へ顔を寄せる。


「アマネちゃんと仲良くするのが、ヴォルグさんの役に立つんですか?」


「ヴォルでいいよー。それがねー大いに役に立つワケ。だから頑張って! オレの為に」


 ベルンが頷くのを満足そうに眺め、足の止まっているアマネヘと声を掛ける。


「プリちゃーん! 置いてくよー? オレがハクに怒られるから早くおいでー」


 心配そうに何度も振り返るアマネを伴い、3人は出口を目指してひと足先に帰路へ着いた。




 土蛇と対峙しているハクは、魔を拘束する自分の右腕が震えている事に驚いた。


 ひとつは怒りだ。

 上手く擬態していたとはいえ、この程度のちからで身動きが取れなくなるような奴にアマネの命が脅かされたのかと思うと心底腹立たしい。

 もうひとつは恐怖だ。

 ギリギリ間に合ったが、後ほんの一瞬、反応が遅れていたら…想像するだけで恐ろしさに震えが走る。

 ギリと奥歯を噛み鳴らし、とっくに戦意を喪失している土蛇を睨み付けた。


「アイツに牙を向けた事、死んで詫びるがいい」


 ぎゅっと右手を握り込む。

 土蛇の体中を拘束していた糸が張られると、一瞬の内に大蛇の巨体がバラバラと崩れ落ちた。

 ゴロゴロと足元に転がって来た魔石を一瞥すると、何の躊躇もなく踏み潰す。

 石片と化した残骸へ視線を向ける事無く、ハクはその場を後にした。


 オレも大概。狐の事言えねぇな。


 目的の為なら何も厭わない。どうなろうが知った事ではない。ハクにとっての唯一が唯一で有り続けるなら他には何も要らない。そうやって全てを捨てて今があるのだ。


 それを言ったら怒りそうだけどな…


 クスリと口元を僅かに歪め、出口へ足速に向かった。




 岩山の外に出たアマネは、入り口付近をうろうろしながらハクの帰りを待っていた。

 帰り道、奥の方で何か大きなものが崩れ落ちる様な異音を聞いた。おそらくハクの戦闘の音だ。何だか様子が変だったし、ひとりで残ったし、あの蛇は大きくて早かった。ハクに限って大丈夫だろうが、やはり心配だった。


 ヴォルグは少し離れた所から、ベルンと並んでアマネを観察している。先程から口元がニヤけてしまうのを止められない。


「ヴォル……嬉しそう、だね…」


 恥ずかしそうに『ヴォル』と呼ぶエルフの少女の頭を撫でる。


「探し物がねー。やっと、見つかったんだよー」


「探し物…?」


「そ」と歪める口元がいびつに弧を描く。


 ようやくね。弱点を見つけたんだよ。

 ようやく、ね……



 そうしてしばらく待つと、ハクが洞窟から帰って来た。アマネが駆け寄り声を掛ける。


「ハク! 大丈夫? 大蛇は? それより怪我してない?」


「ああ。帰んぞ」


 心配して待っていたのに、何とまぁ淡白な答えだろうか。

 ま、ハクらしいわね。

 半分呆れ、半分安堵し、さっさと歩き出してしまった白い背中を追った。



 庭園でアマネ達の到着をいまかいまかと待っていたアルラウネへ、依頼の品を渡す。

 鉢に収まった闇のしずくの株と、袋にいっぱいの眠りについているマンドラゴラの子株。


「確かに受け取りました。ありがとうございます。約束通りレシピをご用意しておきますね」


 鉢と袋を精霊の子供達に渡すと、再びアマネ達を見渡す。


「時間が掛かりますので、今日は此方でお休みください。お部屋へご案内致しますわ」


 そう言うと、さっきまでは何も無かった筈の庭園の真ん中に、大きな屋敷が現れたのだ。これもアルラウネの魔術なのだろう。こうやって巧みに森へ身を隠し、時に現れ手を加えながら管理をしてきたのだろう。


 小さな精霊がアマネ達4人をそれぞれ部屋へと案内してくれた。

「食事の用意が出来たら声を掛ける」と伝えると、精霊達は姿を消してしまった。

 疲れた事だし、ひと休みしようと部屋の扉を開けたところで、向かい側でベルンがヴォルグに捕まっている。


「君、オレ専用の抱き枕だからねー。もっと肉付けて、抱き心地の改善してよねー」

「え? え?」

「ほらほら早くおいでよー。疲れたから休むでしょー?」

「はい…でも! ええ!?」

 そんなやり取りをしながら扉の向こうへ消えていく。


 大丈夫かなぁと不安に駆られていると、アマネの側にはハクがやってくる。


「ハク?」


 無言で部屋の中へ押し込まれると、当然のようにハクも入ってきた。


「どうしたの? 大丈夫?」


 何だか様子がおかしい気がしたのだ。

 見上げてみるが、その表情が伺い知れない。


「やっぱり何かあった——」


 腕を引かれてハクの胸へ倒れ込んでしまった。

 そのまま逞しい腕が背中に回されキツく締め付けてくる。力が強くて息が苦しい。


「ハク…苦し…」


「死んだかと思った」


「えっ……?」


 洞窟での話だろう。確かに後少しで丸呑みされてしまうところだった。

 でも——


「ちゃんと生きてるよ? ハクが助けてくれたでしょう?」


 ハクの背中に手を添える。細く見えるとはいえ背中は広くがっしりとしている。胸板も固く、鍛えられた体なのだと分かる。


「いつも助けてくれてありがとう」


 腕が緩み、少しだけ体を離してハクの顔を見上げた。揺れる薄いグレーの瞳がアマネを映している。


「私のわがまま、聞いてくれてありがとう。ちゃんと感謝してるよ」


 此方を見下ろす瞳が何だか怯えを含んでいる様に見えて、アマネがハクの頬へ手を伸ばす。そこが冷んやりと冷たくて自分の体温が上がっているのだと実感した。


 いつもドキドキさせられる。強引でオレ様で口だって悪いのに、触れる手はどこか優しい。

 こっちの気持ちなんてお構い無しのクセに傷付けるような事はしないのだ。それこそ魔人なのに。

 だから、勘違いしてしまいそうになる。


 頬に触れた手にハクのそれが重なった。

 冷たい手が火照ったアマネには心地良い。

 腰が抱き寄せられ、ハクの顔が近付いてくる。

 影が落ち、鼻先が触れる前に目を閉じた。

 唇が触れ合う。何度も。何度も。

 心臓も息も苦しくて、でも離して欲しいなんて思わない。


 頬を染め、潤んだ瞳で見上げてくるアマネの体を抱き上げる。近くのベッドへ下ろすとそのまま体ごと組み敷いた。

 押し付けた手を解き、熱い手のひらに自分のを重ねると、アマネの細い指が絡んでくる。

 自分の下で壊れそうな位になっている心臓の音を感じ、自分のものよりも高い体温を感じながら、彼女の生を確かめるように吐息を奪う。



 どうしてそんな風に見つめるの?

 どうしてそんな風に触れるの?

 そんな事されたら勘違いしてしまう。

 大切に思われているのだと、都合良く思ってしまいそうになる。

 まるで愛しいと言われているように捉えてしまう。

 そんな事ある訳無いのに……


 頭に響くように成り続ける鼓動を感じ、喉の奥を締め付けてくるような苦しさに戸惑う。胸の奥から沸き起こる疼きも、全身を駆け巡る熱も、どう処理していいか分からないこの感情も持て余したまま、アマネは固く合わさった少し冷たい手をぎゅっと握っていた。

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