雪どけず、潮ふけず。

白川迷子

雪どけず、

 雪がつもる海ではシロクマとクジラが良い関係らしい。ふたりは鏡越しに寄りそうように統合するんだよ。素敵じゃない、鳴かずして波長が共にあい交わるだなんて。そう思うでしょう。……あなたはいつも何時もそうだものね。わたしが言ったことに対していちいち揚げ足を取るようにしているけれど、これらの会話を一度でも素直に決着させられたことがあったかな。良い関係っていったら良い関係なんだよ。おわかり? それがそんなに気になる? まあ言葉選ばずに記号化するなら、深夜のオーセンティックなバーの隅に座ってひと言も発しないでいるふたりだよ。ちんちろりんとぶらぶらした赤色灯が頭上から腰だかにかけてとぐろを巻いている様子が目にうかぶでしょ。多分だけれどその時はクジラがシロクマを隠すように扉側に腰を置いているんじゃないかな。でっぷりと腹に納めるようにしてさ。それでテーブルにはいかにも、これから酔います、記憶消します、責任判断あらゆる大人の能力を欠如させます。って鼻息のあらい色をした液体が心細くなるほど薄い硝子のなかで水面をゆらしているんだろうね。そしてその後はしっぽりと年甲斐もなく青春の汗を、いや潮をふくんだよ。わからないかな、哺乳類のメスはみんな潮をふくんだ。そうして真っ白な雪原に愛の染みを刻んで、朝にはまたなに食わぬ顔で凪いでいるんだよ。彼らに限った話じゃないよ。欄干に座って笛を吹くあの子も、舗装の目地に夢中になっているあの子も、そう。どれもこれも面の皮が厚いったらありゃしない白々しいよね、みんなほんと。まあいいんだけれどさ、愛しあい方なんてそれこそ雪のように姿形をかえるものだもの。湿っぽい夕日もあれば、鍵盤が悲鳴をあげるほど情熱的だった午後もあるってものよ。あなたが訊いたんじゃない。鼻高々に語りに浸っておいて堂々としたものだけれど実はわたしはまだ一度も見たことがないんだよ、まことに残念、今年の夏なんて二週間ばかしも海にいたっていうのに、やたらとぼたついた塩辛い雪がしんしんと積もりやわら揺れるだけでいつまでたっても二頭の恋嵐がやってくる気配すらないんだから。まったくもって嫌になるよ。雪のうえで浮き輪に沈みこむようにして揺られて待っている間にいろんなことを考えさせられたんだけれどね、結局のところわたしにとってその二頭は憧れの対象なんだってこと。だからこそお目にかかれない、手のとどかないものなんだろうね。このさき何十年と限りある酸素を浪費しながら過ごしていったとして、老いても老いてもわたしは誰にもなれずにシロクマとクジラにも見初められない、そんな予感を紫外線をつれた太陽に浴びせかけられているようだった。えらそうな顔で私たちを見下すお天道様は相も変わらず肌艶が良くて────どうせ毎晩ホルモンを過剰分泌させてるんだよ。ほら、示し合わせたように月のやつが目を覚ますじゃん、あいつらきっとデキてるんだって、まあ女神様とちがって野郎は肌荒れが目立っているぶん苦労しているんだろうね。その辺は察するに留めておくのが花丸ゆえに吉だと思うけれど、わたしはつい最近まで養分を吸いとっているのは月のほうだと思っていたんだよ。そう思い至るに余りあるほど彼の影はすべてを吸いこむ暗黒なんだ。あなたが知らないだけで月は毎夜、陽を欲しては背中に本音を隠してそっと忍び寄っているのさ。でも可哀想に女神様は彼の本音もそれどころか本音のウラにある自身にすら自覚のない欲求と目的をもくみ取ったうえでフェロモンを振りまいて、おまけに通り路には置土産だなんだと言い訳に真っ赤な繊維をならべているんだから質が悪い。尊敬できないかと問われれば、それはそれ、これはこれ。でも決して真似はできない。それはそれ、これはこれってやつだよ。そういう意味では彼らは絶対にシロクマにもクジラにもなれないんだ、なぜならふたりには愛がないから。幾分かはわたしが先んじると考えるのが自然だよ。陽が沈んだら途端に月が引き継ぐ律儀な合理性に塩をまぶした程度の衛星的観点に比べれば私たちはずいぶんと遊曲的な進歩を自然界にもたらしているのだから。あとはそうだね、古来より私たちは月と太陽を崇め奉りその周期を追うことによって自らの立ち位置を認識しつづけてきたわけだけれど、お互いの境界はいつのまにか曖昧になっていたんだね。つまりどういうことかと言うと──あ、あくまでわたしの私見だよ──いまや私たちは昼夜の約束を利用しうる立場にあり、あろうことか権利を破棄しようとしている。みんな口にしないだけで解っちゃってるんだよ、要らないって。でも本質的には解っていないんだよね、逆説的だけれど。ほんの五秒でも良いから今の私たちを俯瞰で観察してごらんなさい、過去を踏襲した進化かもしれないけれど未来を、あるいは爪先にひろがる波の引き際を探しもしない恣意的でみっともない怠惰の塊だよ。わたしがお天道様のうえに座っていたら呆れて声をだして笑うだろうね。純朴に過ごしてきた数十世紀のなかでいつの時代も今が一番つまらないと語られてきた。それでも未来に向けて目をひらき、手をかざし、時には明後日の方角へあわせていた。なのに今の私たちときたら……ね、みなまで言わなくてもわかってくれるでしょ。嗚呼、あなたの目聡さは尊敬に値するけれど、よりアニマルな進歩とたった今だらだらと述べた進化は対極に同居していると思うんだ。さっき言ったじゃない私見だって。知らないよ。いつだってはっきりと発言しわたしなりに責任をもって生きてきたつもりだから、例え間違っていようが誰が損をして困ろうがワタシはなにも困らないもの。同時に正しかろうと誰も得をしないって暗に認めているってわけ。そういう風に成り立ってしまった世界なんだからあなたにしかこんな話をできないんだよ、いつも感謝してる。余談だけれど、従前たるアニマルの系譜から外れだした私たちの辿りつく果てはきっと釈迦か灰だよ、これは間違いない。シロクマにもクジラにもなれないどころかイエスにもアダムにもなれないんだ。私たちに未来はない。同じ場所をぐるぐるまわるだけなんだ。鉢を周遊する金魚のようにね。金魚のほうがよっぽど真摯だと感じるけれどね、だってあのひとたちは観賞魚として筋の通った変遷を辿っているんだから。食べられない、海にもぐれない、にもかかわらず、いやだからこそ私たちは金魚を慈しむことに屈託がない。金魚の真の魅力は清き一票を潔く分け与えさせる性愛にも似たふしだらさだよ。真昼のソファで交わした誓いの言葉を今でも憶えているかな。暦が生を受ける以前より身を削ってきた月さえ知らない愛を私たちは生まれながらに備えている。だけれどそれじゃあ足りない、例えばクジラのような、あの金魚のような、彼らが垣間見せる穢れた欲求を隠してしまう私たちは淘汰されないかわりに何とも交わることのない無彩色の遺伝子を脈々と細々と後世に残すことで精一杯の微生物にすぎないんだよ。餌として貢献するぶんプランクトンのほうが有意義かもしれないね。植物だってそうだ。私たちは感情を持ち、知恵をつけ、一歩ふみだすたびに知識を積みあげていく。複合的な心理ゆえに芽ばえる幾重の言葉でもあらわせない心を自覚しながらも、なぜ動物然と進化できなかったのか。あるいは複雑怪奇な現在の過程が私たちなりの進歩なのか。わたしが例の二頭に憧れる底にはきっと一生かけても煮えきらない答えがあるはずなんだ。笑ってくれても構わないけれど、あの夏の日の雪上で途方にくれたときから、何度もなんどもシロクマとクジラの情事を想像していたの。するとね、生存本能にしたがって吠え、食べ、求める様をとかく主張しがちだと捉えているのは実は私たちのほうで、彼らとの境界線も見えないふりをしているだけですぐ傍らにあることに気がついたんだよね。私たちの命題はいまでもわからないし、この先もわからないまま次代へ移るんだろうけれど、少なくともわたしは一秒後にでも潮をふけるんだ。あなたもそうだよ。誰だってそう。半歩となりに引かれている線を越えないと、いつまでたっても同じところをぐるぐるさ。今の私たちのようにね。不服そうだね、本質は変わっていないわけだから、私たちはこうやって毎年のように一年を踏み荒らして老いるくせに、年が明ければ何もかも忘れて生まれかわった気分で、なにが待っているかわからない真っ白な一年を眼前にひろげるんだよ。庭に面する掃き出し窓を開けたときのようにね。でもやっぱり庭は庭で、それはいつもの庭を刹那的に雪が化粧を施しているだけなんだ。つまりまた一年後も私たちは踏み荒らして足あとだらけにしちゃった一年を振りかえって、汚れた地面から目をそらし途方もないシロクマとクジラに想いを馳せるのさ。

 ところで、私たちはシロクマとクジラになれるかとてっきり期待していたんだけれど、どうやら私の思いすごしみたい。また一年後に同じ話をしよう、今夜みたいにね。さよなら、良い年を。

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