第13話 秘密

 シャワーに一時間はさすがに長すぎではないだろうか。

 確かに女性の入浴が長いというイメージはあるが、この状況下だ。

 そう考えているうちに、俺の中での不安が膨れ上がっていった。

「なあ、葵達遅くないか?」

 この心配が俺だけのものか確認をとる。

「うーん。そんなもんなんじゃないのか?」

 柊が言った。

「時間に関しては何も言えないけれど、言われてみれば水の音がしていない。この武道場は水を使用したときに少なからず音が聞こえるんだ」

 この言葉を聞いて、俺は確信を持った。

 何かがあったに違いない、と。

「柊、行こう」

 そう言って、俺は近くに立てかけてあった木刀を手に取った。

「待て」

 その行動を見た昂太朗が待ったをかける。

「確かに心配ではあるけど、突入なんかするなよ? まずは何回かノックしてみて様子を見るべきだ」

 そう言われてハッとする。

 確かに、もしこれで何もなかったとしたら、俺たちは社会的に死んでしまう。

 一度思い立ったら何も考えずに行動に移そうとしてしまう己の欠点を反省しながら、俺は返事をした。

「そうだな、わかってる」

 柊にも木刀を手渡し、二人で更衣室の扉の前に立つ。

 コンコン。

「葵、紗夜。何か変わったことはない?」

 ……。

「葵! 紗夜!」

 ……。

 返事がない。

 武道場のシャワールームはそこまで広くはない。

 この声量であれば、十分に聞こえるはずである。

 この時間が一秒増えるにつれて、俺の鼓動もだんだんと早くなっていった。

「返事して! 開けるよ?」

 ……。

 柊が身構える。

 俺は覚悟を決め、勢いよく扉を開放した。

 薄暗い更衣室。

 その奥に見える、ほんのり湯気が残ったシャワールーム。

 全てのブースのカーテンは開き、裾から水滴が滴っていた。

 誰もいない空間。

 ゾンビが何かしらの経路で侵入していた場合を考え、俺はゆっくりと中を見回した。

「いない…」

「え?」

「ゾンビも、葵も、紗夜も、いない」

 俺の声に呼ばれるように昂太朗、直人、悠太が駆けつける。

「そんなはずはないだろう?」

 そう言って昂太朗がずんずんと中へ進んで行く。

「ちょっと、全員で探そう。倉庫と入口辺りも見てきてくれ」

 その言葉を聞いて、俺は倉庫に向かって一直線に駆け出した。

 さっき見た感じ、更衣室に着替えらしきものはなかった。

 だとしたらおそらくシャワー室からはすでに出ていて、別の所にいるのだろう。

「俺たちが話しに夢中になっていたから、出てきた二人に気が付かなかった?」

 考えうる可能性を呟く。

「そうかもな」

 その声を拾って返したのは、直人だった。

「あれ、柊は?」

 先ほどまで後ろにいると思っていた人間の不在を疑問に思う。

「玄関の方を見に行った」

「そっか」

「でも、ここに着いたときに玄関周辺は見て回ったが、気になる物は何もなかった。だから、倉庫の方が可能性が高いと思う。それかシャワールームにまだいるパターン」

 シャワールーム・更衣室は昂太朗、フロアは悠太、玄関方面は柊、といい感じに持ち場が分散している。

 不測の事態にも対応できるだろう。

 ここで一番不安な場所は倉庫。

 一部の部活に所属している人以外は、卒業まで一回も入ることのない場所。

 でも、二人いれば何とかなるだろう。

 そうして、武道場らしい木の引き戸の前にたどり着いた。

「開けるよ?」

 直人とタイミングを計る。

「「せーの!」」

 二人の掛け声に合わせて、玄関並みに頑丈で重たい扉がゆっくりと開いた。

 剣道、柔道のように区分けされた収納棚。

 壁に立てかけられた数十枚の畳と、奥に見えるのは薙刀だろうか。

 ほかにも防具を身に着けた人形をはじめ、見慣れない道具が多数収納されていた。

 きょろきょろとあたりを見回す。

 人の気配はない。

 俺は少しずつ、体を倉庫の中へとスライドさせた。

「おい暁人、あそこ。ホワイトボードの後ろ」

 突然直人が、右手奥を指さした。

「ん?」

 急いで指の先を目でたどる。

 付近一帯で何かが動くようなことはなかった。

「誰もいな…」

「ちげーよ、ホワイトボードの後ろ、壁に備え付けられた高い棚の横だよ。簡易的な梯子のようなものが設置されてる」

 そう言われてもう一度目を向けると、確かに壁から足場用のバーが飛び出ていた。

 視線を上げる。

 すると確かに、天井には四角い穴が存在していた。

「ここにも、屋根裏みたいなものがあるのか?」

「わからない。でも、上るための足場だろ? あれ」

 俺たちはもう一度辺りを見回し、だれもいないことを確認したうえでそのふもとへと移動した。

 

 

「「高いな」」

 直人も同じ意見を持ったようで、感想がハモる。

 何が高いかと言えば、足場の一段目であるバーが手を伸ばしても届かない位置にあるという点である。

 そもそも生徒に上らせることを前提にしていない設計なのだろう。

「二人は、これを昇ったのか?」

 途端に疑問がわいてきた。

「どうだろう」

 直人もそう思っているようだ。

 腕の力だけで昇るには、いささか無理があるように思えるのだ。

 一段目さえ攻略できれば、あとは梯子の要領だろうが。

 ほかの捜索ヵ所からはいまだに声が上がらない。

 俺は試しにジャンプして、一段目をつかんだ。

 しかしいくら腕に力を入れようと、二段目をつかむには及ばなかった。

 某忍者の名前を関するテレビ番組の挑戦者はこれに近いことをやってのけるのだから、改めて尊敬する。

 だが、普段からこれに特化した訓練を行っていない俺では、しょせんこの程度が限界だった。

「仕方ない。とにかく、乗れ」

 俺の苦戦する様子を見ていた直人が俺の横でしゃがむ。

 俺はそれを肩車だと解釈し、直人の頭をまたいで立った。

「いや、それじゃあ無理だろ。さっきの懸垂を二段目でやるだけだ」

 そう言われて確かにと思う。

「え、じゃあ…」

「そうだよ、肩に足を乗せろ。ただし、先に足の裏を確認しろよ?」

「も、もちろん」

 そして俺は、直人に持ち上げられた。

 三段目をつかむ。

 そして、この高さだと一段目に足が届く。

 俺が慎重に体重を移し替えていると、下から嘆きが飛んできた。

「早ぐじろ~」

 運動神経が悪いわけではないためそれなりに筋肉を持つ直人だが、決して大柄というわけではない。

 ましてや安定しない体勢で足という「点」を支えているのだから、その負荷は肩車の数倍だろう。

「わり! すまん」

 俺は急いで両足を移し替え、直人に謝罪した。

「でも、直人はどうする?」

 一人だと、ある程度の高さがあるものを用意しなければならない。

 そんなものが倉庫の中に……意外とありそうだった。

 じゃあなんでわざわざ人力?

 今になって、非常に直人に申し訳なくなってきた。

「いいよ、何とかするから。先に行って」

 直人は特に疑問を持たなかったようだ。

 であれば、無駄に直人の体力を消費したことは黙っておこう。

「わかった。いたら呼ぶよ」

「そうだな。いないのに二人上っても意味ないからな」

 俺は次の段へと体重を移動させた。

 

 

 数段上った俺は、天板にぶち当たった。

 弓道場とは違い、無理やり押しても開く気配がない。

 どうしたもんかと、その板を観察する。

 なんだ。

 手に届く位置に手動で開けるカギを発見し、俺は胸をなでおろした。

 カギに手をかけ、ロックを外す。

 天板を支える手を押し、俺は開けることを試みた。

 開かない。

 そうしてゆっくりと手を下げると、天板が下りてきた。

 こういうところは普通、押し戸だろ!

 マンホールとか。

 心の中で突っ込みつつも、数段下に降りてから再び上った。

 青空。

「ここは…」

 そう言いながら周りを見渡していると、俺の良く知った声が聞こえた。

「あ、アキも来たんだ」

「先輩!」

 二人の無事な姿を目視してひとまず安堵し、俺は梯子を昇りきった。

「なんでこんな所にいんだよ! こっちは心配して探したんだぞ?」

 つい、声を荒げてしまう。

「ごめん! でも、話の邪魔をしたらまずいかなーって思ったから」

「ごめんなさいっ! 私が葵先輩を連れ出したんです」

 怒る間もなく飛んできた謝罪に、俺はそれ以上何も言えなかった。

 あ、直人に言わなくちゃ。

 もう忘れかけていたさっきの約束を完全に消える前に頭から引きずり出し、俺は再び穴からのぞき込んだ。

「直人。葵と紗夜、見つけたよ。他のみんなにも言っておいて」

「おう。呼んでくる」

 そう言い残して、直人はフロアの方へ姿を消した。

「それにしても、ここって? それに葵のその服」

「ああ、これ? いいでしょ! 紗夜ちゃんが貸してくれたんだ。一年生の体操服って色が違うから新鮮!」

 葵は、俺たち二年生が持つ体操服とは別の色のラインがデザインされた長袖体操服に、ジャージを羽織っていた。

 その色はネクタイの色と合わせて学年で異なる。

「それに、紗夜ちゃんの匂いが…」

「わー! わーわー」

 紗夜が珍しく大きな声を発した。

 女子はいつもこのノリなのだろうか。

 ここ数分での感情の変化が激しい俺には、ついていくのが大変だった。

 ただ、今まで袴で移動していたことを考えると、体操服の方が機能性は断然上だ。

 その上ジャージで調節できるのであれば、まだマシだろう。

「それで、ここがどこかって質問でしたよね? 私もよくわかんないんですけど、バルコニーみたいな空間だと思います」

「バルコニー?」

「はい。私も剣道部に入って先輩が上っているのを見かけるまで知らなかったんですけど」

「でもあの梯子、上らせる気のないよね?」

「ですね。おそらく何らかの点検とかに用いられる、屋根の上に上がるための物だと思います」

「いや、そうじゃなくて…」

 俺は二人がどうやって上ったのかが気になっていた。

「お前、横の棚使わずに上ったんだってな」

 俺が通ってきた穴から昂太朗が顔を出す。

「ん? 棚?」

「そう、棚だよ。剣道部に代々伝わる上り方さ。まず棚の一番奥の空いているボックスを梯子に見立てて上るだろ? そしたら上を歩いて手前の方に。あとは梯子に乗り移って…」

 昂太朗が得意気に説明してくれた。

 最後に重要な一言を付け加えて。

「まあ、本来生徒が出ていい場所じゃないんだけどな」

 昂太朗の話が終わる頃には残りの三人が上り終えていた。

「それで、こんなところで何をしていたんだ?」

 直人が一番の疑問を口にする。

「そんなの、秘密よヒ・ミ・ツ。ねっ!」

「はい! 秘密です」

 葵と紗夜は二人で目を合わせ、何やら楽しそうにしていた。

「いや、そういう問題じゃないだろ。さあ、」

 それでは納得のいかない直人はさらに問い詰める。

「……」

 “ババババババ ”

 葵のその答えは、大きな機械音によって阻害された。

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