1週間の物語

なつめ

1日目

第1話 日常

 ああ、つまんない。

 なんで学生は授業を受けなければならないのだろう。

 こんなにも退屈なのに。


 教師達は皆、口をそろえて「将来絶対に役立つ」なんて言っているが、歴史なんか知らなくたって生きるのに何の支障も無い。

 百歩譲って「先人から学ぶ」ことに意味があるとしても、個人単位の努力が大きな実を結び、社会を変える夢物語がありえないということを、偉大な歴史が教えてくれたではないか。

 ましてや関数のように、ひたすら一般化と抽象化を重ねて分かりづらくする手法を、この先どの場面で使うのであろうか。

 

 俺は授業中、そんなひねくれたことをひたすら考えていた。


 チャイムが鳴った。

 今日は金曜日である。そして、さっきまで七限目の授業を受けていたのだから、このチャイムは今週一週間の終わりを告げるものであった。


「起立。きをつけ。礼」

 学級委員の号令がかかり、すぐに生徒全員がそれに続く。

「「ありがとうございました」」

 

 挨拶が終わると、途端に教室内は騒がしくなった。


「明日映画いかない?」

「いいね。何見る?」

「この時間だと…」

 

 今までの授業の雰囲気とは打って変わり、まるで明日から夏休みかのような騒ぎようだ。

 まあ、明日から二日間の休みということもあり、あながち間違いではないのだが。


 まったくのんきなものだ。いいよな、帰宅部は。

 

 俺はこの後部活なのだ。

 まあ、好き好んで部活動に入部しているのだから、文句は言えないし、苦痛ではないのだが。

 放課後はいつも通りの練習、明日は市内の高校と合同で練習試合。

 とても騒ぐ気にはなれなかった。


 ガラガラ。


 ドアが開き、準備の早いやつらが、教室から姿を消していく。

 ドアを出て行った四人組の女子グループと入れ替わるようにして、男子生徒が入ってきた。


「おい暁人。早く部活行こうぜ。またあいつに怒られちまう」

 

 帰宅の準備をしていた俺の、机の前から声がかかった。

 顔を上げると、すっきりとした短髪に整った顔をのぞかせた、身長は俺と変わらないか少し高いくらいの男子生徒、柊がいた。


「誰に怒られるって?」


 前方右手から新たに声がかかる。

 声の主は、黒髪を背中の中間あたりで切りそろえた細身の女子生徒だった。

 身長は女子の平均から少し高めだと思われる。

 背筋がピンと伸びており、街を歩けば数多の声がかかりそうなその容姿が俺たちの目を引き付けた。


「な、葵。聞いていたのかよ。まだ名前は出してないぜ」


 焦る柊。

 それじゃあごまかせてないだろ。

 心の中で思ったが、お決まりのパターンであるため、口は挟まない。


「その言い方だとこれから私の名前が出てくるみたいじゃない?」


 よく聞くいつものセリフが返ってくる。


「悪かったって。許してくれ」

 

 ごまかせないと一瞬あきらめた表情を浮かべた柊は、すぐに切り替えて、素直に誤った。


 結局こうなるのか。


 だが、こういう性格だからみんなに好かれるのだろうなと思う。

 柊はだれに対しても素直なのだ。まあ、言い方を変えれば周りに流されやすいとも取れなくもないが。


「その辺にしておけよ、葵」


 助け船を出そうと試みる。

 二人の視線が俺に集中した。


「はぁ。しょうがないわね」


 聞こえるくらいの大きさでため息をついた葵は、その後すぐに矛を収めた。      


 小さいころからこの二人とは一緒であるがゆえにわかってしまうというか、この流れになるといつも柊は言い負ける。

 そのくせいつも、行動を共にする。


 俺はこの関係に好感を持ちつつあった。


「先に行くぞ」


 二人に一言声をかけてこの場を離れようと試みる。

 柊も葵もかばんを持って来ていなかった。

 葵はまだ自分の席に戻ればいいが、柊は隣にある自分の教室まで取りに行かなければならない。 


 なぜいつも何も持たずに俺の周りによって来るのか。

 俺は不思議でたまらなかった。

 

 俺を迎えに来てくれたであろう二人をおいて俺はその場を後にした。


       ◇◇◇


 目の前を歩くのは先ほど俺の近くでコントのような会話を繰り広げていた葵と柊。

 俺が思っているより走ったのか、少し息が上がった様子で追いついてきた。

 

 下駄箱で靴に履き替える。


「こんにちは。先輩っ」

 靴に足を入れ、かかとの部分を手で引っ張っていると、かわいらしい声が聞こえた。

「おう。久しぶり」


 顔を上げ、声のした方に向かって挨拶を返す。

 その後ゆっくり振り返って、声の主を認識する。


「最近の部活はどう?」


 俺は、ネクタイの色が俺たち二年生とは異なった女子生徒に問いかける。


 玄関の吹き抜けに向かって流れる風が、飾り気のないピン止めで止められた彼女、紗夜の髪を揺らしていた。


 俺は以前、生徒会に所属していた時期があり、当時剣道部期待の新星と謳われていた彼女を取り上げた生徒会新聞を書いたことがあった。

 恥ずかしそうに、それでいて素直に俺の質問に回答してくれたことを、今でも覚えている。

 交流があったのはその時だけだが、今もこんな感じですれ違ったときには声をかけてくれる、かわいい後輩だ。


「はいっ。そこそこ頑張ってます」


 剣道部にしてはおとなしめな、優しい声の返事が返ってくる。


「なんだよ、そこそこって」


 俺は少し笑いつつ彼女との言葉のキャッチボールを続け、部室に向けて歩き出した。


「そういえば先輩、この間の大会で入賞されていたじゃないですか」


 どうやら横を歩く後輩は俺の戦績を把握しているようだ。

 ちなみに俺は弓道部に所属しており、この間の大会というと、秋の県大会の事であろう。


「よく知ってるな。まあでもこの間の大会は団体での入賞だし、結果から言うと柊がいないと入賞は危うかったんだけどね」


 俺は大会の結果について事実を語る。


 実際、柊はこの大会の個人戦で優勝という戦績を残しており、全国大会出場が決まっていたりする。

 対して俺はチーム内でもかろうじて仕事をしたといえるほどだった。


「それでも入賞は入賞じゃないですか。先輩の貢献も大きかったと思いますよ」


 紗夜は俺の目をまっすぐ見ながら言い放った。

 面と向かって言われると何となく恥ずかしくなってしまうが、俺は彼女の言葉をありがたく受け取った。


「おい、遅いぞ暁人。練習始まっちゃうって」


 急に前方から声がかかった。

 前の方に目をやると、柊と葵がこちらを向いて手を振っていた。


 いつの間に抜かれたのだろう。


 さっきまで後ろを歩いていると思っていた二人が俺の前にいて、しかも二人との間には結構な距離が開いていた。


「わかってる」


 とりあえず返事を返す。


「ちょっと急ごうか」


 俺は隣を歩く紗夜に声をかけた。


「はいっ」

 

 透き通った、耳あたりの良い返事が俺の耳を駆け抜けた。

   

   

 部室前で葵と紗夜と別れた俺と柊は男子弓道部と書かれた部室のドアの前に立ち、ドアの溝に手をかけた。


 トン、トン、トンという音が横の階段から聞こえてくる。

 葵と紗夜が階段を上がっている音だろう。


「お。開いたぞ」


 隣にいた柊に声をかける。


 空いていなければわざわざ鍵を借りに行かなくてはならないのだ。

 今日は珍しくカギがかかっていない。

 つまり、先客がいるということだ。


 鍵を取りに行く手間が省けてよかったと思いながら、俺たちは中に足を踏み入れた。


「「お疲れ様です」」

 多数の低い声が俺たちを迎えてくれた。

「お疲れ」

 俺と柊はこの声に返事をする。


 袴に着替えている最中の数人の男たちでいっぱいの部室内は、冬を目前に控えたこの時期にしては、少し蒸し暑かった。

   

   

「暁人。俺ら今日的張り当番じゃなかったっけ?」

 

 着付けも終盤に差し掛かった時、背後から声がした。

 

 振り向いて声の主を認識する。

 声の主は、男子の中では若干小柄な、男子弓道部副部長の蒼だった。

 

 ちなみに部長は今日も補習。

 最近では部活にすら顔を出せず、男子弓道部は実質、蒼によって回っていた。


「そうだったっけ?」


 曖昧な返事をしながら今日が金曜日であることを思い出す。


「やべっ。今日俺らじゃん」

 

 慌てて着付けを済ませ、柊に先に行く旨を伝えてから、二人で慌てて部室を後にした。



「俺、また葵から怒られるのは嫌だぜ」


 蒼から意外な言葉が発せられた。

 彼にとっても女子部長は怖い存在らしい。


 ここで一応葵を擁護しておくと、彼女の口が悪いわけではない。

 ただ、言うことが正論すぎるのだ。

 だから彼女と口論しようものなら、必ず言いくるめられてしまう。

 

 しかし、このこともあって彼女は部員、特に女子部員からの信頼も厚く、頼りになる存在なのだ。

 

 一説によると女子のファンも多いらしい…。



 部室から道場に向かう道の半ばあたりで、袴姿の葵とすれ違った。

 

 数分前とは打って変わって、少し高めの位置でまとめられた長い黒髪が着こなされた袴と合わさり、いかにも弓道女子という雰囲気を醸し出していた。

 同学年の友人数名と談笑しながら道場に向かっている。

 

 追い越す寸前、葵から声をかけられた。


「アキ、今日的張りじゃなかったっけ?」


 どうやら他人の当番まで完璧に把握しているらしい葵は今日の練習開始時刻を気にしているようであった。


「今から!!」


 質問に答えつつ、俺と蒼は横をすり抜けるようにして道場に向かう。


「やっぱり!もう、早く道場行って準備してきてよね。拝礼また遅れちゃうよ」。


「お、おう。わかってる」


 そういって走り出したのはいいものの、俺はまた別のことを考えていた。


「あいつこの間、一組の男子から告白されたって言っていたけど、結局どう返事をしたのだろう?」

 

 ここ数日俺の中で渦を巻くように居座っていた疑問だ。

 

 俺と葵、柊は家が同じ方向であるため、一緒に帰ることが多い。

 この話をしていたのが下校中だったのだから、柊もこのことは聞いていたはずだ。


 どう思ってこの話を聞いていたのだろうか。

 あれから柊と二人になる時もあったが、この話題が上がったことはない。

 柊は葵の恋愛に興味はないのだろうか。


 一つの疑問はさらなる疑問を呼び集めていた。


「暁人、急がないと練習開始に間に合わないって」


 的前で、蒼に言われた。


「それとお前、葵のこと好きなんだろ?告っちまえば?」


 何の脈略もない発言に俺は何を言っているのかわからず、反射的に答えてしまう。


「は?」


「いや、いつも暇さえあれば視線が葵に向いているし、さっきも気にしてたじゃん」


 俺は返答を聞いて考えられる選択肢を脳内で列挙し、その最もありえそうなものを声に出した。


「もしかして、声に出てたか?」


 恐る恐る聞いてみる。


「いや、ただ、見てたら誰でも気づくって」


 にんまりという表現が似合いそうな顔で蒼は答えた。


 少し距離が空いていたから聞こえていないと踏んでいたのだが、どうやら聞こえてしまっていたらしい。


 そんなに大きな声で言っていたのだろうか。

 そしてどんな内容を口にしていたのか。


 俺は頭をフル回転させて、その場面を思い返した。


「いや、幼馴染として気になっただけだし、好きでも何でもないよ!」


 どうも蒼相手だといつも手玉に取られている気がする。

 蒼は俺の慌てた様子を見て意味深な笑みを浮かべていた。

   

       ◇◇◇

   

 練習は予定時刻から三分程遅れて始まった。

 三年生が引退して受験勉強に入っているこの時期は、二年生が部内での最高学年ということもあり、二年男子、二年女子、一年男子、一年女子という順番でローテーションを組んで練習が行われている。


 俺はローテーションの一回目を終え、当番制の審判を済ませた後はいったんフリーとなった。

 ちなみに今は葵たち二年女子が引いている。


 葵のきれいな射形と整った容姿、そしてすっと引き締まった無駄のない体型に目を引かれながら、俺はいったん外に出た。


「ちょっとトイレ行ってくる」


 各自当番の仕事をこなす、同じ組のメンバーにそう告げた俺は弓道場を後にした。


 ちなみに俺の一回目の結果は半矢。

 四本あるうちのちょうど二本が的中した。

 よくもなく、悪くもない結果だった。



 用を済ませて道場に戻る途中、先ほどの立の反省と次の立での改善点を試行錯誤しながら歩いていると、突然角から出てきた小さな影とぶつかった。


「きゃぁ!!」


 悲鳴が上がった。

 同時に袴の裾を踏んでしまった俺は、前のめりに倒れこむ。

 紙と筆記用具が辺りに散らばった。


 どうやらぶつかったのは人だったらしい。


「いててて…」


 そういいながら立ち上がろうと、手を床に向けて下したが、そこに床はなかった。


「きゃぁぁぁ!!!」


 またしても悲鳴が上がった。


 なんだ、この感触。

 やわらかくて、心地よくて、なんだろう?俺はその正体を確かめるべく、さらに手を動かした。


「あ、暁人先輩?!」


 声にならない悲鳴が聞こえた。


「いい加減にしてください!もしかしてわざとされてるんですか?だったら…」


 目の前には少し乱れた服を身に着け、胸を隠すように手を組んだ女子生徒、春があおむけになって倒れていた。 


 ちょっと大きめだろうか、女の子特有のふくらみに目が自然と流れる。

 それからゆっくりその女子生徒を眺め、俺は現状を理解した。 


 顔をリンゴのように赤く染めた少女がその言葉を言い終わる前に俺は全力で否定の言葉を口にする。


「ち、ち、違うって!ほんとにわざとじゃないんだって。それにこんなこと、狙ってできたら苦労しないって」


 怒りと恥ずかしさが混ざった何とも言えない表情を浮かべた彼女が続ける。


「苦労しないって、やっぱりそういう気持ちはあったんですね!」


 確かに。

 俺は否定のつもりで放った言葉に余計な言葉が混じっていたことに気づき、少々後悔した。


「とりあえず私の上からどいてください!」


 彼女の一言で、自分達がはたから見てどんな体勢なのかを把握する。

 右手は地面に、左手は彼女の胸の上にあてられ、だれがどう見ても俺が押し倒しているようにしか見えない。


「ほんとにごめん‼」


 俺は彼女の上から飛びのくようにして起き上がり、頭を下げた。

 そしてゆっくりと顔を上げ、彼女に手を差し出す。


「先輩の手は借りません」


 断られた。


 彼女はスカートをはたきながら、ゆっくりと立ち上がる。

 俺は散らばっていた筆記用具を回収して彼女に渡した。


「通りかかった人に変な誤解をされたらどうしてくれるんですか!!近くに誰も見当たらないからよかったものの…‼」


 彼女は今なお必死だった。


「うーん、どうしよっか」


 俺はとぼけた様子で答えた。

 そんな俺を見て彼女はほほを膨らませて続ける。


 でも確かに、後輩を押し倒した挙句、胸に触れたという汚名を着せられてしまうと考えたら…。

 改めて辺りに誰もいないことを確認し、俺は安堵した。


「そのほんとに何も考えていなさそうな返事、ほんとに変わりませんね」


 彼女は優しい声で呟いた。


 がっつり怒られると思っていた俺は彼女の顔を二度見してしまう。

 怒りは消滅したのだろうか。


 彼女は続ける。


「先輩は生徒会でいろいろな仕事を任されてはそのような返事をしてかわしていらっしゃいましたよね」


 ん?


 直感的に俺は悟る。

 怒っているようには見えないが、長期戦の予感だ。


「でも意外に後輩への面倒見がよかったりしていい人だなーとも思ってたんです」


 話は思わぬ方向へと展開していこうとしている。


 確かに俺は生徒会と部活を掛け持ちしていたこともあった。

 しかしそれは一か月前までのことで、後期の役員、つまり彼女にポジションを譲ってからは、俺はほとんどかかわっていない。


「それなのに、それなのに、先輩は葵先輩の事を…」


 言い終わらないうちに彼女は口を閉じた。

 何か言いたげな様子だが、うまく言葉にまとめられないようだ。


「なんて?」


 つい聞き返してしまった。

 彼女はにっこりとほほ笑んで続ける。


「先輩、聞いていいことと悪いことがあるんですよ?この場合、先輩が今聞いていることは、後者です」


 なぜか、押し倒したこととは別に怒られた。

 そう俺は感じた。


「もういいです。私は弓道部の備品を確認しに来たのですから。さ、案内してください」

 

 彼女は、速足で道場に向かっていった。

 

 そういえば彼女といるときはなぜか身体的な接触が多いような気がする。  


 一か月前、生徒会の仕事引継ぎのタイミングで初めて俺は春と顔を合わせた。

 その時の第一印象は、ただひたすらに真面目っていう感じの女の子だった。

 眼鏡をかけ、校則通りの制服の着こなし、そして左右で対象に結ばれた二房の髪が印象的に思えた。


 そういえば最近は眼鏡をかけている姿を見ないな。

 イメチェンでもしたのだろうか。


 それから一か月間、放課後に一緒に仕事をするようなった。

 そして徐々に春と会話する機会が増え、今の関係に落ち着いたというわけだ。

 最初は必要なことを話すくらいだったが、彼女の人間性がわかってくるとともに、俺はだんだん春との距離感をつかんでいった。

 

 そして今、彼女と対話している。


「先輩。早く案内してくださいよ」


 春が呼ぶ声が聞こえた。


「今行くよ」


 春の後を追いかけた。

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