悪役令嬢の選択
个叉(かさ)
第1話
「キーラ·レア·ルオスタリネン。もううんざりだ。君の口先の誤魔化しも、その無表情にも」
白亜の宮殿。大理石の太い列柱が連なる大階段。
そこに立つ金髪の王子は、一人の女性を脇に控えさせ、階段の下には一人の女性。女性からは少し離れ、その周りをかこうように聴衆が連なっている。
大階段から中央広間と宴会の間は、移動式のパーテーションで普段は塞がれているのだが、本日はそれを取り除き、王子ーーリクハルド·レコ·シルヴェンノイネンーーの誕生日の催しが開かれていた。
本来ならば皆が宴会の間でくつろいでいる時間。王子と女性の騒ぎを聞きつけ、皆が宴会の間から中央広間に集まってきているのだ。
中央広間の豪奢なシャンデリアが煌びやかな光を零す。大理石の上に敷かれた絨毯が暖かみのある光をうけて、赤の模様を鮮やかに映えさせる。
そこに真っ青な、深海を思わせるドレスに身を包んだ女性に、王子は冷たい視線を投げた。王子の衣装も深海のような青。傍らの女性は柔らかな桃。それが表すのは一つ。青い衣装を身に纏っている者同士が、公式な婚約者ということだ。
「この娘は。エルナは、君と違って素直で、明るくて。君のようにヒステリーな感情の起伏もない」
王子が言うと、傍らの女性、エルナが恥じらうように身を揺らした。可愛らしいストロベリーブロンドのおかっぱと、同じ色のドレスが、彼女の動きに合わせて揺れた。
「それで、彼女と良い仲になったんですの。リクハルド様」
「穿った見方はやめてくれ、キーラ。彼女に失礼だろう」
王子が金の髪を掻き上げる。眉根を寄せた少し悩まし気な美しい顔(かんばせ)に、貴婦人達からため息が漏れる。
「何が言いたいのです」
「君も見倣いたまえ。好きな人のためにできる限りの努力をする彼女は、いじらしいだろう?見た目にも可愛らしい」
王子はそういってストロベリーブロンドに手を差し伸べる。彼女は可愛らしく頬を染めた。
青のドレスの女性と桃のドレスの女性の背丈はそう変わらない。顔も童顔で、ただ、青のドレスの女性の方は目鼻立ちがしっかりしていて、強い印象の瞳をしている。
柔らかそうなのに、言うことも辛辣。顔もきついから性格が出ている。誰彼構わず、いじめを率先してやってきた。彼女はいじめを行う悪役令嬢だ。そういう悪い噂も少なくはない。実際は、彼女の正論に耳が痛いもの達が、彼女を貶めて吹聴しているだけに過ぎない。
彼女は目の上のたんこぶだ。向上心より協調性と長いものに巻かれることを大切にしているもの達は、彼女の誰にも媚びず、時に切り裂く物言いに、少なからず憤り、鬱屈していた。
そういうもの達が、ひそひそと彼女の陰口を叩き、良い気味だ、悪役令嬢だ何だと罵った。
「面倒くさい」
小さく呟いて、青のドレスの女性が、軽く頭を下げた。長い黒髪が垂れるのは一瞬で、元通りに顔を毅然とあげている。王子はその呟きに気付いてはいない。
「ほら、その無表情だ。キーラ、君は努力が足りない。まず、私の好きな色は知っているか。流行りの歌は?それに」
「やめろ」
羅列する言葉に、一人の男性が前に出た。中流階級のぱっとしない青年だ。
彼は青いドレスの女性と距離をとっていた連中の中から出てきて、彼女を庇うように王子の前に立った。女性が瞬く。
「女性の感情の起伏は、女性の責任じゃなく、男の責任ですよ。貴方が彼女を笑顔にさせていないんだ。彼女にどんな辛いときでも笑うように強要するなんて、男のエゴでしかない」
彼は王子にそう言い切ると、彼女の方に向き直った。
「僕なら君を不安にさせない。辛いことはあるかもしれない。でもきっと僕が何とかする。君は無理に笑わなくてもいい」
彼女は目を白黒させながら、彼の言葉に耳を傾ける。
男の急展開に、周囲がざわめき始める。その時、絶対零度の声が広間に響き渡った。
「キーラ。そいつを選ぶのか」
湧きたっていた空気が、しん、と一瞬で静まり返る。
王子はストロベリーブロンドの女の手を離し、階段を下りていく。そして青いドレスの女の前に立った。
男が彼女の前で警戒する。
「私を敵に回して、この国でどう生きるつもりだ。彼女に危害を加えるつもりはないから、そこをどきたまえ」
彼女に聞こえない程度の声で、王子は男に囁く。
「全く。冗談を真に受けるなんて、君らしくない」
王子は、にこやかに彼女に手を伸ばす。
信じられないものをみるように、彼女と男は顔を見合わせた。
「冗談?そのご令嬢と仲睦まじいのが?」
「私は少し、君に足りないところを彼女を介して伝えただけだよ」
ストロベリーブロンドが涙目になる。
数人の男性が駆け寄って、彼女を慰める。それが、彼女の取り巻き。見目麗しく、将来を約束されたもの達だ。
王子もその一人だった。だが、彼の目論見は彼女のものと違い、彼女を利用することだった。
「君はドライだ。私はそういう君が好きなんだけれど、そう素っ気ないと不安なんだ」
王子は淡々と告げる。ため息さえ麗しく、艶やか。
貴婦人達は虜だ。こんなに王子を悩ませる女はろくなものじゃないと視線で攻撃する。
青いドレスの女性が呆れたように彼を見た。
「それで?」
「解っているだろう、本気じゃない。君は愛されているから不安なんてないんだろうけど。私はいつも君に愛されてるか不安なんだ」
両手を広げる王子は、ぱちんと指をならして侍従に指示を与えると、胸の青いチーフをさっと掌にのせた。
「私を愛していると?」
彼女は訊く。
王子は青いチーフを載せた手を彼女に差し出した。侍従がそこに青の花束をおく。
青い薔薇。それは幼少期にキーラがねだったものだった。プロポーズには青い薔薇がいいと。父親に青い薔薇はないのだと諭されて、記憶の底に封印した。
王子は密やかに開発して、青い薔薇を彼女に捧げようと用意してきたのだ。
彼女の瞳が揺れる。
「ああキーラ。私は君を、愛している。どうか私と結婚してくれ」
緑の多い庭園。
花が咲き乱れ鳥が歌う。そのなかで、ソーサーの上にティーカップをおいた女性が、白い椅子の背もたれに体を預けた。
「良かったわ。間違えなくて」
手にした新聞を、テーブルに投げる。艶やかなみどりの黒髪が、風を受けて揺れた。
新聞の見出しには、隣国の王子がストロベリーブロンドの女と不倫したと。王子の妻は嫋やかで淑やか、何も言えないような女で、この不倫が原因で倒れたらしい。倒れた妻の元へ王子は足繁く通い、愛を確かめ合っていると。ストロベリーブロンドの血色いい肌に比べ、公に写真を撮られた妻の顔は何処か病的だ。隣国内では、彼女は王妃に相応しくないとの声が上がりつつある。
でかでかと一面を飾っているそれにひとつ、ため息を溢す。
「まあ、こんな騒ぎを起こしているしね。彼は自棄になっているみたいだし」
男が、彼女の向かいにある席に腰掛ける。
「でもねキーラ。普通は、王子さまの方が安定じゃない?僕は給料がそんなに良くない」
向かいに座るのは、あの中流階級の男だ。
あのあと王子にやっかまれ、国を追い出された男は身一つでそこそこの財産をなして、目の前の女性、キーラに指輪を贈った。彼女は指輪を贈られる前から彼の手を取っていた。そう、あの青い薔薇の花を断ったその時に。
断られると思っていなかった王子は、自棄を起こし、何一つ文句をいわなそうな大人しい女性を娶った。王子は未来の王妃となるその女性を自分なしではいられない体にしようと、精神的に追い詰めて、自分しか頼るものがいないのだと思い込ませているらしい。それは、キーラの護衛が掴んだ情報だ。
王子の癇癪で家ごと取り潰されたキーラではあったが、この国の王が彼女の父親が優秀な外交官であると知っていたので、すぐにスカウトされた。その上、隣国の王子は彼女への執着を捨てていないようなのだ。間諜の類は、身を護るために王が用意し、常に隣国の情報を流してくれている。それは国賓級の扱いだ。
男はそんな彼女と釣り合うように、必死で財を築いたのだ。
「まあ。レーヴィ、あなたの謙虚さは何にも増して美徳だわ。それに私は暮らしていけさえすればいいのだし、何より求めるのはこの平穏よ」
彼女は伸びをする。新鮮な良い空気が、肺を満たして酸素を体に行き渡らせていく。
「ああ、幸せ」
心から吐き出して、縮む。
「大した顔やスタイルでもないのに、「好きで居てもらうためにかっこいい俺で居るから」とか。そもそも求めてないし。かっこいいとか思ってもないから反応に困るのよ。悋気なんて柄じゃないし」
新聞に写る王子を見ながら、彼女の眉間に皺がよる。どうどう、と男はケーキを差し出した。
巷で流行の、ダブルクリームのロールケーキ。その中にはイチゴが常に真ん中にあるよう、どこを切ってもイチゴの断面が見えるよう詰めて配置されている。
きらきらと、宝石のように彼女の瞳が輝く。
「口を開けば「好き?」。同じ答えを何度欲しがるの。言わされてる好きにどれほどの価値があるの。私、嘘はつけないもの。それでも嘘でも言ってほしいものなの?」
プンプンと怒る彼女も可愛らしく、男はハニーシロップを差し出す。彼女の好物だ。
一口、二口、ハニーシロップがかかったスポンジを胃袋に納めていく。紅茶にもハニーシロップを一注ぎ。紅茶の横に添えていた輪切りレモンにもかけてパクリ。そのうちに彼女の苛立ちは鳴りを潜めた。
「男なんて面倒くさいと思っていたけれど、貴方みたいな人もいるのね。ねえレーヴィ。貴方みたいないい人、どうして私が良かったの?」
不思議そうに、こぼれそうな青い目で男を覗き込む。男はその仕草に胸が高鳴る。
「ああ、でも聞かないわ。私のポリシーだもの。貴方が言いたくなった時に言ってくれたらいいの。言わされているより、その時の方が万倍嬉しいもの」
彼女は自己完結して、自分の言葉を待ちはしない。どこまで自立しているのか。少しは甘えてほしいと思う。だが、以前に聞いた時に、彼女は甘えているのよ、と言っていたから、彼はそれ以上余計なことは言わない。
彼女は眉根を寄せて考えているポーズをとる。無表情と言われた彼女は、本当に表情豊かだ。
「そうそう、あなたの顔は私の好みなのよ」
そこに彼女の爆弾が落ちて、男は胸を押さえた。口を尖らせて言う彼女が可愛すぎる。
「困ったわ。好きってあるのね」
降り注ぐ言葉に、彼は息を吸うのも忘れて、真っ赤な顔で彼女を見つめた。彼女は満足そうに微笑む。彼は口を開いた。
それは彼らの中だけの愛の言葉。
彼女は彼に飛びつき、彼は彼女の唇を塞ぐ。
庭のクレマチスの花が、初夏に鮮やかな彩を添えていた。
悪役令嬢の選択 个叉(かさ) @stellamiira
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