Week 8
5月の半ば、本校では2ヶ月に1度度風紀維持の名目で頭髪検査を行う。校則からはみ出ようとする者は直ちに本校のルールに従わせるため、頭髪の状態を元に戻すよう指導し保護者にも連絡を入れてご家族からも注意するよう伝える。一昔前はパーマをあてることが校則違反とされていたが、近頃はカラーリングをする若者が増えていて流行に敏感な高校生となると尚更だ。カラーリングするのは個性を表現する手段と声を高らかに言う若者が多いが、普通からの脱却を図るため四方八方黒髪大国であるこの国では差別化を図るため髪色を変えることで自分は普通なだけではないと表面上アピールしているのだろう。しかし、この時期はそんなアピールも無駄な行動とされ『“表層的な普通との脱却』は強制的に『普通の普通』に戻されてしまうのだ。戻ろうとしない者がいるとすれば、校内で教師が生徒たちの髪を強制的に染めあげるのだ。生徒たちが何故そうしたのかも知ろうともせずに。
3年生の全生徒を体育館に集め、体育教師である大沼先生が厚みのある威勢の良い声で生徒たち一人一人が全体の中の一部になるよう均一に整列させられる。彼らは何の疑問も持たずにすぐにサイレンのように響く大沼先生の声に順応し、一瞬にして一部となるよう全体の中へ溶け込んでいく。この社会では、こうやって全体の中の一部に溶け込んで行かなければきっと生きてはいけないと教師は生徒に目に見えない重圧や社会構造を知らずの間にすり込んでいくのだ。世界を知らない生徒たちは、その世界を支配する教師の教えを忠実に再現する。
僕は、教育について世界を広げるものだと考えていた。生まれたばかりの壮大な可能性を秘めた子供たちに必要な知識を与え、成長させて新たな世界を発見できる存在へと誘うことができたら、それは本人にとっても僕にとっても幸せなことだと思う。でも、現実は僕の理想と何億光年と距離があるように感じていた。
「準備が整ったようなのでこれより頭髪検査を始めます。地毛と異なる色と判定されたもは前に出てくるように」
そう、『全体の中』に入れば安心だが、少しでも異なるものは『全体』から強制的に外されるのだ。副担任の先生と一緒にカラーチャート表を用いて、生徒の髪の毛の特に生え際の色をじっくりと確認していく。
「これは、中々難しいねー。一人一人細かく見ないといけないし・・・」
副担にがボソボソと小言を言いながらカラーチャートの札と生徒の髪色を見比べて行く。
「君の髪の色明るし、根本とだいぶ違うようだから前に行って」
「えー。部活で日に焼けたんですよー。」
「とにかく、君は前に行きなさい。」
言い訳をする生徒もいるが、この副担任は生徒の話など聞きやしない。そう、この場所で決断できるのは教師だけなのだ。少し赤みを帯びた毛先を見つめながら理不尽な表情を浮かべ、前に進んで『全体』から離れてしまう女子生徒を背中に私たちは次の生徒が『普通』からはみ出ていないかを確認して行く。流作業のようにテキパキとこなしていた僕だが、その作業の向こう側には周りの作り物のように脱色されたものとは異る自然な輝きが僕を待っていた。意識してはいけないと思えば思うほど、彼へと意識が向けられてしまう。一歩ずつ彼の光へと近づくたびに僕の意識が揺れ動くのを感じながら、目の前の作業を行う僕がいた。彼の一人前の女子生徒の作業中彼はじっと僕の手を追っていて、それはまるで猫が猫じゃらしを追いかける前に狙いを定めるかのようだった。彼の視線が僕の指先に向けられているの感じて、余計に意識をしてしましそうになる。
「この色は問題ないですね、よろしいですか?」
副担任は軽く頷きながら、既にその先を眺めながら思考が停止したようにこれまでの作業が中断していた。僕は教師という自分と、本当の自分との境界線の手前にいたように思う。彼の真横に立ち、彼との距離が最短距離に近づいた時に僕は優しく丁寧に彼の髪に触れてみた。女子生徒たちの髪を触るときよりも繊細に扱い、根本から毛先までの色が均一なのをゆっくりと確認する。彼の髪を数本束にしてすくい上げながら、カラーチャートと比較するがどこにも彼と同じ色をしているものは見当たらなかった。今までは必ずカラーチャート上に比較する対象物があったが、彼の場合彼にしかない色を持っていた。例外なのではなくて、彼にしかない特別な個性を放ったその色はとても魅力的だった。ただ、彼が特別である以上この社会では特別は例外と同等に扱われることがあるのが現実であるのも確かだ。黒髪でなければいけないというルールからすると、彼は例外とされてしまう。彼の髪の毛を触りながら、彼へこの列の中から出て行くよう伝えるのに戸惑いを感じていた。
「初瀬川は、これ地毛だよな。」
「はい、そうです。」
「一応、前の方に行って待っててもらえるかな。」
「え?僕染めてないですよ、この髪ナチュラルです。」
「うん、そうだよな。伝えないといけなことがあるから前で待っててもらえるか?」
「あ、はい。わかりました。」
納得はしていない彼が、体育館の前方に向かって歩いていく。彼の足音から心の中の声が聞こえてくるように感じ少し胸が痛くなった。
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