Week 7

 終業のチャイムがなって、授業を終えると彼が教壇に歩み寄って僕に話しかける。


「先生、さっきの質問の答えで少しわからなかったことがあるのでもう少し話を聞きたいんですけど良いですかね?」

「おう、じゃあ放課後でいいか?理科準備室で説明するよ。」

「わかりました、では放課後にお願いします。」


 放課後、部活動が始まる生徒たちがグラウンドでウォーミングアップをする姿が職員室から見えた。野球部の部員たちが気だるそうに体を動かしながら、5月の西日を浴びている。この時間が来るまで僕の心と頭のやりとりは穏やかではなかった。子供の頃は一致していたはずなのに、大人になるにつれて頭と心が一致せずに生きている大人が多いように感じる。この職員室にいる先生方のほとんどがそうだろう、正直に自分を認めながら生きるというのはきっとこの大都会では難しいことなのだ。もしかすると丁度大人になろうとする生徒たちの世代からその矛盾が始まるのかと思いながら気だるい生徒を眺め、子供に正直でいなさいという大人たちが正直でないように感じながら今の自分の矛盾をどうにか収めようとしていた。そう思いながら、彼と時間が近づくにつてれ大人になってから感じたことのない心の揺らぎを抱いて、僕は理科準備室に向かった。


 部屋に近づくと彼は入り口の前で既に僕を待っていて、準備室の廊下から見える桜の木を眺めている。


「桜、すっかり散って夏の準備始まってるな。」

「夏の準備?」


彼が僕の方を向いて、初めて聞くかのような表現で不思議そうに質問する。


「今日の授業で話した光合成のことだよ。沢山葉っぱをつけてこれからの季節に向けて準備を始めたんだな。」

「へー、これって準備だったんだすね?知らなかった。」

「木はさ、知ってるんだよ。これから夏が来て、たっくさん吸収できるものがあるって。」

「ふーん、そうなんだ。」

「人間だって同じだろ?夏の経験が沢山成長させてくれる、そのために夏休みもある。」


彼に伝えたいという思いから、次々に言葉が出てきてしまう。桜の木を見つめる彼の顔を見ながら若い青年の心の変化を表情から読み取る。ころころ変わる彼の心が表情に現れるのは、彼が純粋で正直に生きているからだとその横顔から感じた。彼もこれから大人になるのだと思うと大切に彼を育てていきたいと感じながら、他の生徒とは違う気持ちが微かに芽生えていることを感じ新しい感情が自分の中で生まれたことに動揺する僕がいた。その思いが膨れ上がらないように押さえ込もうとする思考が、チャイムのように口から音を発していた。


「授業の質問についてだったよな、準備室で聞くよ。」


扉の鍵を開けて理科準備室に2人で入る、彼が扉を優しく閉めたが鍵は開けたまま。僕は広い3人掛けのソファー、彼は1人掛けのソファーに腰をかけ向かい合わせで話し始めた。


「それで、今日の授業についての質問てなんだ?」

「先生、突然変異の話をした時にそれを例外って言ってましたよね?その例外について聞きたいです。」


思っても見なかった質問が彼から飛び出してきた。彼から放たれる質問は、きっと光合成についてで、教科書や僕のこれまで学んできたことで説明がつくものだとばかり考えていたがそうではなかった。ある意味彼の質問こそが例外だったのだ。何を答えて良いのかわからなかったが、なぜ彼がそのことを気にしているのかについては興味が湧いて彼に質問をした。


「そうか、例外についてか。例外のどんなところが気になったんだ?」

「基本が日光を必要とする動植物でそうでないものが例外って話だったんですけど、本当にそうなんですか?もしかすると、夜行性の生き物たちが基本だったかもしれないし、そもそもそこに分類する必要性があるのかなって思ったんです。」


彼は答えを求めているようで自身が持っている疑問を僕に投げかけ、ある意味その答えを見つけるために誰か手助けが必要なのだとわかっていたからこの場所に来たように思う。その証拠に、彼は自分の持っている疑問に対して仮定を見出し断定せずに僕に説明をしてくれたのだ。僕が放った言葉が彼のもとに届いて彼は不安な気持ちをいただいているが、なぜそのような作用が起きたのかはわからないが、一緒に見つけることができればその根本にある何かをみつけて取り除いてあげることができるように僕は感じた。


「初瀬川の言う仮説は間違いではない可能性があるな。人類が誕生する前の地球というのは深い雲に覆われていた時期もあって、その時期多くの動植物が日光の遮られた生活を強いられていた。その時代は日光がないことが常識で、日光を必要としない動植物が主体であった可能性があるよな。そうなるとその時代の例外は光を必要とする動植物で基本はその反対ということ。そういうことを初瀬川は言いたいんじゃないのか?」


そう説明をしたところ、少し俯いていた顔を上げ彼の眼差しに少しの光が刺したように感じた。決して彼のご機嫌を取るような答えは言いたくはない。彼にとってはとても重要なことだからわざわざ足を運んでくれて、彼なりに答えを見つけるための手助けをする人物として僕を選んでくれたのだと思う。だから、僕自身も彼に誠実で真剣に向き合いたいと思い少し説明を付け足してみた。


「その時代によって、基本となるものや例外というものは変わるんだと思う。少し前までは否定されていたことが時代の変化とともに肯定されたりするものなんだ。そうやって変化を繰り返しながら世界は広がっていくんじゃないのか?ものすごく限定してみると基本と例外が見つかるけど、広く考えてみると基本も例外もこの世には存在しないんじゃないかと先生は思うよ。」

「そうなんですか?」

「初瀬川がしてくれた仮定って、そういうことを意味してるんだと先生は思ったな。」

「じゃあ、もう少し広く捉えてみると本来は基本も例外もないってことなんですかね?」


彼はいとも簡単に今ある既成概念を取り払いながら、自身の世界を広げようとする。大人になるとこうもいかないが,彼の言動はまるで芽生えたばかり爽やかさな新緑の緑を思わせるものがある。


「そうだと思うよ。それは人間がいつの時代からか作りだしたものに過ぎないんだよ。」

「そっか、自然界には基本だったり例外なんて概念自体がないんですもんね。」

「そういうことだな。じゃ、初瀬川の見つけたかった答えは見つかったかな?」

「なんとなく、見つかったように感じます。先生、ありがとうございます。」

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